第112話 みんなのためにではなく
「馬鹿な……そんなデタラメな魔術があり得るのか?」
アンから一歩下がったところから戦況を見守っていたエレンは思わず戦慄した。
だが、真実ならば【
「おそらく彼女の筋肉の表面において元々自然発生していた魔力……それを能動的に放出しているのだろう」
「……どうしますか、エレン? このままでは……」
アンの【
「アン、もう少し下がれ。さっき『機長』が消滅したところを見ただろう? 我々も精霊だ。直に触れるとタダでは済まない」
「しかし! ヌスットどのとゴートーどのが!」
プロテインは一歩一歩踏みしめながら、兄弟に向かっている。ヌスットが連続で矢を放って応戦するも、彼女の身に届く前に全て消えてしまう。どう見ても戦況は明らかだった。
「今は……当方たちにできることはない。全ては我らがあるじ次第だ」
頼んだぞタクト。エレンは望みを託した。
「カムダールさん……」
「ウチには無理ですッッッ!」
数分前、みなまで言われる前に、カムダールは叫んだ。
ずっと、戦いたくなどなかった。今までは『仕事だから』『食べるため』『寝るため』『なんとなくでも勝てたから』戦えただけだった。そのどれもが今の自分には見当たらない。
「ウチは、他人のためには戦えない!」
両親が死んだ時だって、どうでも良く感じてしまった。イヴィルヘルムに敵わないとわかった時、他の人の迷惑なんて考えずに、この村まで逃げてきた。拓人たちの前では格好つけていたかったが、結局はこうやってメッキが剥がれてしまった。
これが、自分中心の醜い生き物。カムダール・スロウスロウスの正体。
「どこまで行っても怠惰属性! 自分自身が可愛くて、自分の平穏のためにしか戦えない!」
ヌスットとゴートーが頑張ってくれているのに、それでも戦えない。怖くて体が動かない。自分の平穏が、今までの普通が、壊されるんじゃないかって。
──平穏が壊れるのは耐えられない。痛いのは嫌。
プロテインの裏にはイヴィルヘルムがいる。彼女から漂う魔力から、カムダールには察しがついていた。
「ウチが戦ったら、アイツが敵になる」
考えただけでも、路地裏に放り出された時の寒さが、ネズミの味が、吹き出物の痒さが、胸をかき回された時の痛みが……そして、あの慈しみと蔑みを両方携えたような、おぞましい視線を思い出す。
「絶対に、立ち向かえません」
カムダールは震えながら断言した。それでも拓人もまた、はっきりと意思を伝える。
「──立って、戦ってください。カムダールさん」
そんな。
「ひどい」
拓人なら、優しい言葉をかけてくれると思った。人の弱さを知っている彼なら無理をしないでいい、と言ってくれると思った。
「ひどいぃ、ひどいよぉおお……」
子どもがえりしたかのように叫ぶカムダールの目から、なけなしの見栄と希望と余裕がこぼれ落ちる。後には、うつむきながら「無理だ、できない」と
「もう一度言います。戦ってください。みんなのためではなく、あなた自身の平穏のために」
「ふぇ……?」
「打ち勝たなければ、あなたが望む『真の怠惰』は訪れないのですから」
カムダールは拓人の顔を見上げた。意味は良くわからない。だが今の言葉に、心が何かを感じ取っている。
「あなたの中には恐怖がある。それも尋常なものではありません。今も時々、夢に出てくるほどだ。そういったモヤモヤがあると、心は休めないのです。きっと、今も目を背けることさえできていないでしょう」
その言葉は正しい。どこかに目を逸らそうとしても、恐怖は全方位360度ぐるりと彼女の心を囲っている。
「戦いたくない、というあなたの願いは真実なのでしょう。でも、それと同じくらいに、いや、それ以上に──勝ちたいのではありませんか?」
イヴィルヘルムと、あなた自身に。
拓人は知っている。もしかすれば、カムダール本人ですら知らないかもしれないことを。
『負けない、負けないっ』
彼女が夢の中で戦っていたことを、そして──負けたくないのだという本当の気持ちを。
「あなたはイヴィルヘルムに翻弄され続けた。そうするしかないという道に追い込まれた過去が二度もある。ですが裏を返せばそれは、それ以外道が無かったというだけで……あなた自身が何かを選択して、後悔したわけではない。」
そうだ、とカムダールは目が覚めたような気分になった。今、自分がここにいるのも、そのように追い込まれたからだ。
「……でもきっと、今回はそうではないはずです。優しいあなたは今を逃すときっと後悔する。ヌスットさんやゴートーさんを見捨てたことが、きっと新たな心のモヤとなって、あなた自身を責め続ける。ただ、重荷を増やすだけだ」
拓人は続ける。言い続ける。自分と、彼女の心を傷つけながら、それでも彼女のために。
「あなたが、本当の休息を……怠惰を手に入れたいならば……今、立って、戦うべきです」
かつて自分に向けてくれた笑顔を思い出しながら拓人は告げた。
「大脱走の時は──今です。戦ってください。ワシと一緒に」
「ちくしょう、ちくしょうッ!」
「ダメ……だッ」
プロテインが瘴気を立ち上らせながら、ヌスットとゴートーに向かってくる。辺りに立ち込めているこれら全てが『魔術殺しの霧』だと言うなら機長を再度召喚しても無駄だ。それどころかヌスットの弓矢も魔術によって作り出されているため、すでに形を保てなくなっている。もう、勝ち目はない──彼らはすでにそのことを自覚していた。
「王の魔術の制約により、あなたがたを殺すことはできません……ですが、むしろ死ねないことを後悔させてあげますわ」
プロテインは二人の前で立ち止まり、大きく拳を振り上げる。
「お覚悟はよろしいかし……」
──その時。鋭い痛みが彼女の背中を斜めに駆け抜けた。
「……卑怯者め。ずいぶんと背中を狙うのが、お好きなのね。あなたがたは」
「ま〜、そりゃ弟分ですしね〜。似るのも当たり前かな〜と」
「それに、あんたも人のこと言えんのじゃないかのォ〜? 一歩も動かん、という約束はどうなったんじゃ? ええ?」
腹立たしい声が背後から降りかかる。だが、まず排除すべきは目の前にいる兄弟だ。プロテインはそのまま拳を振り抜き──。
「!!」
いない。ヌスットとゴートーの二人が目の前から消え、彼女は地面を殴っていた。瞬きさえ、していなかったはずなのに。
「……よっ、こらせっと〜。二人とも大丈夫〜?」
「わ、悪い」
「……ありがとう、姐さん」
なぜだ。どうして兄弟の声が後ろから聞こえる?
「も〜、『ありがとう』は、こっちのセリフだってば〜……よく頑張ったね、二人とも」
「ここからは選手交替じゃ。まぁ、つまりワシと」
「ウチが」
戦ってやる──と、拓人とカムダールの声が揃えられる。
「「──だから、さっさとこっちを向けよ。デクの坊」」
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