第140話 一番近くにいる大人

 アンとディレクが落下しようとしていた地点に全速力で駆けつけたのは、【至上の実論リアル・ファンタズム】を発動させた拓人だった。あたり一面に土煙が巻き起こる。砂嵐が晴れた後の景色で立っていたのは──。


「アン、怪我はないかの?」


「は、はい。タクトどのこそ……お、重くありませんか、私……?」


「なんてことはない。鳥の羽か、ふわふわの雪でも抱えとるような気分じゃ」


「……もったいなきお言葉」


 受け止めた両腕をひりつかせながらも、アンの体をしっかりと抱きとめた拓人だった。


「……くぅぅぅぅ! はぁあああ……ふぅううう……」


 地面に転がったまま荒い呼吸をしているのはディレクだ。アンが拓人に受け止められる一瞬の隙を突いたのだろう。カエルになっていた部分は人間の体に戻っていた。そのため下半身が丸々潰れてしまうような悲劇は免れたが、はた目に見て彼に戦う力が残っているようには見えなかった。


「……殺しましょう、タクトどの。この者の力はあまりに危険過ぎます。それにこの者は……マッド、どのを……」


「──それは、できん」


 苦虫を噛み潰したようような顔で言う拓人に、アンは言葉を失った。


「ライデンちゃん。こやつの魔力はどのくらい残っておるかの?」


 まだ魔力の観測技術までには手が届いていない拓人は尋ねた。


「底を尽きかけているわ。でも、コイツのことだもの。何をしてくるかわからない。アンちゃんの言う通り、今のうちに……」


「いいや、それだけはダメじゃ」


 言葉を濁すライデンに、拓人はハッキリと言った。


「どうしてです⁉︎ マッドどのが殺されたのに……たしかに、術者本体はどこかで生きているかもしれませんが、私たちとともにいたマッドどのは……彼、一人だけで……」


 拓人たちと旅をしていたマッドは精神構造とそれまでの本体の記憶を引き継いでいるだけで、存在としては独立している。それが得た記憶は死ぬと同時に本体に帰属されるが、命としては……一個の存在としては無くなってしまえば、それまでだ。アンはそのことを理解しているのだろう。


「そんな彼を殺されたのに……いいんですかッ⁉︎」


「いいわけが、ないじゃろう」


 自らのあるじに対して初めて怒りをにじませたアンの言葉に、拓人はやはり沈痛な面持ちのまま応える。


「じゃが、ワシに人を殺すことは……できん」


「なぜですか! 黒い石を壊した後でも、この様子……情けをかける必要があるとは思えません! それとも地獄に行くことを危惧されているのですか!」


「……いいや」


「ならば……なぜ」


 アンの言うことも、けっして的外れではない。拓人自身、ディレクのことを許すつもりはない。そして神の言うとおり本当に地獄があるのならば、そこに堕ちるような行為を避けたいという気持ちも、もちろんある。しかし、拓人にとって一番の理由は──。


「それは……ワシが──」


 拓人は精霊たちの顔を順繰りに見る。不信感の芽生え始めた目を自分に向けるアン。こちらの様子を真剣な表情で見つめるレジー。疲れて眠ったままのエレン。魔女の役に押し込められ、花になってしまったジェラスを。


「──お前さんたちの


 拓人は今はアンたちと変わらぬ背丈の幼女となっているが、前世では──腐りながらも人生を全うした一人の人間だった。


「ワシはこれでも、みなの手本になりたいと思うとるんじゃ。みっともない姿を見せる時のほうが、多いかもしれんが」


 もし拓人がこの世界にたった一人で降り立ち、ディレクを倒したならば、彼のことを怒りに任せて殺していたかもしれない。


 だが、彼は一人ではない。神から預かった子どもが四人……まだ見ぬ者も含めれば七人もいる。


 殺す、という行為は見せるべきではない──いや、たとえ見られていない場面であっても彼女たちの保護者として、そんなことはできなかった。


「ワシの……ただのワガママかもしれんが」


「……タクトどの」


 アンが、目を丸くして拓人の顔を見つめる。思いが伝わったのだろうか、彼女の瞳の色に不信感はもう無かった。


「……タクトちゃん! ディレクが!」


 それは一瞬の隙を突いた逃走だった。先ほどまでその足は立つこともできないと思えるほどボロボロだったにもかかわらず、ディレクは短距離走のスタート切るような素早い動作で立ち上がり、すぐさま駆け出した。


「……待て!」


 一瞬後にレジーがディレクの体勢を崩そうと、彼の側方にシャボン玉を出現させる。しかし、それは爆発することなく消え去った。


「くッ……そ……」


 レジーの魔力は底をついた。無理もない。深夜に【痛いの痛いの気持ちいいのマゾッホ・サドンデス】の影響を受けたカムダールとエロースを治療し、ディレクとの戦いでも──結果こそ無駄に終わったが──カムダールに治療を施している。先ほどの破裂クラッシュ連鎖爆撃シークエンスが最後の踏ん張りだった。


「ふ……ははは! 最後の最後で運は僕に味方した! 主人公でもないくせに過度なお人好しを発揮するからだヴァアアアカめッ! この負けを通じて僕という主人公はまた成長するッ! 首を洗って待っていろ! 次は必ず勝つ!」


「……タクトちゃんッ!」


 一瞬、呆然としていたライデンは我に返り、拓人に呼びかけた。


「アイツを殺そうが殺すまいが、あたしはもう何も言わない! だけど、逃すのだけは絶対にダメよ! あんなめちゃくちゃな魔術を使うヤツ……次戦ったらどうなるかわからない!」


「──もちろんじゃとも」


 ライデンの言葉を受け取った拓人は、すでにアンの体を下ろし、走り出す構えを見せていた。


「ヤツはワシが……」


 アンたちのために取った選択が、かえって彼女らを危険にさらしてしまっては意味がない。だから、責任をもって──。


「──ここで倒すッッッ!」

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