後編

 ちょっとだけひらいたカーテンのすきまから光が差し込み、わたしの顔を照らしている。もう朝か。早く起きないと学校に遅刻してしまうな。まだ寝足りないと駄々をこねる体にムチを打って上体を起こし、大きく伸びをしたところで、わたしはあることに気がついた。あれ、なんで生きているんだ? おかしいなあ、太陽や地球もろとも吹き飛んだはずではなかったか……。


 はっ、まさか、ここは異世界なのか! 異世界に転生してしまったというのか! ということは……わたしはいつの間にか……異世界転生教の信者になっていたのか! 入信したつもりはない、神に祈りを捧げたこともない。というか神って誰だ? 元の世界の神か? それとも異世界の神なのか? どちらにせよ祈ったことなどないはずだ…………まさか地球そのものが神だというのか? 地球に感謝の言葉を送る行為が祈りとみなされた、とは考えられないだろうか。それとも太陽か。太陽を神として崇拝するという行為は、古来より世界各地に存在しているというからな。


 まてまて、落ち着け。こういう時こそ冷静になるんだ。判断を下すには情報が足りていない。まずは身の回りの状況を把握するために──指さし確認をしよう。


 まずは右みてー、机です。学習机。小学校に入学するときに買ってもらった木製のやつだ。こどもに人気のアニメキャラクターのマットが敷かれていて、ランドセルと同じくシーズンになると売り出されるんだよな。つくりががっしりとしていて、高校生のいまでも問題なく使えるほど丈夫だ。小さいころにペタペタと張り付けたかわいらしいシールが残っている。


 お次は左みてー、壁です。なんの変哲もない白い壁紙。わたしは寝相がわるくてしょっちゅうぶつかるんだ。まあ、逆側にいけばベッドから転げ落ちてしまうから、まだましと言えるかもしれないが。


 さらに上もみてー、天井です。LEDシーリングライトが、わたしを見下ろしている。ヒトの顔に見えるようなシミは……とくに見当たらないな、よかったよかった。


 最後に下みてー、布団です。ん? かけ布団の上になにか──これは、昨夜わたしが食べていたポテチの食べカスではないか!


 ということはやはり、ここはわたしの部屋で間違いない。つまり異世界に転生したわけではなかったのか! ならばなぜ生きているんだ? 地球も太陽も無事だったということだよな……いや、そう考えるのはまだ早い。じつはわたしの部屋は超新星爆発にも耐えられるシェルターになっていて宇宙空間を漂っている、とも考えられる。


 ここはいったんネットの情報を仕入れてみよう。


『異世界転生教、大歓喜! 念願叶ったと喜びの行進をはじめた集団が車道を占拠し、警官隊に排除される事態となった』

『オカルトマニアは語る。惑星や恒星をひとつの生命体とする説がありますからね。一応筋は通っているかと』

『天文学者によれば、居住可能区域を外れなかったのは不幸中の幸いだった。地球が灼熱の星か、極寒の星になっていた可能性も考えられる、とのこと』


 なんのこっちゃ、さっぱりわからん。


 うーむ、まだ情報が足りないな。自分の目で外の様子を確認せねばなるまい。わたしはベッドからおりて窓のそばに立ち、勢いよくカーテンを左右にあける。顔のまえに手をかざして目が慣れるのを待ってから外の景色に目を向けると、そこには見慣れた平和な住宅街がひろがっていた。異世界でも宇宙空間でもなく、いつもとなんら変わらない街並み。窓をあけて顔を出すと、心地よい風がわたしの髪をなでながら部屋へと入ってくる。カー、カーとカラスの元気な声が聞こえてきた。昨日のことがまるで夢だったかのように、住宅街はいつも通りのすがたを見せている。


 わざとらしいくらいにな。わたしはだまされないぞ。地球滅亡騒ぎがあったというのに、これはさすがに不自然ではないか。きっとなにか変わったことがあるはずだ。よし、こういうときはあれしかないな。そう、指さし確認だ。


 まずは正面、南から。わたしの部屋は二階の南向きなのだ。うん、雲ひとつない青空とはまさにこのこと。清々しい快晴です。これといって異常なし。


 お次は右みてー、西です。こっちも特に異常はないかな──はっ、まずい! わたしはさっとしゃがんで身を隠す。キャンキャンと犬の鳴き声が聞こえてくる。ふぅー、危ないところであった。近所のオバサンが犬の散歩をしていたのだ。さすがのわたしも指さし確認を見られるのは恥ずかしいからね。鳴き声が遠ざかってから顔をのぞかせて安全確認、よし。


 では気を取り直して左みてー、東です。今日もふたつの太陽がまぶしいぜ。だいぶ高く昇っているから、これはかなり寝ていたようだ。学校があったらとっくに遅刻している時間だろうな。あ、そうそう、太陽を直接見てはいけないよ。目をわるくする危険があるからね。わたしは日食を観察した時に使った専用のメガネを持っているから平気なのだよ。


 そして最後の北は……見えないけどおそらく異常なし! きっと平穏無事です!


 よし、指さし確認終了。東西南北異常なし。今日も日本は平和です。いやー、ここまでなにもないということは、やっぱり昨日の騒ぎは夢だったのかしら。


 ──え、見落としてる? なんでそんな簡単なことに気づかないのか? そんなバカな! わたしの指さし確認は完璧のはずなのに。わたしは腕を組みながら首をひねった。目を閉じて落ち着いて思い出す。さっき見た光景のなかに違和感があるはずだ。こんなとき推理小説の名探偵ならば、その違和感に気づいて華麗に事件を解決するのだが……。


 まてよ……わかったぞ! しばらく考え込んでから、わたしはあることに気がついた。太陽がふたつ! これが違和感の正体だったんだ! ──って、さっきはどうしてわからなかったんだ、こんな簡単なことなのに! これじゃあ名探偵どころか小学生だって悩むわけがないよ!


 コペルニクス的転回によって解答を導き出したわたしは、もう一度太陽を観察するために窓から顔を出し、専用のメガネを目に当ててまじまじと見つめた。間違いない、ふたつある。太陽が連星になったんだ。


 この不思議な現象の理由について、わたしなりにいくつかの仮説を立ててみることにしよう。


 仮説その一。『太陽は双子だった! 生き別れの兄さん!』説。じゃあいままでどこにいたんだよ。滅亡を逃れた理由にもなってないし。

 仮説その二。『太陽が分裂! じつはアメーバ的な単細胞生物だった!』説。だから分裂したってどうにもならないんだって。

 仮説その三。『衝撃波が外れた! ふっ、それは残像だ……』説。残像と一緒にまわってたらかわせないし。


 うーむ、どれもパッとしないなあ。ま、考えたってわかるわけないし、くだらない妄想はこれくらいにしておこう。ネット民の見解でも調べてみるかな。


『地球と太陽、丸ごと一緒に転生説! 地球も太陽も生命体ならば転生は可能なはず。もとの世界の太陽とこちらの世界の恒星が連星になったと考えれば、太陽がふたつになったことの説明はつく。地球上の生命は地球を構成する細胞のひとつだとみなされ、まとめて転生できたのだ』


 なるほど、地球も太陽も、地球上の生き物も一度滅びてから異世界──というか別の宇宙──に転生したってことか。もしかしたら火星とか木星とかもいっしょに来ているのかもしれないね。こっちの宇宙の地球もどこかに存在していて地球人が住んでいたとしたら、異星人との初遭遇ということになるのかしら。あくまで仮説にすぎないだろうけど、なんだか妙な説得力は感じるね。


 事の真相はさておき、スケールが大きすぎていまひとつピンとこない。そこで友人たち──ふたりしかいないよ文句あるか──の安否確認でもするとしようかな。


 さて、恋する女子は破局したのかな──なに、カレシと一緒に登校しただと? そんなバカな! 滅亡か破局の二択ではなかったというのか。真実の愛だとでも……そんなものは認めないぞ……。


 水泳に青春をささげるほうはどうかな──夢中で泳いでたら朝になってた? やっぱりマグロだよ! 来世、前世どころか、現世でもマグロだったよ!


 ん、いまなにか、またしても違和感があったような…………登校だって? え、今日学校あるの? うそでしょ、政府のお偉方も大混乱しているであろうこんな日に。いやー、先生方はプロだね。平時は山のような宿題や予習復習を強要し、非常時にも授業を敢行する。まさしく生徒たちを苦しませるプロ。


 太陽が増えたというのに、社会はいつもと変わらないのね。たくましいというべきか、危機感がないというべきか、迷うところだな。まあ、このままひとりで愚痴っていてもしょうがないし、学校に行くとしますか。


 本当に地球丸ごと転生したのか、じつは長い夢でも見ているのか。結局のところ、なにが真実なのかわたしにはわからないけれど、はっきりしていることがひとつだけある。わたしは部屋を出て階段をおりた。そしておなかをさすりながら言った。


「おかあさーん、おなかへったー。朝ごはんはー? それにおべんとー」

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女子高生と地球最後の夜 椎菜田くと @takuto417

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