第102話 ウチの、昔の話②

 薬は、それなりに上手く売れました。最初の父のように警戒心を抱く人も一定数いて、人気商品とまでは言えませんでしたが、リピーターさんがとにかく多かったことも覚えています。


 それと引き換えに……両親の様子は日に日におかしくなっていきました。頭をかきむしったり、やたらと首を回したり……以前とは明らかに様子が違っていました。仕事上でのミスも増え、取引相手も昔からの知り合いか、あの女ぐらいのものになりました。


 女は毎日来ました。今思えば薬を流通させることなど最初どうでもよくて、両親にそれを飲ませ続けることが目的だったのかもしれません。


 アイツは以前話した三つ目の条件通り、時々何かを欲しがりました。応接室にある花瓶やら燭台しょくだいだったり……何か絶対に欲しいものがあるわけではなく、その場で目に付いたものを思いつきで要求するといった感じです。そしてある日……。


『そこの可愛らしいお嬢さん。あなたもこちらへ、いらしてくださいな』


 そう、扉の隙間から様子をうかがっていた私に向かって女は言ったのです。優しい声音でした。それでも心臓が握られたような、そんな今まで感じたことの無い寒気がしたのを覚えています。


 ウチは、よたよたと自分の意思に反して女のほうへと歩みました。なぜか、そうしないと命が無くなってしまう気がしたのです。


『可愛い子』


 女は震えるウチの頭を数度なでました。その手は傷も、汚れも、粘り気だって一つもないのに、ウチの頭にはナメクジが這われたような気持ち悪さが残りました。


『でも、ごめんなさいね』


 女が口角をあげます。口だけで笑います。


『ワタクシは、もっとうつくしいものが見たいのです。もっと可愛おもしろい顔が見たいのです』


 わけがわからないまま怯えて固まるウチから、父へと女は視線を移します。


『この娘を持ち上げてください。片手で、髪の毛を掴んで』


『え……?』


 思わずウチは父のほうを見ました。父もまた信じられないものを見るような目で女を見返していました。


『な、何を馬鹿な……』


『今日の分の薬をご所望しょもうでないなら、構いませんが』


 女が冷たくそう言い放つと、しばらく父は考えこむようにうつむいた後、ソファから立ち上がりました。そして、無言で、ゆっくりと、ウチのほうに近づいてきます。


『やだ……やめ……』


 父の大きな手が、後ろでまとめたウチの髪を掴みます。


『痛いッ! 痛いぃ!』


『あなたには娘の頰をはたいてもらいましょうか』


 今度は母に問いかけました。母もしばらくの間、逡巡しゅんじゅんしていたようですが、先ほどの父と同じように薬のことをチラつかせられると謝りながら何度もウチの頰を叩きました。


『ひ、ヒヒハハハハハハッ!』


 女が狂ったように笑います。


『人間ってのは、こうじゃなきゃいけませんよォ! 自分の欲望のために、大切だとうそぶいたものを簡単に踏みにじることができる! それこそヒトの素晴らしさ! 見ていますか、ジール! あなたのすえは、こんなにも無様だ!』


 そんな言葉を聞きながら、ウチは父に髪を引っ張られながら母にぶたれ続けました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る