第95話 最後の質問

「タクトさん遅いねぇ」


「何着るか迷ってるのかもね〜〜。あんなフリフリの服着てたし、案外オシャレさんなのかも〜〜」


 カムダールとレギヌの二人は【秘服室クローゼット・サークル】のテントのそばで、ゆったりと丸太に腰掛けつつ揺れる焚き火を眺めていた。中で起こっていることなど、いざ知らず。


「念のために、ちょっと開けてみる〜〜? 元々おじいちゃんらしいし、何か持病とかあって中で倒れてるとかだと大変──」


 カムダールが、そんなことを呟いているうちに【秘服室】の入り口にかかったカーテンがサッと開く。鏡を出す場合と同じで、念じることによって動かすこともできる仕様だったので、拓人が出てきたのだろう……と、二人は思った。噂をすれば影、といった具合で。だが……。


「……!」


「ひッ……!」


『それ』を見て、カムダールは直前まで糸のようだった目を見張り、レギヌは悲鳴を漏らす。


 出てきたのは血まみれのゴスロリ服だった。左右の肩から胸にかけてのラインに目玉のような模様が一つずつ浮かび上がり、腹のあたりが口であるかのようにギザギザに裂けている。そういった違いはあれど、確かにそれは【秘服室】に入る前に拓人が着用していたものだった。


 ボロボロになって、もう半分もないその袖に引きずられているのは──拓人。


 カムダールは、瞬間移動と言ってもいい速さで接近する。すぐさま刀を抜き、服の化け物のようなそれに向かって振り抜こうとした。しかし、また刀は標的に接触する前にピタリと止まり、握った手が震えだす。


 ──『アイツ』じゃないって、わかってる。なのに、ウチはどうして──。


 そんな彼女の様子を見た化け物は、もしできるならため息を吐いているだろう思えるほど呆れたような顔をした。


「この状況で最初にやることが、それかよ」


「……え?」


「レジーのヤツは今、どこにいる? とっととこいつを回復させたいんだよ。血が出すぎてる」


 化け物は妙に馴れ馴れしく、落ち着き払った様子で、淡々と言い放った。






「それじゃあ、最後の質問じゃ──」


 数分前、マッドは拓人に無力化されていた。彼の意識の乗った服──【装女王ハートアリス】は、袖を引きちぎられたうえ、割れた鏡の破片によってうつ伏せに地面に縫い付けられている。


 彼の上では、拓人が半ば馬乗りになった状態で新たな破片を突きつけていた。もしマッドが人間の体ならば、心臓のある位置に。


 拓人の首筋から時折こぼれる血が背中に垂れるたびにマッドの心臓は跳ね上がるような気分だった。それほどの緊張状態である。


 彼が操る【装女王ふく】がどれほどの攻撃を受けたところで、人間としての体ほんたいに物理的な傷は残らない。しかし、痛みは感じる。今後の展開次第では、精神に深刻な後遺症が残ることも危ぶまれた。


 ──ちくしょう! オレがこんなヤツに! こんなヤツにッ!


 負けるはずがない。そう思っていた。拓人は一人。取り巻きは、いない。自分の魔術の攻撃力が低いことを踏まえても勝てるはずだった。


 しかし、結果はこの通り。手も足も出ない状態にされてしまっている。自分以下の弱者に敗北を喫することは、大した誇りも持ち合わせていないマッドにとっても屈辱的なことだった。


「……おい、最後の質問じゃ。聞いとるのか?」


「……聞いてるよ」


 はらわたが煮えくりかえるような思いだが、耳を傾けなければ、いつ刺されるかわかったものではない。


 マッドの言葉を受けて、そうか、と呟いた拓人は意を決したように一息吸ってから言った。


「──ワシは、どうしたら……いい?」


「あ?」


 彼の声は上ずっていた。


「ワシは、この世界に来てから誰かを頼って、その人たちの影に隠れる……そんなことを繰り返しとる。みんなは気にしないようにと、それで構わないと、言ってくれるがワシにはどうにも……我慢ならん」


 マッドの背中を血とは別の何かがポタリ、ポタリ、と打つ。


「ワシは、守られているだけの自分が嫌じゃ。そのほうがみんなのためになるのだとしても、その事実に甘えることだけはしたくない」


 レオ王に立ち向かった時、拓人の心には『自信』が生まれた。しかし、ただ『自信』があるだけでは、どうしようもないことが多すぎる。むしろなかば『自信』が生まれたからこそ、自らの現実がみじめに見える。


  『活躍』は小さくてもいい、エレンはそう言ってくれた。しかし、そんな小さな『活躍』さえも、まぐれ当たりばかりなのが現状だ。


 しばらく、拓人の鼻をすする音が響く。


「じゃが、じゃが……どうすればいいのか、わからない。無力な自分が嫌で、嫌で嫌で嫌で! 苦しくなる! 逃げたくなる! 死にたくなる!」


 ──それでも、逃げたところでどうしようもないのは一番よくわかっとる。


 血が落ちる。涙がこぼれる。鼻水が垂れる。とめどなく流れるその全てを背中で受けながらマッドは、ああそうか、と悟った。


 ──仲間に弱音を吐きたくねぇから、オレにぶちまけてるのか。


 感情のはけ口にされたことは酷く不愉快だ。だが、それ以上に拓人のことがひどく哀れに思えた。


 マッドは、拓人がここまでの感情を抱いているとは知らなかった。いくら肌身離れず生活していたとは言っても、心を読む能力を持っているわけではないので当然と言えば、当然だ。アンたちにばかり戦闘を任せることについて申し訳ない、とチラリとこぼしていたことをかろうじて覚えていたぐらいである。


「──案外、生き辛ェ性格してんな、アンタ……」


 泣き疲れたのか、出血しすぎたのか拓人の体はマッドの体に覆い被さるように倒れた。重みにマッドはうめいたが、その拍子にいくつか鏡の破片が外れる。残りの拘束を外すのに多少苦労したものの、彼は自由を得た。


 一度、拓人にトドメを刺そうとしたが、思いとどまる。


 ──うまく王の目を盗んで、初めてコロシの味が知れると思ったら──肝心の獲物がこれじゃあ、世話ねぇよ。


 そう考えながら、マッドは破れかぶれの袖で激痛を感じつつ、拓人の手を握りながら引きずった。コイツを見殺しにして今後の人生で味わい続ける痛みのほうが、気分の悪いものだろう、と想像しながら。

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