第116話 拝啓、この世界の中心へ

「村民のみなさま〜! 朝のトレーニング、始めますわよ〜!」


 村の全土に行き渡るように、プロテインの声が響く。しかし、それは村を襲った時のような怒号ではなく、快活な呼びかけだった。


 上は村最高齢のスリから、下はレギヌの娘までそろって筋トレに励む。もちろんボディービルダーになるためのトレーニング……ではなく、健康を維持することを目的としたものだった。


「プロテインさんも、ドノカ村に馴染めてきたようですのう」


「ええ〜〜」


 遠くから見つめる拓人とカムダールが感慨深そうに呟いた。


 プロテインが村の住民の償いのために、何かを始めたいと申し出たのは彼女がこの村で歓迎されてすぐのことだった。今では朝の筋トレ体操も四日目に入り、わかりやすい指導と本人の元の性格の良さも相まって人気を博している。


「これなら……」


 カムダールがプロテインのほうを見たまま呟く。どこか安心いたような表情を見せていた。


「ちょっとしたご提案があるのですが」


 カムダールが、今度は拓人のほうを向いてわりかし真剣な表情で尋ねてきた。






 そのカムダールの提案について、拓人たちの間で議論が巻き起こった。いくつか慎重な検討が行われた末、結局は彼女の案を飲むことにした。


 ただ──ドノカ村を離れるという決断は寂しいものだったが……。


 その夜、拓人の夢の中。いつの日か見た白髪の少女が出てきて──。


「今回、わたしの出番はありませんでしたね。わたしよりも、ずっと立派な先生がいらっしゃいましたから」


 微笑み、ただそれだけ言った。






「村長代理として、ヌスットとゴートーを指名します!」


 カムダールは出発の二日前、村人たちを集めてそう宣言した。


「姐さん、ありがとう」


「でも、オレたちやっぱり姐さんがいないと……」


 ヌスットが礼を述べながらも、どこか煮え切らない様子で頷き、ゴートーは目に涙を浮かべながら引き止めようとした。カムダールは、つま先立ちしながら、そんな二人の頭に優しく手を置く。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ〜〜」


「ね、姐さん」


「みんなの前だと、結構恥ずかしいんだが……」


「ま〜〜、二人が甘えたちゃんなのは、みんな知ってますし〜〜」


「……ッ」


 ヌスットが顔を赤くし、ゴートーが「ええ? 嘘だろ?」と言う前にみんな頷いた。


「ウチも人のこと言えないんですけどね〜〜。二人に、甘えてました」


「別にこれからだって……」


「そ、そうだよ」


「いいえ、ウチはちょっぴりだけ背伸びをすることに決めたのです」


 カムダールは遠くから見つめる拓人へと視線を返す。前を向くきっかけを作ってくれた彼に、感謝の気持ちを込めながら。


「それにプロテインちゃんがいれば安心かな〜〜って。たまたまウチ達の魔術と相性悪かっただけで、普通に考えれば彼女はウチよりずっと強いですから」


「そ、そんな、お姐様ったら……」


 プロテインは照れながら笑う。すでにカムダールは彼女とも相当な信頼関係を築いているようだった。


「お世辞ではありませんよ〜〜。あなたの筋肉と【大筋圏内ゼロ・アトモスフィア】なら大抵の魔術師はどうにかなるでしょうから〜〜」


 ウチがいない間、村の守護をお願いします──その言葉に、プロテインは深く頷いて応えた。






「ふむ、じゃすとふぃっと。着ていて落ち着く服じゃ」


 出発の朝、拓人はレギヌからもらった服を身につけていた。あの日着れなかった白のワンピース。原点に帰ってきたような安心感があった。


「喜んでもらえたようで、良かったよ」


 レギヌは屈託の無い笑顔を浮かべる。拓人としても何かを返したいところだったが「これ以上、村の救世主からもらうものなんてないよ」という礼をすでに受け取っている。そこまで言われてしまうと、彼女の気風の良さを尊重しなければ返って失礼というものだ。


「私たちは余り変わり映えしませんね……」


 アンたちが互いを見比べあって頷いた。アンは魔術で作れる鎧があるので下着を取り替えてもらっただけだ。


 レジーはレギヌから服こそもらったがファッションスタイルはおろか色さえ同じ。いつも通りの白のランニングシャツに、青のショートパンツである。


 エレンも──レギヌの商品のバリエーションに探偵服があったことは驚きだったが──レジーと同じ理由でほとんど以前と変わらない。


 ライデンに服は必要ないし、アンガーの衣装も魔術で作り出しているので間に合っている。


「まあ、いつもの服が楽だしな」


「同感。着慣れてるのがいいよね」


「まったく、あなた達は……私は鎧さえなければ他の服も着てみたかったのに……」


「……で? なんでオレも連れて行かれるわけ?」


 三人が話している脇で、レジーのシャボン玉に閉じ込められたままのマッドが一人、呟いた。彼はアイスキャロルの臣下である。以前この村で着替えの最中に孤立していた拓人を襲ったが返り討ちにされ、現在捕縛されている。


「ま、諦めなさいな。元同僚同士、昔の思い出でも語り合いましょ?」


 ライデンがアンガーの体でウィンクしながら語りかける。


「オレは、まだ王の臣下のつもりなんだがな……」


 彼の本体はここにはいない。魔術【装女王ハートアリス】によって彼の意識を写しとった服が意見を代弁しているだけである。言うなれば本体から独立したコピー品で、宿った精神か服自身が重大なダメージを受けた場合、服であった時の記憶が本体に移植される仕組みらしい。


「もし戻った時は……本体のオレ、頭抱えるどころの話じゃねぇぞ、マジで」


「安心してよ。ボクたちがしっかり守ってあげる。情報なんて絶対に持ち帰らせないから」


 意地悪く笑うレジーの顔を見て、マッドはがっくりと肩を落とした。


「レジー……おねーちゃん」


 レギヌの娘がレジーの前に遠慮がちに歩み寄る。後ろ手に何かを持ちながら、もじもじと膝をすり合わせていた。


「どうしたの?」


「これ」


 彼女が差し出したのは、花で作った髪留めのようだった。白い花びらで、どことなくハルジオンに似ている。


「いらないなら、捨てちゃってもいいけど」


「ありがとう。大切に使うよ」


 そう言いながらレジーは早速それを付ける。サイドヘアに一輪咲かせた彼女の印象は、それまでよりも少し明るく見えた。


「似合うかな?」


 その問いかけに、レギヌの娘は精一杯の笑顔で答えた。


「うん。すっごくきれい!」


「レジーだけ可愛くなっちゃって……」


 横目で一部始終を見ていたアンは、もう一度不満を垂れた。


「アンには敵わないって」


「またそうやって……」


 レギヌの娘は、そのやり取りを見て少し寂しい気持ちになった後、レジーが去ってしまうという……もっともっと悲しい事実が深く心に染み入る前に母親の元へと駆け出した。






「さあ、出発するぞ。お前さんたち!」


 拓人にしては珍しく威勢のいい声が響く。


「みんないい子で待っててね〜〜。ちゃちゃっとウチらが──」


 ──世界、救ってくるんで。


 見送りに来た住民たちは、カムダールの言葉に歓声を上げる。


「わ、ワシのなけなしのカリスマ性が消し飛ばされた……」


「タクトどのは、ご立派です! カムダール先生に負けないぐらいに!」


「ま、これからも頼りにしてるよ。リーダー」


「ただ、休みたい時は遠慮なく言ってくれ。当方がいつでも代理を務めよう」


「……ありがとう。お前さんたちがいてくれるだけ、ワシは幸せ者じゃ」


 拓人が仲間の大切さを再確認したところで──。


「もくひょ〜〜、ウチの生まれ故郷にして元職場のある……」


 カムダールが指差す方向に、拓人が、アンが、レジーが、エレンが、ライデンが、マッドが目を向ける。彼らの行き先は──。


「この世界の中心──グランセントラル」

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