第135話 この景色が見れただけでも

「タクト、お前の武器は──」


 マッドが最後の言葉を言い終える前に、その体は一匹の小さなカエルへと姿を変えた。


 ──言えなかった、か……。


 宙をひらりと舞うことができた服の体とは違って、重力に負けたその身はまっすぐ地面に落ちる。草がクッションになったため落下の痛みはない。しかし……。


 ──ああ。


 巨大な隕石が上空から迫ってきていた。それはおそらく、ディレクの足。


 ──所詮、オレは本体の劣化コピー。生まれて使い潰されるだけの【装女王ハートアリス】。こんな最後がお似合いさ。


 逃げる間もない。たった一度跳ねることもせずに、カエルとなったマッドは目を閉じ──。


「「「「マッド!」」」」


 その連なる声に目を開けると、そこにはスローモーションの世界があった。


 拓人は彼に向かって手を伸ばし、すくいあげようとしていた。他の者より動きが速いところを見ると【至上の実論リアル・ファンタズム】を発動しているのだろう。


 アンは剣を使ってディレクの足を斬り落とそうと飛びかかっているようだ。


 レジーとライデンは……考えるまでも無く身体を動かしたのだろう。マッドに向かって駆け寄るようにして手を伸ばす。自分たちが魔術を使えなくなっていることさえ忘れているのかもしれない。


 無論、誰も間に合うはずがない。ディレクの殺意はそれほどまでに迅速で、迷いが無かった。だが、それでも……。


 ──この景色が見れただけで……オレは──。


 生まれて良かった、と思えた。






「『役不足』……その言葉の誤用にはあえて目をつぶろう。本来の意味でも矛盾は生じないからね」


 カエルを潰した足をグリグリと草むらにこすりつけながら、ディレクは静かに呟いた。


「これで、キャストはちゃんと『八人』だ。まぁ、そんな制約はすでに関係無くなったが、一応ね」


【至上の実論】によって背後を取った拓人が、怒りに任せてディレクを殴る。しかし、攻撃を受けているはずの彼はまるで動じない。


「キミたちには感謝している。『あの石』を


 前からはアンが剣戟を見舞うが、それをもディレクは眉一つ動かさずに受け続ける。


「石は命令違反に応じて、身につけた者に苦痛を生じさせる。この僕に課せられた命令で一番憎たらしいのが……『本気を出すな』だ」


「【凄烈、曲がらずの心グッド・バイ・ラン】ッッッ!」


 棍棒を横っ面に叩きつけられ、ディレクの体は高く、遠く、飛翔する。本来なら、ここから何十キロも先まで吹き飛ぶような一撃だったが、そうはならなかった。


「『どうだ、この翼は。天使……いや、神のようだろう?』」


 ディレクの背中から生え出した巨大な白の双翼が勢いを殺す。彼は空中に飛び上がったまま、足を組むようにして姿勢を安定させた。


「もはやアイスキャロルの命令を聞く必要は無い。イヴィルヘルムも殺してやろう。クク……ハハハ!」


 こらえきれない、とでも言いたげに笑い出した彼の表情は天使でも神でもない。悪魔そのものだった。


「今日は、最高の日だ」


「そうか! 石が壊れたから、アイツはマッドを……!」


 ライデンの言う通りである。アイスキャロルの命令の一つには『臣下同士で争わないこと』も含まれていた。石が破壊された今、その制約はディレクを縛らない。


「殺さないように気を使わなくとも良い。演目も【ジ・グローリー・オブ・エンパイア】でなくとも良い。舞台は無辺。キャストは無限。脚本も自由に改変できる。素晴らしきかな! 僕という名の主人公の覚醒! もはやこの身を縛るものは何もない!」


「あ、アイツ何言ってんの⁉︎」


 レジーは思わず叫んだ。彼が、何を言わんとしているか……頭が理解を拒んでいる。


「わからないかなぁ? 僕の魔術の本質は半径一キロメートルにも、八人にも、【ジ・グローリー・オブ・エンパイア】の中にさえ収まらないと言ってるんだ。先ほどまでの戦いはただの稽古さ。キミたちの作ったパンフレットにも書いてあったろう? アン・フューリーは降板、と」


 ディレクの背負った空を中心に、天が赤紫色に染まっていく──。


「お上品な演目はこれにてお終い! 血しぶき! 臓物! 何でもござれ! これより先はスプラッタァ!」


 狂ったように笑うディレクの体には──今さっき拓人とアンがつけたはずの傷が……一つも無かった。


「さあ、これより開演である! 葬式の準備をしろぉ!」


【ジ・グローリー・オブ・エンパイア】は演目の一つに過ぎない。ディレクの魔術、その真の名は──。


「【高らかに叫べ、我らが劇団の名は『鯨幕』シアタァァァカンパニィィ・ホゥエエエルズ】ゥゥゥゥゥ!!!」

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