第139話 約束してくださったのです

「うっ、ぐっ、ぎぅ……おのれぇぇぇぇえええ!」


 人間としての上半身と、カエルになった下半身を両手で支えながらディレクはうめく。その体には、これから受ける全ての刺激を快感に変える針……【痛いの痛いの気持ちいいのマゾッホ・サドンデス】が刺さっていた。


「エロースッ! 『最優』の七服臣である僕を攻撃するなど……裏切り行為だぞ、これはッ!」


 本来なら、臣下同士での私闘は禁じられている。ディレクの言う論理も成り立つだろう。だが、それは彼の『黒い石』が破壊される前までの話だ。


「みんな……みんな聞こえてましたぁッ! 王の命令にはもう従わない、イヴィルヘルムさんも殺す……って! そんな人は、もう七服臣でも、臣下でもありません! ボンヘイ国アタシたちの……敵ですッ! それに……それにッ!」


 目に大粒の涙をたたえながらエロースは叫ぶ。


「あんな姿にされて、めちゃくちゃ怖かったんですからぁぁぁぁぁぁッッッ!!」


 花に変化させられた間も五感は生きていて、動けないままでありながら意識は明瞭……それが【ジ・グローリー・オブ・エンパイア】において魔女エビルマウスが受けた封印。年端もいかぬエロースが味わうには酷なものだった。


「ぐっ……ま、ずい」


 ディレクは針に刺された痛みが快楽に変わり始めるのを感じた。エロースの魔術を無力化しなければ、やがて全ての刺激に快感を覚えるようになり、戦闘どころではなくなってしまう。そのためには──。


 ──また配役を交代させなければ!


 ジェラスによって能力の一部を封じられたディレクは、黒い石を壊される前と同じく【ジ・グローリー・オブ・エンパイア】の土俵でしか戦えない。キャストは八人。マッドこそいなくなったものの、ジェラスが増えたためにこの場には九人いる。降板させたアンを除けば役をぴったり当てはめられるが、現在余っている役は巨人ビッグアイのみ。


 ──ビッグアイは基本的に馬鹿だが、ここぞという時のひらめきは作中で一、二を争う。体を変化させるにしても精神を変化させるにしても持て余すカードだ。僕が主役を降りるのもありえない。


 ならば、必然的にアンに加えて誰か一人を役から解放し、エロースに割り振らなければならない。それを踏まえると、行うべきは──。


「配役交代! エロースくんの役は執事スライだ!」


 レジーとの交代。スライは魔術を使えない役だ。エロースの能力を封じれば、態勢を立て直せる。カエルになった下半身も、改めてボンヘイの体を上書きしてやれば元の人としての姿を取り戻せる。


 ──あの緑の髪のガキは戦闘要員ではなく、回復役だ。そして、その力は僕の前では役に立たない。元に戻したところで大した障害にはならないだろう!


 レジーの回復がディレクの魔術に対応していないことはカムダールを石化した際の一件でわかっている。


「うっ、えっ! あ、アタシ男の子にぃ!」


 エロースの姿がスライのものに変わり、快楽の波が引いていくのを感じたディレクは安堵するように一息吐いた。


「ようし、これで……」


 しかし──ディレクは知らなかった。レジーのシャボン玉が回復や移動だけの機能に止まらないことを。


破裂クラッシュッ!」


「ぶぐぅ!」


 レジーは元の幼女としての姿を取り戻すと同時に、ディレクの顔の下にシャボン玉を出現させ、その顎に一発お見舞いした。


「あ、ぐ、なんだ、これ……」


「そういえばボク、破裂クラッシュを見せる前に魔術を封じられたんだっけ。一回ぐらい見て、知っとけばよかったのに。もし、そうだったら……こんな目に合わずにすんだのにさ」


 破裂クラッシュ連鎖爆撃シークエンス──ディレクの腹部に現れたものを皮切りに、シャボン玉が次々に生まれ、弾け、彼の体を天高くかち上げていく。


「うっ、ぐおおおおおおおおおおおおおおッッ!」


 下半身がカエルになってしまったせいで、全体重を両腕で支えるためディレクは四つん這いに近い体勢をとっていた。それがシャボン玉の衝撃で空へ飛ばしやすい格好だとも知らずに。


「アン、頼んだ!」


「はい!」


 レジーの掛け声とともにアンが飛び上がる。彼女自身のジャンプ力だけでは空高く吹き飛ばされたディレクには届かない。だが……。


破裂クラッシュ!」


 ジャンプの最高点。その足元でシャボン玉が爆発する。アンの体はトランポリンで飛び上がるかのように、さらに跳躍した。何度かそれを繰り返し、彼女は天へ投げ出されているディレクのもとまでたどり着いた。


「やあッッ!」


「……ッ! 花になれッ!」


 剣を振りかぶるアンに、ディレクは先ほどと同じように彼女の武器を花束へと変えることで応戦する。


「【回帰、忘れずの初心オリジンソード】!」


 しかしアンは怯まず、花束を剣に戻してから第二打を振りかぶる──しかし、それもまた枯れ枝へと変えられてしまった。細く、乾いた枝はディレクの体に触れると同時にいともたやすく折れた。


「もう忘れたのか! キミと僕の魔術は相性が悪いが、こうすればどうにでもなるんだよ! いくら同じことをしようと無駄だ!」


「いいえ、意味はあります。こうしていれば、あなたの魔力は少しずつ消耗していく。そして──そのカエルになった部分を治すため下半身に視線を向けることもできない」


「なっ……!」


 ディレクの魔術は『視線』から発生する。視線で捉えた者を『役』に変え、物体を『小道具』に変える。それは自分自身も例外ではなく、自らを変化させるためには自分の体の一部を見つめなければならない。しかし、──。


 ──視界が安定しない! 剣を小道具に変えるのがやっとだ!


「【回帰、忘れずの初心】、再詠唱リキャスト!」


 アンは再び赤き剣を生み出し、ディレクに向かって振り下ろす。


「正気か⁉︎ こんなことを続ければ、僕もキミも!」


「地面に激突するでしょうね、本来なら」


 でも、約束してくださったのです──第三打を再び花束に変えられながらも、アンはその花弁の嵐の中で微笑んだ。


「もう一度……私を助けてくださると!」


 アンとディレクが地面に打ち付けられようとする数秒前……【至上の実論リアル・ファンタズム】を発動したタクトが全速力でアンのもとへと駆けつける。


 あたり一面に、土煙が巻き起こった。





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