第8話 世間の怖さをかいま見た

 実緒は、興味津々に聞いていた。

「えっ、どうしてそのインテリアウトローだということがわかるの?」

「廊下に花輪が二つ置いてあって、山吉組組長とか、山吉組秘書と、立派な筆文字で書いてあるの。それもすごく豪華な花輪よ。そのなかでも、ひときわ豪華な白いランの植木鉢が飾られてあり、なんと山吉組組長の名が明記されているの」

 ギョギョギョエーッ 山吉組といえば、日本一の有名アウトロー

 やはりアウトローの世界も、ルックスと知性というわけか。

‘ 人はうわべを見るが、神は心を見る’という御言葉が聖書にはあるが、やはり人をうわべだけで判断してはならない。

 まあ、人相の悪いのほど、下っ端だという。

「ここ暑いねと言われ、振り向いてみたら、めちゃ男前のアウトローだった。

 多分 入院患者がアウトロー組長でその用心棒だと思うんだけど、とにかくカッコいいの。黒いズボンに赤いシャツ、足がすらりと長くて、背が高くて、顔は男前で、まるで映画俳優みたいだったわ」

 悪魔はいつも、光の御使いのようなやり口をするという。

「私、びびった。そしたら、優しそうな声色で言うの。あんなとろけるような、優しい言い方をされたら、私でなくても、興味をひくはずよ。容姿端麗だし、誰でもコロリといくんじゃないの」

 まさに、これこそ悪魔の使いである。

 天使の仮面を被った悪魔とは、このことだ。

 奈緒は、話を続けた。

「まあ、ああいった人は、風俗に売るのが目的ね。しかも、逃げないようにシャブ漬けにするみたい。チャカで脅すことだってあるわ」

「えっ、チャカって何のこと?」

 実緒は、思わず尋ねた。

「アウトローが使う拳銃のことよ」

 奈緒は、サラリと答えた。

 えっ、チャカなんて言葉は、初めて聞く言葉である。

 ひょっとして、奈緒は今まで実緒の知らない世界のなかで生きてきたのだろうか?

「そういえば、この前、学校に講演に来た元ヤクザで現在はいのちがけ牧師から聞いたの」

「えっ、そういえば新聞で読んだことはあるわ。そういえば、アウトローの体験を生かして、非行問題に取り組んでいる牧師でしょう」

 奈緒は話を続けた。

「その元アウトロー牧師の話によると、いじめもひきこもりも根っこは同じなんだって。要するに、自分自身も周りの人も見えていない。その場そのときだけの都合しか考えていない。人間は、思考力がなくなったとき、そうなるって」

「そういえば、パソコンのコピペをしていると、思考力がなくなるというわね」

「私の学校でも、レポート提出をコピペしてた子がいてたけど、文体が違うからすぐバレルし、今は、検索するソフトも開発されてるんだって」

「そうよ。物まねはいずれバレルときが訪れるわ。人間は考える葦であるというのは、パスカルの言葉だけどね。まず、自分で考えた拙い文章でも、自分だけの言葉だけで表現しなきゃね。そりゃあ最初は受け入れられないけれど、努力しているうちに、まわりが追い付いてくる筈よ」

 奈緒は、納得したようにうなづいた。


 実緒がかまどに出勤すると、なんとロッカーの前に血が点々とついている。

 ロッカールームには、信田がいて血を吐いているのだ。

 実緒は思わず無言のままだ。

 しかし、十秒もすると血はやみ、いつも通りの信田に戻った。

 発作がでたのだろうか。とすると、やはり信田は重症の中毒者だったので、後遺症が出たのだろうか。謎である。


 信田は佐伯の前に立ちはだかった。

「なあ、佐伯、あんたはいつも私の思い通り荷物を置いてくれたことが一度もないじゃないか」

 私には私の都合があり、時間配分がある。

 私は、信田専属の召使でもあるまいし、信田の希望に添えなきゃならないんだ。

 ひょっとして、信田は堅気仕事をしたことがないのだろうか?

「信田さん、かなり勘違いしてるんじゃないですか。この荷物運びは本来、信田さんの仕事です。それが、店長の命令で特別にお手伝いしてあげてるんですよ。

 言っとくけど、私には既に私の仕事があるんですよ」

「今まで、一分でも手を休めたことがあったか?」

 信田は怪訝そうに尋ねた。

 どうやら、信田は荷物運びは実緒は仕事だと信じて、疑わなかったらしい。

「そんなこと、知りませんよ。それこそ店長が決めたことなんだ」

 以前、信田は残業をさせられ、実緒にタンカを切ったばかりである。

「こんなことは、店長かチーフが決めることだ。お前が言うのは十年早いわ」

 形相を歪め、わけのわからんことを、一人で怒鳴っているのを見ると、やはり信田は狂人なのか。

 それともよほど、世間に苦しめられてきたのだろうか。

 まるで、ドアマットのように踏みつけにされた人生をおくってきたのだろうか。

 信田のような女を、地獄行きの泥沼の女というのだろうか。

 ドラマの中の世界を、現実に間の辺りに見せつけられた思いだ。


 しかし、やはり信田の異常ぶりは日が経つにつれて増してくる。

 やはり、信田は脳だけではなく、身体にも異常をきたしているのだ。

‘堕ちるつもりか同じ世界へ 戻るしかない元の世界へと’

 その言葉が身に染みる。

 やはり、世間は知っとくべきだ。


「もしもし、あなた佐伯実緒さんですよね。僕、信田の息子の恵太といいます」

 帰り道、紺のスーツのサラリーマン風の男に声をかけられた。

「母が、いろいろご迷惑をおかけしていることと、推察いたします」

「あのう、どうして私のことを知ってるんですか?」

「僕、ときどき‘かまど’に行ってるんですよ。この前、中華丼食べました。

 野菜の味がしみこんでいて、美味しかったです」

「お客様だったのですか? それは気がつきませんで失礼いたしました。

 あっ、そういえばこの前 二人連れでいらしてましたね」

「覚えてて下さったんですか。よかった。立ち話もなんですから、そこのカフェで話しませんか? もちろん奢りますよ」


 恵太と名乗る青年は、信田とは雰囲気はまったく違うが、やはり目許が似ている。

「すみませんね、こんなところに呼び出して」

 急に、恵太は机に頭をこすりつけた。

「ごめんなさいね、母がいろいろご迷惑をかけ、傷つけたでしょう」

 実緒は、驚きというより半ば呆れながら言った。

「頭を上げて下さい。あなたとは直接関係のないことでしょう。

 親の因果が子に報うなんて、矛盾していると思います」

「でも、僕、こうしなきゃ気がすまないんですよ。相手の人生をも傷つけてしまうのかと思うと」

「大丈夫ですよ。私、そんなことで傷ついたりするほどヤワじゃないから」

「なら、よかった。佐伯さんって呼んでいいですか」

 急に恵太は、フランクになったが、この男、一体何者?

 まあ、信田の息子には違いがないだろうが、ひょっとしてキャッチセールス男?

「実はね、僕、お笑い芸人目指してるんですよ」

「じゃあ、養成所にでも通ってるの? でもああいう世界は、デビューできるのは、学年千人につき一人の割合だというわ。

 まあ、年によってはデビューできる人は一人もいないともいうわね」

 恵太は、神妙な顔で言った。

「それはよくわかっています。実際、僕才能ないって言われてるんです。でもこの道しかないと決心したんです」

 実緒は、あきれ顔を隠しながら、恵太をまじまじと見つめた。

「聖書の言葉に『狭き門から入れ。滅びに至る門は広く大きいだろう』と言うわ」

 恵太は答えた。

「確かに養成所は、非常に広い門であり学歴、年齢、経歴を問わず、誰でも入学できるということは、重々知っています。

 僕は、この世に絶望して、一度自殺未遂を図ったんですよ。そんなとき、キングコン〇の漫才を見て、世の中にこんな面白いものがあったのかと感動し、自殺を思いとどまったんですよ。

 そして、今度は僕が世の中に面白いものをつくりだし、自殺防止に貢献できたらと思うようになったんです」

 実緒は、いい話だなと感心した。

「まあ、目に見えるものだけが、プレゼントじゃないわね。

 しかし、生きがいができたということは、生きる希望にもなるわね。

 まあ、趣味に範囲でするならいいが、芸能界はひどい競争世界よ」

「はい。それも承知しています。僕、昔ディスコと呼ばれる場所で、昼間、ベテラン漫才師の西川のり〇が漫才してたけど、全くウケずにシーンと静まり返っていたの。そこで司会者が気をきかせ、この男は、昨日刑務所から出てきたばかりの男ですとかといって、なんとか笑いをとろうとしたけど、相変わらずのシーン状態。

 そこでのり〇は、それを突破するために、相変わらずのだみ声で『皆さんは幸せですよ。こんな世界的大スターを目前に見れるなんて。私はアイドルの恋人です』なんて言って、笑いをとろうとしたけど、それでもシーン状態でしたね」

 実緒は、うなずいた。

「客席シーンというのは、芸人にとってはクビを宣告されたのも同じ。

 がっくりとうなだれ、死刑宣告された囚人のようにように真っ青な顔をしてたんじゃない」

 恵太は、少し薄ら笑いを浮かべながら言った。

「そうですね。でもこのことは、同時に新人の活躍のチャンスでもあるんですよ。

 ベテラン漫才師のスキができたということは、入り込むチャンスができたということでもある。

 新人が一組入ったら三組消え、その新人がスターになると十組が消えていくシビアな世界。特に笑いは消え物といって、同じ笑いは二度と必要ないし、明石家さん〇曰く、お笑いのような色物は、決して主役になることはなく、あくまで脇役の主役のための引き立て役。ちょうどさしみのつま、ホウレンソウにトッピングされたかつお節のようなものよ。あってもなくても困りはしない。いや、むしろ捨てられてしまうことだってあるくらいですよ」

 

 


 












 

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