第18話 世間の穴にまっさかさま

 水城はまゆ子と言われて、ふてくされたようなあきらめ顔で答えた。

「まゆ子は私のファッションヘルス時代の名前、今は通信制高校に通っている最中の麻友よ。」

 奈緒も実緒も信じられないといった顔で、ぽかんと開いた口がふさがらないが、それ以上追及すると、麻友を傷つけるだけである。

「水城さんだったね。これ、沢崎さんが牧会しているキリスト教会のトラクト、渡しとくね」

 実緒は、水城に教会の案内状を渡した。

 十字架をバックに‘ドラッグ体験、矯正施設(鑑別所、少年院)出身などで、人生の活路を見失っている方、イエスキリストがあなたと共にいて下さいますよ’

 水城は、まじまじとトラクトを眺めている。

「ねえ、私でも教会に行けるのかな? 私の家族にはクリスチャンはいないよ。

 だいたい、教会ってなんとなくお堅い人の行くところじゃないの?」

 実緒は、答えた。

「実は、私の家もキリスト教じゃないわ。教会ってお堅い人ももちろんいるけど、そうでない人もいる。罪をもっている人が、罪を許されにいく場所なのよ。

 次の日曜日、一緒に行こうよ」

 水城の顔に、一条の光が差し込んだような笑顔の表情になった。

 奈緒は、その笑顔を見て安堵したような表情を浮かべた。


 拓海が奈緒に尋ねた。

「という事情でしたが、お姉さま、実緒さんとの交際をお許し頂けるでしょうか」

 奈緒は、ちょっぴり厳しい表情で答えた。

「交際っていっても、単なる友人でしょう。僕、酔っぱらっちゃった。どこかで休憩しようよ。なにもしないからさなんて言ってホテルに連れ込んだりしたら、承知しないからね」

 これには、拓海があきれはて、目を丸くした。

「あーあ、これって偏見ですよ。ホストは手が早いなどと思ってるんですか?」

「まあ、世間一般そういうイメージがあるわね」

 拓海は、少々反抗したように言った。

「僕は昼間は大学へ行って、夜は大酒を飲み、客と先輩とに気を遣いまくり、休日は筋ジストロフィーの弟の面倒を見なければならない。

 はっきりいって、あまり元気ないんですよ」

 水城が口をはさんだ。

「そうよ。拓海君って、いつも店が終わるとぐったりしているの。

 もうこれ以上、女に気を遣うのはこりごりだって。性欲も薄れつつあるしね」

「んまあ、僕はまだ新人ですが、やはり親切にしてくれるお客さんっているんですよ。僕たちの仕事って、肝臓を悪くするでしょう。

 だから、うこんをくれたり、気をきかしてウーロン茶を注文してくれたり、そういうやさしさに、グッとくることはありますよ」

 しかし、拓海はどう見ても男前といったタイプではなく、お笑い系である。

 実緒はそろそろたたみかけた。

「拓海君は、もうすぐテストなの。単位落とすわけにはいかないので、これで」

 拓海は、礼儀正しく挨拶した。

「ケーキご馳走様でした。今日は有難うございました。ではこれで失礼します」

 そう言って去っていった拓海のあとを、水城はついていった。


 後片付けが終わったあと、実緒は言った。

「奈緒姉ちゃん、見た? 水城さんのように男で失敗し、人生を狂わす女って多いのよ」

「うん、わかってるわ。女子刑務所の女囚って全員男絡み、そのうち、半数が離婚者も含めた既婚者だというわね」

 実緒は、奈緒が想像している以上に、世間を知っているようだ。

「覚醒剤も女性の場合は、すぐ実刑になるけれど、結局男にすすめられるまま、覚醒剤を打ち、その男と別れた後、また覚醒剤仲間を探すケースが多いわ」

 実緒は、しみじみと語った。

「怖いわね。私は昔、ギャンブルをする男と付き合うと、知らない間に風俗に売られるぞって脅されたことがあったけど、今はそれプラス覚醒剤ね」

 奈緒が語った。

「実緒ちゃんは、結婚願望ってある? 私は正直言ってあまりないの。独身女性のために、ホストクラブってあるのかもしれないわね」

「いや、拓海君の話によると、サラリーマンがキャバクラで使った金で、キャバクラ嬢が客としてやってくる。だからサラリーマンが元気がないと、夜のネオンもかすみがちなんだって」

 そういえば、もうキャバクラよりも風俗が手っ取り早いなんて男性が増えてきているという。

 実緒は、久しぶりに奈緒と二人で繁華街を歩いていた。

 奈緒も実緒も、年に一度だけお互いのためにプレゼント交換をする。

 一年に一度だけ、実緒がいい子にしていたら、このイベントがある。

 だから、実緒は道を踏み外すことはないというのは、奈緒のうぬぼれか。


 実緒はふと思いついた。

 新聞配達の傍ら、カウンセラーになろうと。

 女性はなぜホストにはまるのかという番組を見たとき、こう言っていた。

「話をうんうんと聞いて、なでなでしてくれるから好き」

 ということは、そういう人が身近にいないということである。

 そうだ。カウンセラーの勉強をしよう。

 そのためには、いろんな人を知っておかねば。


 実緒は、ふと以前人づてに聞いた、非行少年のケアを専門にしている教会に行ってみたくなった。牧師そのものが元アウトローだという。

 日曜日、さっそくその教会ー弟子チャペルへ行ってみた。


 礼拝は、聖書を読み、牧師の説教を聞き、讃美歌を歌うというオーソドックスなものである。

 ただ、従来の教会と違うところは、教会員が歩み出て

「僕、昨日少年院から退院したばかり。これからは更生するつもりですので、応援願います」

というと、拍手がかえってくるところだ。

 実際、この教会はいわゆる元アウトローや前科者も多いという。


 しかしそういった人達はなぜか、怖いとか剣があるといったイメージはない。

 もっともアウトローという人種は、いつ殺されるかわからないので、アウトローを辞めた途端、穏やかな表情になるそうである。

しかし、一般人と同じ生活を送るーいわゆる立ち直るのは、想像を絶する血のにじむ努力が必要だという。

この弟子教会の牧師自身が、元アウトローでその体験者である。

(参考図書「大阪弟子教会」大阪市中央区高津1-3-6)


「礼拝のあと、食事会があります。代金四百円です」

その声に誘われて、二階の会場に行ってみた。

五人掛けのテーブルでめいめいに、ご飯とみそ汁、大根の煮物が置いてある。

実緒は、代金を支払い席についた。

そのとき、四十代くらいの穏やかな表情の女性が実緒にお茶をついでくれた。

「この教会は初めてですか?」

実緒は、少々緊張気味にはいと返事をした。

「私は、この教会の副牧師をしております沢崎 ちひろといいます」

「へえ、女性牧師って珍しいですね」

実緒は、率直な感想を述べた。とそのときである。

なんと水城麻友が、やってきて女性牧師にからむように言った。

今日の水城は、化粧もせずスッピンのままで、上下ジャージー姿である。

「ねえ、私こう見えても、進学校から医科大学を目指して猛勉強している最中に、人生とち狂ちゃったのよね」

 沢崎女性牧師は答えた。

「そうですが」

「そうですかじゃなんて失礼な。私はあんたと違って、秀才だったんだからね」

 実緒は見るに見かねて言った。

「水城さん、こんなところで会うとは意外だったね、あまり人に失礼なこと言うもんじゃないよ」

 沢崎女性牧師は、実緒をたしなめるように言った。

「いつものことだから、仕方がないですよ。あの子はああやって、淋しさと後悔をうめているんだから。あの子は今、この教会の四階にある麻薬更生施設で、生活しているんですよ」

 そのとき、水城がある婦人に声をかけた。

「拓海君のお母さん、元気?」

 その婦人は振り向いた。

 一見、たおやかな笑顔の上品そうな婦人。

「相変わらずよ。麻友ちゃんも早くイエス様を受け入れて、元気にならなきゃね」

 水城は、キョトンとした顔で質問した。

「なあに、そのイエス様を受け入れるって?」

 

 

 

 

 



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