第15話 人生の苦難を背負いながらアップアップ
「僕の名前は拓海っていうんです。これ、本名ですよ」
奈緒の見聞上、たぶん十九歳だろう。
そう、あくどいタイプではなさそうである。
「ねえ、どうしてあなたはホストになったの?」
「実は僕、弟が筋ジストロフィーでバイクで事故って親に百万円借金があるんですよ。それを返していかなきゃならないんですよ。
まあ、僕は今大学生ですが、授業料は奨学金で払ってるんですよ」
そういって、拓海と名乗るホストは、学生証を見せた。
「でも僕、この大したことない顔でしょう。もう、お客さんの前では緊張して、何を話したらいいのかわからなくて、貧乏ゆすりばかりしているんですよ」
奈緒は答えた。
「ホストに限らず水商売はね、強引なくらいに客に話しかけていくべきなのよ。 でも、人の悪口や、家庭環境、職業、学歴をけなしたりしてはダメよ。
今みたいな調子で、心をさらけ出したらいいのよ。そして自分が客をリードするようにもっていくことが先決よ」
拓海は納得したようにうなずき、美緒に、水商売特有の四方が丸くなっている名刺を渡した。
「一応、僕の名刺です。もしよかったら電話下さい」
いかにも、新人ホストらしくボールペンで「拓海」と手書きされていた。
拓海は、警察の取り調べを受けたが、単にキャッチした婦人警官と名乗る女性から頼まれて街頭に立っていただけだということで、無罪放免になった。
しかし、稼げるホストならいざ知らず、警察沙汰となると新人ホストの場合、解雇を宣告させる恐れがある。
なぜなら、店ごと調査されるからである。
なかには、客の身分証明書と売上伝票とを、提示しなければならない事態になるかもしれない。
拓海はどうしているだろう。美緒は気がかりだった。
「実緒ちゃん、今日の晩御飯、実緒ちゃんの好きなオムライスよ」
奈緒はあの事件以来、実緒の身辺が心配である。
実際、実緒が狙われたらどうしようなどと、被害妄想に陥ることさえある。
奈緒がテレビのスイッチをつけるといきなり報道番組で
「今日、痴漢を装ったオレオレ詐欺の主犯格が逮捕されました。マンションの一室にアジトを置いて、身内が痴漢の被害にあっているので、今すぐ、現金を渡さねば盗撮ビデオを出回るなどと脅して、一人につき九十九万円現金を恐喝するやり口です」
あっ、この前のオレオレ詐欺だ。
「なんと調べてみると、現役一流大学生もいれば、新卒もいます。すべてが金で解決するという考えが、彼らを犯罪にかりたてたのです」
しかし、彼らは結局その金をアウトローに渡す羽目になる。ということは、すでに半グレの如くアウトローの末端組員と同じである。
いくら素人が知恵を絞っても、アウトローには勝ち目がない。
彼らは、アウトローの餌食になりにいくようなものである。
実緒は、キョトンとした自分とは別世界といった顔で、報道番組に見入っている。
奈緒は、のん気そうにおかきをほお張っている実緒を見てこれでいいのだと思う。
実緒には、余計な心配をかけたり、傷を与えたくない。
実緒が成人式を迎えたとき、奈緒は実緒に世の中の厳しさ、恐ろしさを教えこもうと思う。
このことは奈緒の持論であるが、今のうちから金や物品の貸し借りは辞めることを実緒に教え込む必要がある。
「ねえ、ひとつ実緒ちゃんにお願いがあるの。金や物品の貸し借りだけはなるべく避けるようにしてね。なぜなら、身内である私にも火の粉が飛んでくる恐れがあるから。実緒ちゃんに代わって弁償なんていわれても、私はどうすることもできないからね。なかには、最初から未成年である実緒ちゃんの保護者に弁償してもらうことが目的で、実緒ちゃんに貸す人もいるというわ。もちろん、一見親切そうな善人面でね」
実緒は、またびっくりしたような顔で奈緒を見つめた。
「それもそうね。私も小学校の頃、ボールペンを貸して返ってこなかったことがあったけど、結局その子とは友達解消になってしまったわ」
奈緒は実緒を説得するように言った。
「貸す方は、最初は親切心だけど、それはあくまでそのままの形で、一時間以内に自分の手元に返却した場合。図書館から借りた本でも、水濡れしたり汚れがあったりしたら、誤ったあげくの果て、ときとして弁償ということもありうるわ」
実緒は、神妙な顔で聞き入っていたので、奈緒は話を続けた。
「これは私の持論ですが、借りるという字は、にんべんの右に昔と書くでしょう。
借りた人はたとえ昔のことでも、覚えられているケースが多いのよ。
あの人は昔、借り物をしたといった形でね。
でも、貸した方は、執念深くいつまでも覚えているケースもあるわ。
貸すという字は、貝の上に代理の代と書くでしょう。
貝というのは元々は貨幣を表すものであり、その貨幣を代理、代用してやったんだ。などと恩に着せられるケースもある。たとえば、何年かたって、あのとき、貸してやったんだから、今度は私が借りる番だなどとね」
実緒は納得したように答えた。
「それ、十分余裕でありうる話ね。これからは金も含めて物品の貸し借りはなるだけしないようにするわ。たとえ相手から貸してやるといっても、断わるようにするわ。私も奈緒ねえさんには、余計な迷惑かけたくないものね」
奈緒と実緒は、顔を見合わせて頷いた。奈緒は続けて言った。
「世の中には、ソフト闇金の如く親切そうな顔をして、貸してやるという人もいるけれど、相手になっちゃダメよ。ちなみに闇金は今、違法行為であり、借りた人も罰則に定められるのよ。そうすると、警察や弁護士も味方にはなってくれない。
闇金で借りるのは、圧倒的に無職の主婦が第一位だというわ。なぜなら働かないから一銭も入ってこない。なかにはパチンコ狂で、パチンコ屋で知り合った人から闇金を紹介されたなんて人もいるわ。だから、借金だけはしないことね。
アウトローみたいな債権屋がやってきても、私はどうしてあげることもできないからね」
「はいはい、私は奈緒ねえさんに迷惑をかけるなんて、ヘタレな人生は送りたくないつもりです」
実緒は断言するかのように言った。
一方、実緒は夕刊配達の仕事をすることにした。
最初は、カラ周りといって配達区域を自転車で回って、覚えるよう努力する。
だいたい、五、六回カラ周りすると、覚えることができるようになる。
今日で三回目だ。順路帳を見ながら表札の名を確認するのは、結構緊張するものであるが、順路帳に気を取られて、二人連れの男子にぶつかりそうになった。
「あっすみません。お怪我なかったですか?」
振り向いた男子のうちの一人は、なんと新人ホストの和希だった。
隣にいるのは、オレオレ詐欺に巻き込まれそうになった、売れないホストの拓海である。
「あれっ、和希君だっけ? 拓海君と知り合いなの?」
和希は答えた。
「えっ、こいつは昨日から俺の後輩になったばかりです。よろしく」
今度は、実緒がびっくりする番だ。
「えっ、どういうこと?」
拓海が答えた。
「ほら、僕、この前みたいなことがあって、前の店を解雇される前に、辞めちゃったんですよ。そこでカフェで求人募集を見ていると、和希先輩にスカウトされたってわけですよ」
なるほど。捨てる神あれば拾う神ありか。
「僕、最初は事情を話すのをためらったんです。だって、第三者から見れば、僕もオレオレ詐欺の一味だと思われても仕方ないじゃないですか。
でも、和希先輩は、僕を偏見の目でみることなく、わかってくれたんですよ。
この店で一からやってみないかと誘って頂いたんです」
拓海は、安堵したかのように言った。
まあ、和希は少年院出身だから、偏見の目で見られることがどんなに辛いか、身に染みてわかっているだろう。
そして、過去を引きずることなく、新しい道を探すことの大切さもわかっている筈だ。しかし、和希も新人ホストであり、拓海を導ける立場ではないが、とりあえず和希に任せることにした。
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