第143話 幕引きと幕開け①

 全身が老人から幼女のものへと戻ると同時に、拓人は倒れた。まるで力が入らない。緊張と使命感とアドレナリンから解放された体は激しい痛みと緩やかな脱力感に支配されていた。


 ──みんなは、戻れたんじゃろうか。ワシと同じように。


 ただ、それだけが心配だった。


「う……」


 不意に温かい感覚が拓人の身を包む。レジーのシャボン玉が与えてくれる安らぎに似ていた。だが、彼女は魔力切れを起こしていたはずだ。


 ──なら、これは……。


「パトロン様! 起きて! うぅ……死んじゃやだよぉおおおおお!」


 声をかけてくれているのは、拓人の新しい精霊であるジェラスだった。


 ──良かった。彼女は元の姿に戻れたのか。


 まず、そのことに安堵した。


「ファイトです、ジェラス!」


「貴君なら、できるはずだ」


「う、ぅぅぅぅぅうううう! やっ、やっぱりダメ! ジェラス、半分しかできないから……」


「半分しか、じゃなくて、半分も、でしょ? ボクの魔術貸してあげてるんだから、できないなんてことない」


 アンとレジー、それにエレンの声も聞こえる。彼女たちの言葉から、拓人は今の状況をなんとなくだが理解した。


 ジェラスが、ディレクの魔術をコピーしていた時のようにレジーのシャボン玉の能力を使って拓人を治しているのだ。


「リラックス、リラックス〜。落ち着いてやれば絶対できますよ〜」


「か、カムダールさんの言うとおりですぅ! アナタはアタシたちを助けたすごい人なんですから、必ず治せます!」


「純粋に誰かを想う乙女に不可能なんてないわ!」


 カムダール、エロース、ライデンも励ましの言葉を送る。彼女たちも、拓人が倒れている間に自分の姿を取り戻すことができたようだ。


 ──頼んだぜ。絶対、治してやれよ。


 最後に聴こえたその声だけは、きっと幻聴だったけれど。


 痛みが少しずつ引いてきたのを感じると、拓人はすっくと立ち上がった。心配そうに見つめる仲間たちを少しでも早く安心させるために。


「す、すまん。心配かけたな、みんな」


「た、タクトど……」


「パトロン様あああぁぁぁぁぁぁ!」


 歩み寄るアンよりも先に拓人に抱きついたのは、新入りのジェラスだった。


「あぐぅ!」


 いくら幼女とはいえ、力を込めて抱きしめられると病み上がりの体には堪える。それに治癒能力は、やはりレジーの『半分』らしく、その一撃で治ったばかりの骨に響いた。というか、ヒビが入った。


「おお……ありがとう。ワシのために頑張ってくれたんじゃな。ジェラス……と呼んでもいいかの?」


「うん!」


(魔力が回復したら、後でこっそりワシの体を改めて治してくれんか?)


 拓人はそんな想いを込めてレジーにさりげなくアイコンタクトを送る。考えはおおよそ伝わったようで彼女は静かに頷いた。


「タクトどのを独り占めしてはダメです……と言いたいところですが、ジェラスが助けてくれなければ私たちは全滅していました。今回タクトどのの身柄はあなたに譲りましょう」


「いや、勝手に譲らんで欲しいんじゃが……」


 渋々と言った感じで頷くアンに拓人は静かに抗議する。それでも彼は表情を緩めて手を伸ばし、彼女の頭を優しく撫でた。


「そういうアンも、精一杯頑張っとったじゃないか。本当に、いつもありがとう」


「……う、こちら……こそ」


 柔らかな表情の拓人と顔を赤くしたアン。二人の顔を何度か交互に見比べてから、ジェラスは少し不満げに頰を膨らます。


「むー。パトロン様!」


「おお、すまん」


 こっちを見て、と言わんばかりの彼女の呼びかけに拓人は思わず謝ってから、その瞳に視線を戻す。


「そういえば……そのパトロンというのは……」


 確か『芸術家などに経済的な援助を行う者』を意味する言葉だったはずだ、と拓人はおぼろげながらに思い出す。しかし、どうしてそんな呼称が自分に向けられているのかわからない。


「彼女は女優志望なんだ」


 エレンが代わりに説明した。


「エレンも……もう平気なのか」


「おかげさまでね。すっかり良くなった」


「それで、女優というのは……」


「そのままの意味さ。彼女の夢は立派な役者になることなんだ。他人の能力をコピーする【特異氾面まじゅつ】もその表れでね。彼女は、精霊術師として魔力を与えてくれているタクトのことを後援者に見立てているのだろう。当方はそう推理するよ」


 女優、かつて彼女たちがいた『七人だけの世界』でそんな職業に憧れる者が現れた──その事実は拓人をなんだか不思議な気分にさせた。


「しかし、パトロンというのは……」


 あるじ、と同じくなんだか贅沢な呼ばれ方のような気がした。裕福な身分を表す言葉はどうにも落ち着かない。


「じゃあ……」


 あどけないながらも、どこか妖美な色を携えた目を少しばかり細めながら、ジェラスは口元で小さく弧を描いた。


「これからはパトロン様のこと──って呼ぶことにするね」



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