第133話 正真正銘の
「やりましたね、あるじどの」
緊張から解放された拓人がその瞳にまず捉えたのは、アンの笑顔だった。
「あ、ああ、なんとかの」
ディレク・スターリングライター。『最優』を名乗るにふさわしい強敵だった。幸運と相手の油断が無ければ間違いなくやられていた。
「カムダール先生とエロースさんは……」
「……」
拓人は何も言えないまま沈痛な面持ちで二人の姿を見る。カムダールはやはり石に、エロースは花になったまま戻らない。
「アタシたちも、ダメね」
「……えーと、ライデンちゃんじゃったかの?」
歩み寄ってきた老人に対し、拓人は遠慮がちに問いかけた。オールバックでロマンスグレーの髪。アンガーとはまた違うタイプの『渋い男』だ。
「どうせなら人間の女の子になってみたかったんだけどね。アンガー様よりカッコいい男なんていないわけだし」
「あー、うん、なるほどね。これが、オトコのコの体……かあ」
いかにも仕事ができそうな格好をしているにもかかわらず、初心な表情でモジモジしている童顔のメガネ執事がレジーだ。
「なんというか……なんかこう……ムズムズする、ね」
ライデンはアンガーの体で慣れているため、実質的に性別まで変えられたのはレジーだけと言っていい。彼女の身に起こった変化が一番大きいのだから戸惑うのも無理はない。
「よく、わかんないんだけど……アンのこと見たり、考えたりしてると、ここが……」
「大丈夫じゃ、レジー」
顔を赤らめながら身悶えし続けるレジーに拓人は落ち着いた声で言った。
「慣れる」
拓人だって、急に幼女の姿になってしまってから不便なことや数々の戸惑いがあったが、今や順応してしまっている。
「それに『黒い石』は破壊したんじゃ。あのディレクとかいう人も正気に戻れば、ワシらのことも元に戻してくれるかもしれん」
「うん……そうだよね。そうじゃなきゃ困る。でも、ちょっとだけ寂しいかも……」
その感覚は拓人にも理解できる。自分だって急に男の体に戻れと言われれば……ちょっと考えてしまう。
「たくと。かったんだな」
よたよたと覚束ない足取りで、まだ呂律の回っていないエレンが拓人に歩み寄る。見た目には変化が無いが……カムダールとエロースの二人を除けば一番重症なのは彼女だろう。
「エレン……大丈夫なのか」
そんなわけがない、と知りつつも拓人は声をかけた。
「あ、ああ、すこしおちついてきた。まってて、ふたりをもとにもどすほうほうを……」
「今は少し休んだほうがいい。ディレクさんが起き上がったら、彼と交渉するつもりじゃ。洗脳が解けたと言っても彼の本性がどんなものかはわからんが……なんとか協力を願ってみよう」
「そうか……わかった。きをつけてね」
いつもより素直な口調のエレンは、そのまま地面に横たわって目を閉じた。ただ少し休んでいるだけなのか、完全に眠ってしまったのか──どちらにしても頭が疲れていることには違いないだろう。
──お疲れ様。
拓人たちは彼女を起こさないように心の中で労いの言葉をかけた。
「そういえば、マッドはどうしたの? またさっきから喋ってないみたいだけど」
ライデンが拓人に耳打ちした。
「それが、の……」
拓人はディレクのそばで、またしてもボロ雑巾のようになってくたびれているマッドの姿を見やる。彼はディレクの抵抗によって体を振り回されすぎたせいで気絶しているらしい。
「あとで、謝らんといかんな……」
本当に申し訳ない気持ちを抱きながら拓人がそう言った瞬間、マッドが腕……ではなく袖をついて起き出した。
「う……く……」
「あ、ああ……」
奇しくも同じタイミングでディレクも意識を取り戻したようで、彼もまた体を起こそうとしていた。
「よかった。気がついたんじゃな、二人とも」
拓人の何気ない言葉に、服の上に浮かび上がったマッドの眼は大きく見開かれた。
「タクトッ! すぐに離れろッ! こいつは……!」
「──『ああ』」
起き上がろうとする動作の合間でディレクは拓人を静かに指差し、流し目で彼の姿を見た。
「『ああ、お前はカエルにでもなればいい。ゲコゲコ鳴いて、ベコベコ潰れろ』」
「王に洗脳される前から、正真正銘のゲス野郎なんだァァァッッッ!」
ディレクの瞳から、術者以外には決して見えない光線が……人を『役』に変える光線が拓人に向かって静かに放たれた。
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