第4話 高校生を狙う麻薬の誘惑
「申し訳ありません。気をつけます。信田さん、静かにして下さい」
すると、信田は何を思ったのかカウンターからホールに出て、実緒の腕をつかんで、引っ張りドアを開けようとした。
実緒を、店から追い出そうとでもしているのだろうか。
「おばさん、やめとけ」
客がなんとか、信田を制している。
しかし、信田は耳に入らないらしい。
「警察を呼びましょうか」
実緒の声で、信田はようやく力任せに引っ張っていた腕を離し、笑い出した。
「ハハハ、警察だと。警察を呼んでみい」
たとえ冤罪でも、一度でも警察に連行された人間は、警察の取り調べがどんなに厳しく高圧的なものか身に染みているので、ピクリとびびった表情をする筈だ。
しかし、まるで別世界の出来事のように、高笑いをするということは、どうやら信田は、警察の厄介になったことがないらしい。
たまりかねて、店長が言った。
「信田さん、今回だけは大目に見るが、次からは減給処分ですよ」
いくら弱味を握られたコネ採用だとはいっても、まるでこれでは信田の天下じゃないか!?
しかし、世の中というのは、どうしてこう矛盾に満ちているのだろうか。
リストラ派遣切りとかいって、まじめに働いていた大卒社員が職を失っているというのに、信田のような不幸な過去があり、狂った女がおかしな言動をやらかしても、減給という措置で済まされる。
それとも、神は信田を憐れむあまりに軽い処分にし、大卒社員はまた、復活できるというチャンスに恵まれてるから、試練を与えているのだろうか?
それが真実だったら、神は一見、不公平で矛盾しているようで、実は目に見えないところまで、内部事情を知っておられるのだから、神の恵みを公平に与えてるということなのだろうか。
不思議としか言いようがない。
実緒は、兄親子と同居することになった。
兄の娘、実緒のめいにあたる子‐奈緒は、現在十七歳の高校二年生である。
実質上、実緒が家事一般を引き受けてる関係上、主婦代わりである。
兄の嫁は、半年前に進行性がんで病死してしまった。
がんというのは、若ければ若いほど進行が早く、身体全身にまで転移してしまい、気づいたときには手遅れだったという。
さすがにそのときは、兄はがっくりとしていたが、結婚していた期間が、二年間と短かったのでいつまでも落ち込んでいられない。
もしこれが、何十年も連れ添った相手だったら、悲嘆にくれるだろうが、兄の吉雄は、もう過去のこととして割り切っている。
しかし、結婚式の写真をまだ、飾っているのを見ると、よほど亡き嫁を愛していたのだろう。
「実緒姉さん、麻薬ってどう思う?」
突然、姪の奈緒に質問されたとき、実緒は一瞬とまどった。
「えっ、どうしてまた? 麻薬関連の子がクラスにいるの?」
奈緒は私立の共学校に通っている。
「それらしき子に出会ったの。もうすでに、一部では噂になっているわ」
「えっ、どういうこと? 詳しく話して」
奈緒は実緒のことを、気安い年上の友人以上のカウンセラーのように接している。
奈緒の母親ではないから過度の期待もしないし、自分の価値観を押し付けることもそうないし、年齢も近いから話もまあ合うので、逆に話しやすいかもしれない。
「私が友達に紹介されて知り合った子なんだけどね。結構、派手な子で、クラブに行こうなどと誘ってくるの」
「クラブって、昔のディスコみたいなところでしょう。私も高校のとき、二、三回行ったけど、今とは時代が違うからね。私たちの時代のディスコだったら、ただ踊るだけだったけど、今のクラブだったら、麻薬の売買とかあって、警察の監視もうるさいんじゃないの。
なんでも十四歳の女子が、麻薬欲しさにクラブに通ってるなんて話も聞いたことあるわ」
実緒の時代はまだ、酒も煙草も規制が緩く、大人の真似事としてまあ大目に見てもらえる部分があったが、麻薬はそれとは次元の違う、日本ではれっきとした犯罪である。
アメリカやオランダでは合法でも、日本では犯罪であり、ちなみにメキシコにおいてエリートというのは、麻薬を辞めた人のことを指すという。
「私の体験だけどさ、その子はクラスに友人とかいるの?」
「一応、いるみたい」
「だったら、クラスメートを誘えばいいじゃないの。なのに、つきあいのない奈緒を誘うなんて不自然よ」
「それもそうね。この前、その子とその子のクラスメートと三人で、マックに行ったの」
まあ、マックぐらいなら、高校生らしいな。
「三人で珈琲とかハンバーガーを頬張ったんだけどね、その子のクラスメートと私は全くの初対面で、お互いの名前すらも知らないの。
なのに、その子を目の前に、その子の愚痴を言い始めるのよ」
「女性が、初対面の人に愚痴をこぼすのは、よほどの傷とショックを受けたときよ。で、愚痴の内容はどういったこと?」
「とにかく、わがままで自分勝手なのね。トイレについていってとか、また、移動のときでも平気で待たせたり、全く人を自分の都合で平気で使おうとするの」
「多分、その子は自分勝手だから、日常の場面で、あまり人から相手にされない。
だから、奈緒ちゃんを誘っているのかもしれないな」
「そうかもね。じゃ、私はその子に、利用されてるだけじゃないのかな?」
「遊び友達というのは、自分の遊びに相手を利用している場合が多いわ。
昔、流行った麻雀友達というのは、相手が弱くて金を巻き上げようとするのが目的の場合が多いみたいね」
「だから今、麻雀で流行らなくなったのかな?」
「それもあるでしょうね」
実緒は、軽いため息をついた。
現在は、麻雀よりもパチンコやスロットの時代だ。
時代は変わっても、人のギャンブル欲は変わりはしない。
そのとき、奈緒のケータイが鳴った。
「えっ本当? じゃ、今から行こうか?」
実緒は、口を挟んだ。
「わかった。今の電話、さっきの子からでしょう?」
奈緒は、驚いたように言った。
「えっ、どうしてわかるの?」
「なんとなくよ。この近くに来てるから会いたいなんて、言ってるんでしょう。
それは、奈緒ちゃんを試してるのよ」
「そうなのかなあ」
奈緒は、考え込んでいる。
「おかしいと思わない? 急に会いたいなって。誰だって都合があるじゃない」
「それもそうね」
「奈緒が、自分のいいなりになってくれる人かどうかを、試してるのよ」
「じゃあ、その子とつき合うのは、その子の召使いになれってことなの?」
「まあ、それを覚悟することね。だって、矛盾していると思わない?
仲良くもないのに、クラブに誘ったり、偶然立ち寄ったから会いたいとか」
「そうね」
奈緒は、しばらく考え込むような顔をした。
「ところで、さっきの子と麻薬とどんな関係があるの?」
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