第144話 幕引きと幕開け②

「ぱ、パパパパパパパ……!」


 パパ──先ほど出会ったばかりの幼女から発せられた……その心を溶かすような音は拓人の脳をショートさせるのに十分だった。


「いいんじゃないか? 『パトロン』も父を意味する言葉から派生したもののようだし」


 はたから見ていたエレンが無責任に相槌を打った。


「ダメじゃろ! 色んな意味で危ないニオイがプンプンするぞ!」


「──ダメなの? パパ?」


「うっ……」


 ジェラスの背丈は拓人や今まで現れた精霊たちよりも少し低い。そのため、拓人は上目遣いで訴えかけてくる潤んだ瞳を直視しなければならなかった。


「くっ……! さすが【七人ミューズ】の中でも一番甘えたがりのジェラス……距離の詰め方がロケットバズーカですね……」


「いや、あれは甘えたがりというか、ただの魔性……」


 アンとレジーの会話は二人だけの世界に入ったジェラスと、閉じ込められた拓人には届かない。


「じゃあ、『パトロン様』と『パパ』……どっちがいい?」


 ダブルバインド。そんな言葉が観察を続けるエレンの頭に浮かんだ。


「う……ぬぅ……」


「どっちかに決めてくれないと、やだよ?」


 退路を絶たれた拓人は決断を強いられる。『パパ』か、それとも『パトロン様』か。選ばれたのは──。


「──ぱ」


「ぱ?」


「パパ……で」


『パトロン様』よりも『パパ』のほうが親しみやすい──と心の中で捏ねた理屈は本音か、はたまた建前か。結局、彼は生前ついぞ呼ばれることの無かった甘露なる響きのほうに堕ちるのだった。






「元が布だから踏まれても平気……というわけにはいかんかった……か」


 拓人はジェラスとの出会いの挨拶……というには少々危険な会話が終わって、マッドの精神が抜け落ちたボロボロのゴスロリ服を見つめていた。


「ごめん、パパ。パパとおんなじように治そうとしたんだけど……ジェラスが、やっぱり半分しかできなかったから……」


 うつむき、涙を溜めるジェラスの肩にレジーが手を置いた。


「それは違う。ボクの魔術でも無くなった命までは元に戻せない。コピー元になった、ボクの……力不足」


 黙祷のような沈黙が一同を包む。拓人とアンは黒い石を破壊して油断していた自分を、カムダールはディレクの実力を見誤ったことを胸の内で戒める。他の面々もこの戦いで力不足であることを実感し、そのことを悔いた。


「私たちと一緒にいたマッドどのの記憶は、本体の彼へと受け継がれるでしょう。もちろん、ともに旅をした彼のように接してくれるとは……限りませんが」


「次に会う時は……敵同士かもしれんな」


「もし彼が私たちとの歩みによって何かを得たのだとしたら……その内のただの一片でも術者本体に、その『何か』が残るといいのですが……」


 拓人はアンの言葉に静かに頷く。それがきっと、あの残虐ぶりながらも妙に人情味のあった【装女王ハートアリス】の生きた証になるのだろう。


「なら、ワシらも残せるものを残すとしよう」


 カムダールさん、と拓人は彼女を振り返りつつ呼びかける。


「グランセントラルが、この世の中心を名乗るからには……もちろん世界でも指折りの仕立て屋さんもいらっしゃるのですよね?」


「もちろん……あ、それってつまり〜〜」


「ええ。ワシはこの【装女王】を直して、着続けようと思います」


「なるほど、さすがタクトどの!」


「うげ……」


「貴君、それはちょっと……」


「パパ、ステキ!」


「良いと思いますよ〜〜」


「タクトちゃん、意外と重いのね……」


「だいぶ引きますぅ」


「賛否……両論ッ!」


 わりと辛辣な反応も飛び出したが、拓人の心は変わらない。


「形見のようなもんじゃよ。ドン引き組が想像しとるような湿度の高い感情は無いわい。ただ、ここで服を手厚く葬って埋めるのは何だか変な話じゃし、捨てるのもしな」


 拓人はマッドだったものに付いた土ほこりを優しく払って、小脇に抱えた。


「さて……」


 そして、残る課題──気絶したディレクと彼が乗ってきた馬女性の姿を見つめるのだった。

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