第111話 ゼロ・アトモスフィア

「どこからでもかかっていらしてくださいな」


 プロテインは腕を組んで仁王立ちしたままヌスットとゴートーを挑発する。


「一歩も動かない、とは申し上げましたが……いつまでも黙っていらっしゃるだけでしたら……」


「……撃て」


 プロテインが瞬きのために目を閉じようとした瞬間、ゴートーはヌスットの耳元で囁いた。


 プロテインの体は文字通りの『肉の鎧』と表すべき筋肉の塊だ。矢を放ったところで、効果的に傷つけられる箇所は限られている。


 ──((ならば、狙うは))


 ゴートーが伝えるまでもなく、ヌスットはプロテインの目を狙った。長年連れ添ってきた兄弟は、すでに伝えあうまでもなく、それぞれの意思を理解している。だが……。


「こちらにも考えが、ありますわ」


 瞬きで目を閉じたタイミングにも関わらず、プロテインは的確に矢の軌道に合わせて拳を放つ。鎌鼬かまいたちのごとき風が巻き起こった。風圧は矢の動きを乱し、ヌスットとゴートーの肌をひりつくほどに揺らす。さらに背後のレギヌの家が軋みを上げた。


 ──なんつーデタラメな攻撃ッ! だがッ……!


「機長ッ!」


「オヘッ!」


 ゴートーは冷静に『機長』に対し、心中で指示を下す。先ほどと同じように機長がしがみついた矢は少しのあいだ空中で踊ったあと、わずかに勢いを取り戻す。


 ──立て直しが効かないほどじゃない!


「なあに……? あの羽虫は?」


 プロテインは二発、三発と『機体』に向かって打っていく。だが、それらは相変わらず勢いをのらりくらりと活かしたり殺したりしながら、ゆっくりと彼女に近づいていく。


 ならば、と機長を狙って風圧を繰り出してみてもダメだ。あの精霊相手に物理的な干渉はできないらしい。


小賢こざかしい……」


 プロテインは歯噛みした。自分の筋力でどうにかできない相手がいる……その事実は彼女にとって許すべからざることだった。


「ふんッ!」


 手刀による風圧で矢を真っ二つにしようとしても、あの精霊がいるせいで上手くかわされてしまう。


 ──ならば、あえて近づける。


 プロテインは構えながらも、じっと見る。矢が自分に迫る様子を。


 目を狙ってくることはわかっている。そこだけは筋肉ではどうにもならない。筋肉の可能性を信じている彼女は、筋肉の不可能性についても熟知している。


 限界まで引きつければ掴めるはずだ。反射的に目を閉じることさえ我慢して、今にも眼球に刺さらんとする矢尻を見据えながら素早く手を動かす。


「フゥッ……」


 その目を傷つけることなく、矢は彼女の手の中に収まった。


「この程度ではアタクシを傷つけることはできッ……!」


 安堵したプロテインの背に強い衝撃が走る。背中には、今自分が掴んでいるものと同じ矢が……それも二本刺さっていた。


「なッ……!」


「思った通り、いい囮になったらしいな。一の矢は」


 プロテインが眼球に迫る矢と機長に翻弄されていたころ、ヌスットはゴートーの指示で第二、第三の矢を放っていた。非常に、低い軌道で。それはプロテインに気づかれないようにするためという理由もあったが──。


 ──私の武器の性質を考慮したため、でしょうね。


 第二、第三の矢はプロテインに向けられたものではない。その後ろにいる拓人たちのほう……具体的に言えばアンに向かって放たれた。彼女の武器の一つ【凄烈、曲がらずの心グッド・バイ・ラン】で矢を撃ち返してもらい、背後からプロテインを奇襲するために。


凄烈、曲がらずの心グッド・バイ・ラン】には『高く、遠く飛ばす』という性質があるため、普通の高さで射った矢を撃ち返してもらうのでは、プロテインの頭上を通り過ぎてしまう。そのため、あえて地面とスレスレの軌道を狙って撃ったのだった。


 アンの精密な動作スイングによって矢は大きな衝撃を伴って見事、筋肉令嬢の背中へと命中したわけである。


「兄ちゃんが言ったはずだぜ、舐めるなって」


「文字通り一矢、いや二矢報いてやったわけだ、ざまーみろ!」


 ヌスットは弓を構えたまま、ゴートーはプロテインを指差し笑みを浮かべた。


「勝つためになりふり構ってられねえから、誰かに助けてもらうことを恥ずかしいとさえ思わない! これが『弱者の強さ』だッ! わかったかッ!」


「ぐッ……あなたたち、プライドというものはありませんの……?」


「ねーよ、そんなもん!」


「強いて言うなら、こうやってカッコつけないのがプライド……って感じかな」


 平然と言ってのけるヌスットとゴートーに対し、プロテインは呆れ果てる。暇つぶしに少しくらい遊んでやろうと思っていたが、気分が変わった。こんな誇りも持たないような連中は、一秒でも早く視界から排除せねば。


「あなたがたのような連中に、アタクシの魔術を使うのは癪なのですが……」


「魔術を使う、だと?」


 ゴートーは思わず眉をひそめた。魔術ならすでに使用しているはずだ。でなければライデンを投げ飛ばし、その勢いで家屋を崩壊させるなんて馬鹿力を出せるはずがない。


「おそらくは肉体強化によるもの……」


「おバカなことを仰いますのね」


 プロテインが微笑むのもつかの間、すぐにその表情は怒りに変わった。


「なにが肉体強化か。アタクシの筋肉は──全てアタクシ自身が鍛え上げたものに決まっている」


 ぶわり、とプロテインの奥底から魔力が噴き出した。それはまだ魔力の観測技術が習熟していないアンにも可視化できるほど白く濃い、霧のようなものだった。


「う……」


「これ、は……」


 ヌスットとゴートーは、さらに格の違いを思い知らされた。先ほどは肌を震えさせられたが、今度は心が震える。とてつもなく、寒い。


「「……!」」


 二人は思わず目を見張った。プロテインの握っていた矢が。まるで、砂粒であるかのように。背中に刺さった二本の矢も同じように自壊した。


「オ、オヘ!」


 矢から飛び立ち、ゴートーの元へと戻ろうとする機長が霧から逃れようとスピードを上げる。しかし、その甲斐なく……。


「オヘェェェェ……」


 霧に取り込まれた機長もまた同じように、ボロボロと崩れて消滅した。


「機長ォ!」


「アタクシの魔術【筋肉ストロング筋肉クレバー筋肉ビューティフォー】は『自分の筋肉は最強だ』という揺るぎない自信から生まれる」


 白い瘴気は彼女の上腕二頭筋から、大胸筋から、大腿四頭筋から……入念に鍛え上げられた努力の結晶の全てから湯気のように立ち上る。


「そうッ、自信! いかなる魔術も、アタクシの筋肉には決して勝てないという絶対なる自信ッ! そして、それを能動的に具現化するすべをアタクシは得たッ!」


 自信に彩られた彼女の筋肉は、他の魔術を無効化する絶対の盾。そこから醸し出される瘴気は抑えきれず、溢れ出す自信そのものであり、他の魔術を討ち滅ぼす最強の矛。一度発動してしまえば最後。彼女が『勝てる』と信じ込んだ魔術はその身に届くことはなく、瘴気に触れれば死に絶える。


「これこそが……アタクシの魔術の真骨頂ッ!【筋肉ストロング筋肉クレバー筋肉ビューティフォー──大筋圏内ゼロ・アトモスフィア】ッ!」

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