第141話 ……になってしまえ

 ディレクの演じる『役』……ボンヘイ・ドライプライドの魔術は回復能力だった。傷ついた自分の肉体を再生する力。単純にして平凡。レジーの魔術と比べても回復スピードは遅く、他人を治すこともできない。


 だが、それだけでもディレクを補助するには十分すぎた。そのために彼は預言者プレディを演じていた際に槍で刺された傷を治すことができたし、本来の能力を取り戻した時もボンヘイの役だけは捨てなかったからこそ拓人とアンの怒りに駆られた攻撃も受け切ることもできた。


 そして今も彼はその魔術によって、高所から落下したばかりであるのに自らの足で立ち上がり、逃走を図ることさえも可能にしたのだった。


「キミたちの強さと小賢しさには敬意を表すよ! 僕をここまで追い詰めたのは、イヴィ……いや、キミたちが初めてだ!」


 敗走しているにもかかわらず、ディレクは勝ち誇るように叫ぶ。彼には必ず逃げ切れるという確信があった。


 カムダールは石になっている。


 エロースとライデンは役に押し込められているため魔術を封じられている。


 マッドは潰した。


 エレンは眠っている。


 ディレクを最も苦しめた飛び入り参加のジェラスも一輪の花と化し、身動きが取れない。


 レジーも魔力切れを起こしているし、アンは体力に限界がきている。


 ──つまり、あとは……。


 ディレクは、自分のほうへ走り出す構えを見せる拓人をちらりと見やる。


 ──あのリーダー気取りのバカなをぶち殺してやるだけだ。


 もちろん、ディレク自身の魔力も残り少なくなっている。あのまま戦っていれば数分もたたずに舞台は崩壊し、元の姿を取り戻したカムダールたちから総攻撃を受けていただろう。だからこそ彼らを蹂躙するのではなく、戦略的撤退を選んだ。


 ──だが、たった一人ならどうにでもなる。どうにでもしてやる。


 おそらく拓人は【至上の実論リアル・ファンタズム】を使って一気に突撃するつもりだろう。ディレクはそこまで予想を立てていた。


 ──僕がただ逃げるだけだと考えているならば、あまりにも浅はか。負ける時にも一矢報いて爪痕を残すのが主人公としての嗜みだ!


「【至上の実論】ッ!」


 拓人が一歩踏み出したと同時にディレクは振り返り、銃口を突きつけるように彼の姿を指差した。


「【高らかに叫べ、我らが劇団の名は『鯨幕』シアターカンパニー・ホエールズ──即興必殺終劇波ラスト・スポットライト】ッッッ!」


 ディレクが自身に残った三分の二ほどの魔力を込め、術者以外にはけっして目にすることのできない光線を放つ。


 だが──拓人もただ考え無しに突っ込んできたわけではない。


「フッ!」


 一直線にディレクに向かっていた拓人は、一歩右に踏み出し、避けるかのような動作を見せた。もちろん光線の軌道が見えているわけではない。だが、ディレクの今までの戦いぶりを見て、彼がただ逃げているわけではないことぐらい予想はついていた。


「なっ……」


 ディレクが驚いたような表情を浮かべた。しかし……。


「……ああああああんちゃってぇッッッ!」


 その顔は、すぐさま凶悪な笑みに変わる。


「……ぐっ……おっ!」


 何かが体の内側で蠢動しゅんどうするような感覚が拓人を支配する。この奇妙な体験を彼は先ほど味わったばかりだ。


「これは、化け物にされかけた時と同じ……!」


「キミは視線イコール光線の軌道だと考えたのかもしれない! ああ、確かにその通りだったさ。これまではね! だけど、今の一撃は放射状に飛ばしたんだ! 多少ステップを挟んだ程度では避けられない!」


 ディレクはいったん逃げることを止めて苦しむ拓人を心底楽しそうに眺める。


 【即興必殺終劇波】は一つの舞台につき一度しか放つことができない。そのかわり、光線に撃たれた者を好きな姿に変化させることができる。しかもそれは【ジ・グローリー・オブ・エンパイア】の登場人物の姿でなくともいい。ディレクが黒い石の封印から解かれた時と同じように拓人たちを化け物に変えることもできる……本来ならば。


 ──だけど、今の一撃に込めた魔力は少しばかり不十分だ。何でも……というわけにはいかないな。人間以外の他の動物に変えることもできない。


 それでもディレクが全部の力を使わずに三分の一だけ魔力を残したのには理由がある。一つ目は保険として、ボンヘイの回復能力に使う魔力を残しておくため。二つ目は舞台を維持し、拓人たちを『役』に閉じ込めておくため。三つ目は……。


「……タクトちゃん! ……ぐっ!」


 拓人のもとへと駆け寄ってきたライデンが、もう少しで彼に手が届く……というところで見えない壁に弾かれる。そう。三つ目の理由は【即興必殺終劇波】が放たれると同時に生まれる『この壁』を維持することだった。


「無駄さ。スポットライトは僕たちに当たっているんだ。この光の内側には乱入した観客はおろか、他のキャストでさえ侵入することは叶わない。キミたちは黙って、リーダーがなぶり殺しにされる姿をハンカチでも噛みながら楽しむといい」


 ──さて、どんな姿に変えてやろうか?


 苦しみ悶え続ける拓人を見つめながら思案する。


 ──ただ殺すだけではつまらない。戸惑いと絶望を与えていたぶってやりたい。そのためには……うん。この小娘を今よりもうんと年のとった老婆に変えてやろう。老いは人間にとって根源的な恐怖だ。そうだ。どうせなら性別も変えてやればいい。そうすれば、より大きく戸惑い、より深く絶望するだろう。


「よし、決めた! タクト、お前は──」


 ディレクはプレディの役をやっていた時と同じく、死刑宣告をするように彼を指差す。


「ジジイになってしまえええええェェェェッッ!!」


 ──元79歳男性である、連堂 拓人その人を。

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