第9話 夢のあとさき

 恵太はうなづいた。

「たとえば、演歌だったら、一度ヒットを飛ばしたら三十年以上もつわ。でもお笑いはそういうわけにはいかず、いつのまにかフェイドアウトしていく人ばかり。

 僕、なんだか自信なくなってきちゃった」

「そんな気弱なことでどうするの」

 気がつけば、実緒はこの夢みがち少年を叱咤激励していた。

「そりゃあ、夢が実現するという保証はないわ。でも、かなり実現してスターになっても、すべてうまくいくとは限らない。有名人ほど、本当のことだけじゃなくて、ないことまで書かれるのよ。といっても、週刊誌が悪いというより、それを求める視聴者にこそ原因があるんだけどね。有名人というのは、常にパパラッチされたり、妙な嫌疑をかけられることもあるのよ」

「俺、今の話を聞いて思ったけど、俺って、人に笑いを与えるお笑いタレントになりたいのかな?

 それとも単に金儲けをする有名人になりたいのかな? 自分でもわからなくなってきちゃった」

「タレントになるということは、能力がならなくては価値がないということよ。

 タレントという言葉の起源はね、タラントという金の単位で能力と言う意味なの。タレント価値があるということは、それだけ能力があるという意味なの」

 恵太は、神妙な顔をして聞いている。

「じゃあ、俺は向いてないかもしれないな。だって、マスメディアというのは、地味、平凡、時代遅れが一番ダメだからな」

「そうねえ、移り変わりが激しいからね」

「でも俺、一度でいいからテレビに出演したいんです」

「私、一度だけテレビに出たことあるのよ。といってもタレント参加番組だけどね。でも二万人の競争率をくぐり抜けたことになってるの」

 とたんに、恵太は目を輝かせ、身を乗り出した。

 そう、その希望に満ちた若者特有の表情、実緒はこれを待っていたのだ。

「えっ、なんという番組?」

「暴ロンブー。ほら、今をときめくロンドンシューズ1号2号と共演したの。

 その当時は、ローカル番組だったけどね。彼らはこの番組でブレイクして東京へ進出したの」

「ロンブーは二人ともスターになって十年になるけれど、素人いじりが上手いね」

「私はまた、何をからかわれたり、失礼なことを言われるんだろうと思ってたけど、全然そんなことはなかったわ」

「ねえ、どんな会話をしたの? 具体的に教えてよ」

「あっ、こんな時間だ。もう一時間近くたってしまったわ。また、かまどに来て下さい」

 実緒が、時計を見るとなんと夜九時をまわっていた。

 恵太が実緒の分まで、支払いを済ませた。

「また、こうやってお話できるといいですね」

 恵太は、一礼をして実緒の元を去って行った。

 実緒は、恵太の夢の行方を祈るしかなかった。


 帰宅すると、奈緒が少し興奮気味に実緒に話しかけた。

 実緒は父親とはあまり話をしないが、奈緒とは親友感覚で話をする。

 実緒の母親が亡くなった分、押しつけがましくないところが、話しやすいのだろう。

「実緒ちゃん、今日ホストらしき人にキャッチされちゃった。でも、身分証明がないから行かなかったけどね、でも名刺もらっちゃった」

「奈緒姉ちゃん、うっかり行っちゃダメ。最初は無料で二回目は、百万円のシャンパンを要求されたりするケースもあるわ」

「実緒ちゃんは行ったことあるの」

「まあ、時々ね。でも二十歳前後の人ばかりよ。平凡な人の集まりね。なかには大学生もいるし、元美容師やパティシェだっているわ」

「えっどうして? 美容師やパティシェも専門学校を卒業しなきゃなれないんでしょう」

「やはり、うまくいかなかったんじゃないの? なかには、大学の学費稼ぎのために

働いている人もいたわ」

「どんな話するの?」

「別に特別な話じゃなくて、日常生活的な話よ。学生のコンパみたいなものよ」

「楽しい?」

「まあ、好みの人がいれば、楽しいわね」

 実緒にとっては、気分転換だが、奈緒にような年頃だと、人によっては結婚をせっつかれハマる状態になる可能性大である。

 無理に高価なボトルでも取らされたら、大変なことになる。

 奈緒が、ポケットから角の丸い名刺を取り出した。

「見て。こういうのもらっちゃった」

 実緒は、あっと声をあげた。

 なんと、さっき会ったばかりの恵太の写真が、左下に載せてあり‘恵多’と明記されている。

 信田のおばさんと酷似した目許といい、これは紛れもなく恵太でしかない。

 恵太がお笑い芸人志望なんていうのは、最初から嘘であり、ホストとして指名をとるための手段だったのだろうか?

 実緒は、一度恵太に問い詰めたいと思った。

 

「今日は、話しがあるんだけど」

 妙な形相で、信田が実緒の前に立ちはだかった。

「あんたは、いつも私の言う通りにしてくれたことが一度もないじゃないか」

 実緒は呆れるのを通り越して、不思議に思った。

 私は信田の部下でもなければ、召使いでもないのである。

 私には私の仕事があり、信田のペースに合わせ、ご機嫌をとっている余裕など私にはないのである。

 やはり、信田は狂っているのだろうか?


 ふと見ると、オープンカフェの前でビラ配りをしている。

 なんでも、ある関東の大学でデモをして、捕まり逮捕された人がでたというのだ。

 保釈金が二百万ばかり必要らしい。

 学生運動というと、五十五年ほど昔は盛んだったらしい。

 京都大学など一流大学で、バリケードを張り学生が乱闘する。

 なかには、負傷したり死亡者もでたという。


 しかし、それも時代と共におさまったが、今でも後遺症の残っている人は存在するという。

 実緒は、人間のつくった社会運動では解決しないのではないか。そしてそれが昂じて、戦争になるのではないかと想像できる。


 現在は百年の一度の不況と言われている。

 しかし、戦争だけは反対だ。

 昔、日本は全世界を征服し、大日本帝国をつくるのだと戦争を始めたが、惨敗に終わった。

 その当時、キリスト教の牧師になろうとした人は、大反対され嘲笑されたらしい。

 東京大学卒業の電気会社の管理職の上司曰く

「これから、日本は大日本帝国をつくろうとしているのであり、キリスト教など西洋のバタ臭い宗教などは、消滅するんだ。これからは電気の時代である。

 さあ、牧師の夢などあきらめ、電気会社に留まりなさい」と忠告(?)してくれたこともあったが、東京大学卒業でありながら、結局は皆と同じ意見しかもっていない、話のわからない人だなあと失望したという話を聞いたことがある。


 残念ながら、先ほどの東大卒の管理職の予想はものの見事に破れ、現在は電気事業も好況とはいえない。

 結局、西洋のバタ臭い宗教と嘲笑されていたキリスト教だけが残り、ゴスペルなどに発展していった。


「実緒姉ちゃん、お誕生日おめでとう」

 帰ってくると、実緒がリボンの包みを奈緒に渡した。

 開けてみると、香り高い珈琲の粉だった。

「奈緒姉ちゃんって、酒もそんなに飲まないでしょう。楽しみを増やしてあげなきゃ」

 実緒は、陰ながら奈緒に感謝していたのだ。

「ありがとう。嬉しいな。実緒ちゃんも酒はあまり飲まないことね」

「わかってるわ。あっこの前名刺をもらった恵多さんの店に、家出したクラスメートがときどき、行ってたんだって」

「でも、今は写真付き身分証明証がなければ、ダメじゃないの」

「なんでも、偽造したらしいわ。ミテコらしいわ」

 実緒は、そのクラスメートがどんな子わからないが、容易に想像がつく。

 やはり、男に操られているんだろう。

「そしてその子ね、わざと恵多君を指名して、二百万円のリシャーネを入れさせたあげく、ドロンしちゃったの。結局、恵多君がすべてその二百万円を負担することになったの」

 実緒は、びっくりした。

「恵多君は、どうやって払ったの?」

「そこまでは、私にもわからない」

「恵多君は、今でも働いているの?」

「働いているわよ。なんでも、そういう場合、クラブの取立人が、行くんだって」

「なるほどね、それで身分証明書が必要なのね」

「でも、聞くところによると、取立人が行っても警察を呼ばれると厄介なことになるみたい。警察はホストクラブを目の敵にしてるから」

 奈緒は、話を続けた。

「水商売のなかでも、ホストクラブというのは、一番弱い立場だというわ。

 なんでも警視総監の娘を騙したホストがいて、それ以来警察からは、目の敵にされてるんだって。だから、客がツケをしても、警察を呼ばれたらもう一巻の終わりだって。また有名店は警察もマークしていて、メニューの料金表、売上伝票の提示もあるらしいわ」

 実緒は水商売に対する偏見を強く感じた。

「そうね、世の中って一部に変な人がいたら、それがすべてに影響して、十羽ひとからげになってしまうじゃない」

「でも、この頃就職がなくて、ホストになる若者が多いみたい」

「そうらしいわね。美容学校や調理師学校を卒業して一年未満で辞めていって、続かなくてホストになるという人も多いわ」

「でも、ああいう世界って一年で99%の人が辞めていくんでしょう」

「そうね、だから常に人材不足、繁華街でスカウトされてなった人もいるんだって」

 男性はホストでも成功するが、女性の場合は、すぐアウトローがつくのがオチである。ホストクラブの客は、キャバクラ嬢は減り、風俗嬢が多いという。

 風俗嬢というのは、若いうちが花であるが、この頃は年配者も多い。

 年を重ねるにつれて、徐々にサービス内容が変わり、それと共に心身共におかしくなっていく。実緒が知っている限り、信田がまさにそれにあたるだろう。


 実緒はいつものように‘かまど’へ行った。

 なんと、シャッターに貼り紙が貼られている。

「かまどは、閉店しました。長年のご愛顧ありがとうございました。連絡先はこちらまで」

 連絡先には、ケータイ番号が明記している。

 不況なのは、わかりきっていたが、どういうことだろう?

 しかし、そんなことを考えている余裕はなく、とりあえずかまどの給料をもらって、次の職場を探さねばならない。


 幸い、銀行口座には、給料が振り込まれていた。

 早速引き出し、次の就職先を探さねばならない。

 しかし、目にはみえない不安感が足もとから頭上まで立ち上っていく。

 不安や恐怖は悪魔から生じるものだという。それが多すぎると、被害妄想になったり、自分と合わない人を排除したりするという。

 事実、ビビるという言葉通り、驚愕のあまり思考力を失うと、相手の言いなりになってしまう。

 ビビったり傷ついたりした人が、その精神的ショックを紛らわすために、麻薬に走ったのかもしれない。

 そう、勇気をもって前向きに生きて行こう。

 エイエイオー、実緒は先行き見えない霧のような不安を、吹き飛ばすように掛声をあげた。


「ちょっと、ちょっと、大変。美緒ねえちゃん、聞いてよ」 

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