第138話 ハーフ・アン・アクトレス

 ディレクの上半身は小さなカエルの下半身へと収束していた。腰のあたりから人間としての体が萎んで、緑色に変わりだんだんと小さくなっている。終端にはその全体重を支えるにはあまりにも貧弱な足が申し訳程度に二本ついていた。


「なん、なんだあああァァァあああァァ! これはァ!」


 彼は気が動転しながらも、両腕を使って器用に着地する。そうしなければ、バランスを崩した拍子に彼の腰から下の部分は潰れていたかもしれない。


「あ、あれは一体……」


 化け物ではなく、幼女としての体を取り戻した拓人も驚き、目を見開く。あのディレクが、たった一人の幼女に遊ばれている。


「ジェラス、ジェラスなのですか⁉︎」


 怪物から人間の姿に戻ったばかりだというのに、アンは紫の幼女の姿を見つけて目を輝かせていた。


「ジェラス……」


 そういえば以前、エレンがその名を口にしていたと拓人はおぼろげながらに思い出す。しかし、名前以外の情報を聞いた覚えはない。一体どんな……。


「アンちゃん……」


 アンの声に応じて紫の幼女……ジェラスは振り向いた。涙のせいで潤んだ瞳は、弱々しさと同時に蠱惑的な魅力をはらんでいる。一目見た時にまず『守ってあげたい』という気持ちが浮かんでくるような、ずるい顔立ちだった。


「この場に置いて、これほどの適任はいません! 彼女がいれば百人力です!」


「あ、あわわ……」


 アンの言葉を受けてか、ジェラスはみるみるうちに頰を紅潮させる。


「ぜ、ぜんぜっ、そんなことな……!」


「来てくれたのが、あなたで良かった!」


「や、やめてくだひゃい! ジェラスは、ジェラスは……」


 真っ赤に染まった頰を隠そうとするかのように両手で押さえながら、ジェラスは叫んだ。


「褒められると、照れまひゅ!」


 どうやら褒められるのが苦手らしい。アンの好意があまりにも真っ直ぐすぎるというのもあるのだろうが。


「性格については、ちょっぴりわかったような気もするが……あの魔術は一体……?」


「【特異氾面ハーフ・アン・アクトレス】」


 いつの間にかレジーが拓人の隣に立っていた。彼女の姿は怪物からは戻ったものの、相変わらず執事のままだ。


「相手の魔術を再現する能力。でも、そのうちのどれかが半分になる。はジェラスにもわからない。効力か、速度か、範囲か、持続時間か……少なくとも今は効力が半分になってるみたいだけど」


 思い返してみるとそうだ。ディレクはジェラスのセリフによって片翼を失い、半身をカエルにされた。どちらも、半分だけ効力がおよんでいる。


「じゃあ、ディレクの魔術がうまく働かなくなったのも……」


「たぶん、ジェラスはコピーした力を使ってアイツの魔術そのものを消そうとしたんだ。でも、やっぱり半分しか奪えなかった」


 おそるべきはディレクの魔術か、ジェラスの魔術か。ともあれディレクの魔術は、その万能性を逆手にとられて能力の半分を封じられてしまったらしい。


「それに……ああなったら、勝負はついたも同然……」


 レジーは両手を使ってバタバタと蠢くディレクに冷たい視線を送った、その直後。


「配役交代! 魔女エビルマウスの役は見事キミが射止めた! おめでとう!」


 ディレクが叫ぶとジェラスの足が地面と結びつき、その形が植物の根っこへと変わり始めた。


「……! 『私は魔女ではありません!』」


 すかさずジェラスはセリフを叫んだが、変化は止まらない。


「どう……して!」


「当たり前だ! キミの役はエビルマウスになったのだから! 彼女は花の姿へと変じられる直前、一時的な魔術の封印を受けた! 最後の抵抗を許されなかったがために!」


「それって……!」


「キミは最早、ただ花になるのを待つしかないというわけさ! せっかく出てきたのに、ご苦労様! みじめったらしく退場するがいい!」


「……やっぱりだ。やっぱりジェラス、こういう役回りなんだ。う、えええぇぇぇぇん!」


「ハッ! ハッハハハハハハハッ!」


 再び泣き出すジェラスに、ディレクは高笑いする。


「……でも、いいの?」


 泣き声と笑い声が同時にぴたりと止まった。


「なんだ、どうした急に」


 ジェラスは暗い瞳で真っ直ぐディレクを見つめている。拓人たちが駆け寄っているが、どうにもできないだろう。彼女の体はもう首のあたりまで花に変わっているし、レジーの回復能力でも治せないことはカムダールの件で証明されている。


「配役交代って言ってたから」


「それが、なんだ」


「かわいそう。気が動転しちゃって、気づいてないんだね」


「だから、一体何を……!」


「『交代』しちゃったら……?」


「……………………………………………………あ」


「【痛いの痛いの気持ちいいのマゾッホ・サドンデス】ッッッ!」


 細い、針のような体毛がディレクの体を貫いた。

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