第16話 新しい商売の夢

 なんだかオレオレ詐欺以来、奈緒は実緒を庇ってやりたい気持ちで一杯である。

 実緒を守るのは、この私しかいないのではないかという錯覚にとらわれている真っ最中である。

 あの日以来、毎日実緒の好きなアールグレイを用意している。

「奈緒ねえちゃん、どうしたの? なんだかとても優しいみたい。

 どういう心境の変化なのかな?」

 実緒は不思議そうに聞いて来るが、奈緒は黙って微笑むだけだった。

「実緒ちゃんは、私に学校のこととかいろいろ話してくれるから助かるわ。

 男の子だったら、そうはいかないものね」

「そうね。男の子って結構母親の影響を受けるわりには、母親に悩みを相談しようとはせず、反抗して口もきかなくなる。やっぱり、異性同志だから通じ合わないわね」

 奈緒は、ため息をついた。

「この前、ばったり中学のときのヤンキーグループだった男の子に出会ったの。なんと母親は、生命保険の外交員だけどね。家事はちっともせず、僕が悪さをすると、たばこの火を押し付けたりするおかんだった。

 俺はおかんを憎んでいて、ああいう人間にだけはなりたくないとこぼしてたわ」

 実緒はすかさず

「その男の子、今何してるの?」

「高校はすぐ中退して、中古車販売の営業をしているらしいわ。

 ヤンキーグループっていっても暴走族なんていう本格的なものではなくて、たばこ吸ったり、無免許でバイクを運転した挙句、その子だけ警察に売られたり、まあその程度のものでしかなかったけどね。

 まあ本人も勉強嫌いであり、放任主義の親が多いんじゃないの? 親がうるさかったらそういうことする余裕はないよ。その時間、塾に通ってるんじゃない?」

 奈緒は実緒がきれいに育ってくれてよかったと思っている。

「しかし、この頃は一流大学生が麻薬する時代だもの。アーレフなんて全員、金持ちで一流大学生だったじゃない。かえって、ヤンチャしてた子の方が、世間を知ってる分だけ常識あるかもね」

 実緒はテレビのスイッチをつけた。

 奈緒も実緒も、報道番組は毎日見るようにしている。

「痴漢まがいのオレオレ詐欺の一味が逮捕されました。なかには、麻薬欲しさに雇われた人もいるようです」

 奈緒はドキリとした。

 実緒は、まるで別世界をかいま見るような顔で、画面を見つめている。

「やっぱりねえ、麻薬やめますか、人間やめますかというけど、麻薬すると犯罪に手を染めるようになるのよねえ」

「そうよ。だから実緒ちゃんも絶対に、麻薬だけは手を染めちゃだめよ。

 それはそうと、実緒ちゃん、将来のこと考えてる?」

「そうだなあ、美容師をやりたいと思ったことはあったけど、辞めていく人が多いとうし、できたらチヂミ屋をやりたいと思っているのよ」

「チヂミってあの韓国料理?」

「そうよ。お好み焼きみたいにボリュームがないから安価だし、たこ焼きみたいにありふれてはないから、競争率は低いと思うの。

 それに鮭とかサバとかを入れて、メタボ対策に備えたいの」

「なるほどねえ、アイディアとしては悪くないけど、でもその資金は、実緒ちゃんが出さなきゃダメだよ。私は口も出さないけど、金も出せないけどね」

「わかってるわ。まあ、これは私の夢だからいつ実現するかわからないけどね」

 ふと、奈緒は閃くものがあった。

「私、昔新聞配達してたでしょう。高校を卒業したら、実緒ちゃんもしてみない?」

「えっ、でも大変そう。もう新聞も減少してるんじゃないの?」

「確かに肉体的にはしんどい仕事よ。でも、パートのように一か月契約なんていう不安定なものではなく、案外安定しているし、第一健康にもいいわよ。

 夏の新聞配達を経験するとね、冬は風邪をひきにくくなるわ」

 実緒は、なるほどと納得したようにうなずいた。


「ねえ、実緒姉ちゃん、私、今ちょっとだけ付き合っている男の子がいるの。

 今度連れてくるわね」

「えっ、いいの?」

「だって、実緒姉ちゃんって心配性だから、私と彼が歩いてるときばったり会って今の男の子、何者だなんて問い詰められるの、いやじゃない。それに隠してたら、変に誤解されそうだし」

「それを聞いて安心した。ね、どこで知り合ったの?」

「本屋さん。漢字検定テキスト探してたら、声をかけてきたの」

「なんだか、古典的なやり方ね。それナンパじゃないの?」

「実緒姉ちゃんは、ナンパされたことがある?」

「そうねえ、初めてナンパされたのが、高校一年のとき、地元の本屋でね。

 あとこれまた地元のメンズショップ、ほら、今カフェに変更したけどね。

 でも後から気付いたけれど、ナンパしてきた男の子、実は高校の一年後輩だったのね。類は友を呼ぶ式かな。

 昔流行ったディスコでナンパする男性って、よーく見るとグループの一人が同じ中学だってことがあったっていうわ。もしかして、向こうもそのことを知っていて、安全だと思ったからじゃないかな」

「ナンパした人についていっちゃ危ないかな?」

 奈緒は、まじまじと実緒を見つめた。

「そりゃあ、危ないといえばねえ、何者かわからないしね。私はついていったことがないわ」

 奈緒は、考え込むように言った。

「一応名前だけ言っておくわ。正木拓海っていうの」

 えっ、拓海ってひょっとして売れないホストの拓海?

 奈緒は、思わず身を乗り出して聞いた。

「ねえ、その子、今何しているの?」

「経営学部の大学生よ。今、奨学金で通ってるの。偉いでしょう」

 そういえば、聞き覚えがある。

 奈緒は、売れないホストの拓海本人ならどんな顔をしたらいいだろうと思った。

 実緒は無邪気な顔で

「ねえ、今度拓海君を連れてくるわよ。来週の日曜日の午後でいいかな?」

「私、拓海君に簿記を教えてもらってるの。そうだなあ、筋ジストロフィーの弟思いのところかな。そして結構苦労人だしね。

 おとんに負担かけたくない一心で、高校からバイトで学費、稼いでたんだって」

 奈緒は、確信した。まさに売れないホスト拓海本人であるに違いない。


 実緒は、新聞配達をしてもう半年になる。

 肉体的には、今までの仕事の三杯はしんどい。

 たいていの人は、三年以内に辞めていく。

 しかし、リストラの危険性もそうなければ、男女差別もない。

 安定とは引き換えの、肉体の苦難を伴うが、実緒はこの仕事をできたら生涯続けたいと思っている。

 

 配達し終えて事務所に戻り、タイムカードを押して家路を急いだ。

 とそのとき、自転車の後ろから声が聞こえた。

「北海道の田中です。実緒さんですね」

 振り返ると、そこにはうつろな顔つき十八歳くらいの少女がいた。

「あなた だあれ?」

「私は、拓海の妹よ。お兄ちゃんを取らないで」

 実緒は、まじまじと少女を見つめた。

 拓海とは全く似ていないし、ひとかけらの面影すらもない。

 少女は唇をなめているが、もしかして麻薬中毒?

 少女は何も言わずに、唾を吐き、去って行った。


「実緒ちゃん、一時過ぎてるのに拓海は何やってるんだろう」

 時計は一時十分をまわっている。

 せっかく用意したアールグレイ紅茶も冷めてしまいそうだ。

「ひょっとして、拓也っていう子、いつもそうやって実緒ちゃんを待たせて平気なのかな?」

 実緒は、少しすねたように言った。

「違うわ。いつも私の方が待たせるのよ。だって、恋愛本で読んだけど、男は少しじらした方が効果的だというわ。なんでも男の言いなっちゃうような、いい子ちゃんは飽きられる第一歩だって」

 わかったようなことを言うが、奈緒は釘を刺すようにいった。

「実緒ちゃん、昔の人の言うことみたいだけどね、結婚前のセックスは禁止よ。

 中絶費用なんて貸すことできないからね」

 実緒ちゃんは、当然のことのようにうなずいた。

「わかってるわ。実は中学のときの親友が、妊娠中絶したばかりよ。一番偏差値の高い進学校に通ってたのにね」

 奈緒は、驚いた。

「中学のときに親友って、もしかして一度家に来た眼鏡をかけたおかっぱ頭の子?」

「そうよ。一度だけ遊びにというか、家庭教師代わりに来てくれたことがあって、数学を教えてもらったわね」

「でも、どうしてそんな子が、妊娠中絶なんかする羽目になっちゃったの?」

 奈緒は、不思議としか言いようがなかった。


 

 

 

 

 

 

 

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