第103話 ウチの、昔の話③

 女はそれからも両親を介して、ウチのことをいたぶり続けました。だんだんとエスカレートしていく形で。何をされたかは……あんまり思い出したくないんですけど、お望みなら仔細しさいを……そうですか、ありがとうございます。


 そして、とうとう女はウチを『捨てる』ことを命じました。そうです。『欲しい』ではなく『捨てる』、です。雑巾みたいな毛布一枚だけ渡した裸同然の状態で路地裏に放り出せ、というお達しです。季節は冬まっただなか、という徹底ぶりには変な笑いが出ました。


 もうそのころには、商人としての仕事はおろか日常生活もできなくなって、知性も理性も溶かしつくしたといった感じの両親は、何のためらいもなくウチを捨てました。


 そっからの日々は……まぁ大変でしたよ。そのころ両親の悪いうわさが流れていたのか、みんなかわいそうな目はそれなりに向けてくれるんですけど、誰も拾っちゃくれません。


 とにかく寒いから体を動かしたり、擦ったりしなくちゃいけないし、最初の一日ぐらいは何も食べずに我慢してましたけどお腹が減ると汚くても食べたくなっちゃうんですねぇ。三日目にはゴミとかネズミとか、しゃーなしにいただくのが普通になりました。


 そいでもって、環境のせいか食べ物のせいか、体のあちこちに変なブツブツができて、これがとにかくかゆい! まぁ、バリバリかいてるとその部分があったかくなるんで、そこに手を当ててる間は少し安心できましたけど。


 あわわ、なんか涙出てきた〜。……ウチですか? 大丈夫ですよ〜。苦しんでるのは、今ここにいるウチじゃないですから〜。むしろ、みなさんのほうが大丈夫です〜? お話、つまんなくないですか〜? ……そうですか。やっぱりみなさんに聞いていただいて良かったです。今、折り返し地点ぐらいまで来たところですので、もうしばしお付き合いいただければ〜。


 それから一週間、ウチはどっこい生きてました。かなーり衰弱してましたけどね。そこに現れたのは救いの手……ではなく、またあの女。


『昨日、あなたの家が燃えたのは知っています? 屋敷にいた人間は、みぃんな黒こげ。誰一人助かりませんでした』


 見下すように笑う女の言葉を聞いて、ウチは『はあ』と生返事しました。寒さと日々の暮らしのせいで呂律ろれつも頭も回らなかったというのもありますが、その時のウチは両親に対して愛想が尽きていました。薄情なもんです。むしろ、お手伝いさんたちのほうを哀れに思ったぐらいでした。


『あらら、もう壊れてます? ちょっといじめ過ぎましたかねぇ。この薬もせっかく持ってきたんですけど、そういう事情なら必要ありませんね』


 女は、これみよがしに親指と人差し指でつまんだ錠剤を見せびらかしました。


「それ、それっ……!」


 ウチは女に向かって手を伸ばしました。


 生きることさえ面倒になっていたウチは、自分もその薬を飲んでおかしくなりたいと思ったんですね。だって、父と母はその薬を飲むまでウチのことを大事にしていてくれたじゃないですか。そんな、それまでのことが、大切なものさえどうでも良くなるような力があるのなら、ウチも飲みたかった。


『欲しいですか?』


 ウチは何度も首を縦に振りました。


 思い出があるから辛いんです。優しかったころの両親を知っているから悲しいんです。忘却と破滅だけが、その時のウチにとっては希望だったんです。でも……それすら叶いませんでした。


『あはは、冗談です。こんな強烈なものを子どもに飲ませるなんて残酷なこと、ワタクシにはとてもとても』


 女は見せつけるようにウチの目の前で薬を飲み込みました。


『どう……して?』


『だって、一番酷い目に遭う人間こそ素面シラフじゃないとつまらないでしょう?』


『ウチ、ウチら、なんか悪いことした……?』


『していませんよ? 一応、あなたがたがジールの子孫だというのもありますが……それは単に順番の話。復讐……という言葉は大げさすぎますね。気晴らしをしようと思ったら、たまたま目に付いたのがあなたがただったというだけのことです』


『う……うああああぁぁぁぁぁ』


 あんまりな言葉にウチは今まで抑えていたものがはち切れました。ボサボサの頭を血が出るまでかきむしって泣き叫びました。


『自暴自棄になっては、いけません』


 ウチはひとしきり泣いた後、体が中途半端に治っていることに気づきました。今できた頭の傷も、体のブツブツも。


『あれ、あれ?』


『命にかかわりそうな部分は治療しておきました。頭の傷はサービスです。大変だとは思いますが、ワタクシは応援します』


 女はウチと目が合うように腰をかがめて、歪んだ笑いを向けました。


『どれほどのドン底にいても諦めなければどうにかなる──偉大なるあなたの先祖が遺した含蓄ある言葉です。どうかこの言葉を胸に、強く生きてくださいね』


 そのまま女はフッと目の前からいなくなりました。あまりに現実感の無い消え方だったので、夢かと思ったウチは地面に何度も頭を打ち付けました。ですが、覚めることなく時間は現在まで続いています。


『あー、あー』


 生きることが面倒くさい。死ぬのが面倒くさい。目を開けるのも、閉じるのも億劫で、忙しなく動く心臓を止めたくて、でもそれすらしたくない。呼吸さえしたくなくて、ウチは……ウチは……。


 あ、え、みなさん、そんな、泣いてウチの手を握らなくたって……いえ、ありがとうございます。本当に、本当に、ありがとうございます……。


 ですが、安心してください。このウチに手を差し伸べてくれる……そんなヤツが、その時のウチにもいたんです。


『……おい、生きてるか?』


 それが、まあ、ウチとギフトの出会いなわけですが。

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