第136話 シアターカンパニー・ホエールズ
「【
羽根を生やし、神にでもなったような気分で足を組むディレク。その姿を見上げていた拓人たちは思わず、思わずぞくりとした。
「ぐっ……おっ……」
再び体の内側を駆け巡る蠢動。身体、精神、記憶までもが自分ではない何かに作り変えられていく感覚。
「キミたちは、もはやキャストではない。完全に僕の劇の登場人物に成り代わるのさ。そして僕に蹂躙され、原作よりもずっと悲劇的で素敵な死を迎えるだろう。他の人間も、いずれそうなる」
「他の人間、じゃと……?」
体中の肉が波打つような気持ち悪さを感じながらも、拓人は何とか声を出した。
「ああ、だってこの世界ってつまらないだろう? 神が考えたのか、悪魔が殴り書きしたのかは知らないが、僕なら一兆倍面白くできる。全人類を巻き込んだ大舞台さ!」
自分のことを全く疑っていないような口調でディレクは続ける。
「イヴィルヘルムに妙な制約をつけられる前だって、その気になればいつでもできた。重要なのは構想だ。どの演出が一番効果的か。ストーリーラインはどのようにするか……そして、それをじっくり考えるだけの時間はあったわけだ。アイスキャロルとイヴィルヘルムのヤツに煮え湯を飲まされていた時間がね。ならば、あとはタイミング。つまり、僕が全てから解き放たれ、最高の気分でいる今なのさ!」
ディレクがこれから催そうとしている大舞台が、どのようなものであるかは、わからない。しかし、絶対に止めなくてはならないものだということは本能で感じ取れた。
「何をしようとしとるのかは知らんが、アンタの思い通りには……!」
「……知らない? ならば教えてやろう。テーマは『無限の絶望』。ジャンルはパニックホラー。人々を襲う怪物役はキミたちだ」
その瞬間、作り変えられていく速度が急激に上がった。ブクブクと体が膨れ上がり、人間でないものになっていく。
「お、ごおおおおおおお!」
「ぎゅ、ぎいいいいいい!」
姿も、声も化け物になっていく仲間の姿を見つめながら、拓人は怒りと悲しみのあまりとめどなく涙を流した。自分自身も怪物へと変化しながら。
「ああ……ありがとう、マッド・ラビット。キミが身代わりになってくれなければ、こんなにも素晴らしいカタストロフィを迎える前にタクトのことを殺してしまっていただろう」
マッドの体のみならず覚悟まで踏みにじるようなディレクの発言に、拓人ははらわたが煮えくりかえりそうだった。
──『ちくしょう、どうして
自分の中に植えつけられた役……サイキ・ドライプライドの精神と同調する。しかし、それさえもほろほろと崩れて形を失っていく。
「『あいつのようになれたなら……』」
「──いいえ、なる必要はありません」
はた、と気づくと拓人は全てが静止した世界にいた。ディレクも微動だにしない。自分と仲間たちの怪物化も中途半端なところで止まっている。
「あなたは……」
拓人の目の前にいたのは、いつの日にか見た白髪の幼女だった。肌も、身につけた衣服も白い。体の輪郭、境界線が曖昧だ。存在自体が抽象画のように見える。
「今のわたしにできるのは、このくらいです。ちょっとだけ、あるじさまとお話することだけ。大・大・大・ピンチながら良い機会でもあるとお見受けしましたので、ちょっと前倒しして会いにきちゃいました、えへへ」
少し照れくさそうにはにかむ笑顔。思い出せそうで、思い出せない。
「どこかで会ったような……」
「だから、そんなことはどうでも良いんですってばぁ。以前夢の中で会っただけなんですから。今はこの状況をどうするか、ですよ」
そうだ。このままだと、ディレクの思い通りになって……何も救えないまま全てが終わる。下手をすればアイスキャロルが治める世界よりも、おぞましい地獄が展開されるかもしれない。
「『ワ、
「ならばくれてやろー……なんてわたしが言うと思います? 仮に理性を捨てて闇の力に覚醒したとしても、あの人には勝てませんよ?」
白髪の幼女は固まったまま、こちらを楽しそうに見下すディレクの姿を見上げる。
「ふざけているようですが……いいえ、事実ふざけているからこそ強いのでしょう。自分の中にも、外にもストッパーを持たない……罪悪感は微塵もなく、欲望のまま世界をめちゃくちゃにする……あれが真の『強欲』の魔術師です。あのイヴィルヘルムさんでさえ手綱を持ちたがった理由がわかりますね」
「真の『強欲』……?」
「その話はまたおいおい。とにかく、わたしが伝えたいこと……それは」
白髪の幼女は、拓人の瞳をまっすぐ見返しながら言った。
「あなたは、あなたのままでいい……ということです」
「ワシのままで……」
「ええ。マッドさんも、あるじさまにそうおっしゃっていたではないですか」
──ただお前はお前だってだけの話だ。
それはディレクと戦う前……カムダールに思わず嫉妬してしまった時のこと。
「アンも、レジーも、エレンも」
──タクトどのが紡いだ縁も確かにあるではないですか。
──気負いすぎ。もっと気楽にやればいいのに。
──貴君は貴君なりに精一杯やっているとも。
「人間は、成長することができます。日々歩んだり、走ったり、ごくたまに飛び上がったりして限界を超えることもある。だけどその『どこまでも』は本来、自分の延長線上にしか無いんです。あるじさまは……ああなってはいけません」
そう言いながら白髪の幼女は再びディレクを見やる。少し、憐れむような瞳の揺らめきがあった。
「彼は、あなたの目指すべきものではないのです」
「しかし、ワシには……」
「力なら、あるはずです。あとは、掛かった鍵を外すだけ」
ふわり、と穏やかな風が肌を撫でるかのように……白髪の幼女は拓人を優しく抱きしめた。化け物になりかけている彼の体を。
「嫉妬するのではなく、良いところを……自分にも活かせる部分を見習って盗むようにしてみてください。見方の問題、といえばそれまでですけど、心にはきっと変化があるはずです」
恥ずかしいだとか、情け無いという思いは感じなかった。むしろ、そういった心の澱になっているものが溶け出し、涙となって流れ出していった。
許されたような気がした。認められたような気がした。
「あなたは、あなたのまま成長してください。心配いりませんよ。きっと心強い味方も、来てくれるでしょうし」
「それは──」
「時間です。どこかで……だけど絶対また会いましょう」
白髪の幼女は大気に溶けるように消えた──拓人の心に金色の光を残して。
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