第122話 マゾッホ・サドンデス①

「お疲れ様でしたぁ。アタシの勝ちです」


 少女は不敵に笑う。しかし、目の前で行われたその勝利宣言に何らかの感情を抱く余裕はカムダールに無かった。


「な……これ、は」


 針が、刺さっていた。少女の全身からウニのようなささくれが何本も伸び、カムダールの体を貫通していた。


「油断ってのは大抵の場合、無意識に起こるから恐ろしいんですよぉ」


 何本もの針に貫かれているはずなのに。それが大問題だった。


「全裸。構えなし。見え見えの『黒い石まと』。全てがあなたの無意識の油断を誘うためのもの……べっ、別に普段から露出狂ってわけじゃないんですからねっ」


 わからない。


 声は聞こえるが、脳が情報を処理できない。それどころじゃない。


 思わず刀を取り落としてしまうが、それどころじゃない。


 自分は今、ピンチだが、それどころじゃない。全身を駆け巡るこの──。


、は……!」


「【痛いの痛いの気持ちいいのマゾッホ・サドンデス】。文字通り『痛いの』を『気持ちいいの』のに変える、サイッコーに痛快なアタシの魔術です」


 無数の針が少女の体の中に帰っていく。


 全身がくらくらして、立っているのさえままならなくなったカムダールは思わず膝をついた。


「アタシはボンヘイ国尋問担当大臣、エロース・デッドラインでぇす。拷問担当大臣であるトーチャー・デッドラインの妹なんですけどぉ……あなたに言ってもわかりませんよねぇ。色んな意味で」


 拓人との深呼吸を思い出しながら、カムダールは息を整える。まだ立つことは出来ないが、少しずつ落ち着いてきた。


「そー、そー、がんばってぇ。ちょっとぐらいお話できるようになってもらわないと尋問担当大臣の面目丸つぶれですからぁ」


「じん、もん……?」


 カムダールは針を受けてから初めて相手の言葉を理解した。


「そうですぅ。完全にくるくるぱーになっちゃう前にぃ、色々有益な情報を頂いちゃおうかなって」


「何……ですって?」


「私の魔術にかかった人は、みぃんな最後にはワンちゃん……いいえ、それ以下の存在になってアタシの言う事なんでも聞いてくれるようになるんですぅ」


 過去にあったその様子を思い出したかのように少女……エロースは、からからと笑う。


「命令を聞いてくれるたびに、ごほうびとして一撃。それを何度も何度も繰り返していって最後には死の快感を想像し、『殺してください』と叫ぶようになる……もちろん殺してなんてあげませんけどねぇ。そう言った方々も王への献上品ですしぃ」


 カムダールはエロースの言葉に耳をすまし、彼女の一挙一動を注意深く見張る。快感はそう長く持続しないようで、だんだんと治まってきた。まだ少し熱っぽい頭を回しながら、隙を見て落とした剣に目を向ける。あれを拾って態勢を立て直せば、まだ勝機は──。


「よそ見しないでください」


 不意にエロースの足が、這いつくばったカムダールの顔を蹴った。本来なら痛みを感じるはずだが……。


「うっ、あっ!」


 それさえもが快楽へと変貌した。顔の真ん中に、焦れったいような昂りが広がっていく。鼻が、性感帯になってしまったような錯覚。鼻血が垂れている感覚に後から気づいて、意外と深い怪我を負わされたのだとワンテンポ遅れてから知った。そして、それ以上に問題なのは……。


 ──ウチは今、避けなかった。素人の繰り出す、粗雑な蹴りを。本当ならば【至上の実論】を発動するまでもなく回避できたはずなのに。


「ほぅら、ほぅら感じてくださいよ。アタシから与えられる痛みを。歓びを」


 エロースはカムダールの顔面をグリグリと踏みにじる。彼女の素足が右に左に動くたびに脳が痺れ、心臓が高鳴る。


 ──こんなの、絶対おかしい、のに。


「年下の女の子に踏みつけられてよろこぶなんて、特殊な性癖でも持ってない限りありえませんよねぇ。そういう戸惑い、アタシの大好物です」


 エロースは小さめの舌をチロリと覗かせながら淫蕩な笑みを浮かべた。


「そうだ。アタシの足ぃ、そのまま舐めてくださいよ」


「!」


「服従の証として、そう言った儀式は必要だと思うんですよねぇ。大丈夫です。いい子にしてれば、ちゃんとイジメてあげますから。こう見えても、ペットのお世話はマメにするタイプなんです」


 だから、さっさと舐めろよ──エロースは打って変わってドスの効いた低い声を出す。その響きにさえ何かゾクリとしたものを感じながらカムダールは舌を出し──。

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