第2部 第2章 老人とならず者の村

第79話 アローヘッド・テイルウィンドとワンダリング・パイロット①

「う、うう……」


 彼女は、怯えていた。飛び起きたはいいが、逃げ出す気力は湧いてこない。外に出れば見つかるかもしれない。ただ、毛布にくるまってやり過ごすしかないと考えてしまう。それさえ薄々無駄だとわかっていても。


「お、おっきい、魔力のかたまりぃ……アイツが、アイツがウチをつかっ、捕まえに来たんだ……」


 歯の根が合わないまま、うわ言のように繰り返すその哀れな存在を二人の男が見下ろしていた。


「なぁ、ゴートー兄ちゃん。おれらみたいなんでもよぉ、やらなきゃいけないことってあるよな」


「ああ、人間にゃやらなきゃいけねぇことがある。死ぬかもしれねえとわかっててもな──それが今だ」


 叫び声が上がって、二人で駆けつけた時には彼女はすでにこうなっていた。はじめは何に怯えているのかわからなかったが、今は嫌でも感じる。超、巨大な魔力の気配。殺意の塊がこちらに向かってくる。


「行くぞ」


「おうよ」


「!」


 二人の動きに反応して、彼女は夢中で男たちのズボンの裾を掴んだ。


「やだ!やだ!行かないでぇ!」


 生きるにしても、死ぬにしても一人は嫌だった。戦わなくていいから、一緒にいて。


 男たちは思いっきり、空を蹴るように踏み出してその手を振り払う。


「許せ、ねえさん。アンタのためだ」


「もし、できるならよぉ。逃げてくれよ。頼むわ」


 そう言って、二人の男は出て行った。彼らはきっと死ぬのだろう。彼女が逃げる時間を稼ぐために。


 しかし、彼女には──逃げる勇気も、二人を助けに行く覚悟もなかった。






「ッ……!」


 矢が刺さっている。それを認識した瞬間、ライデンの痛みはより強くなった。


「な、なんじゃ一体⁉︎」


「どこから飛んできた⁉︎」


 エレンが周囲を見回す。彼女の【当方見聞録プライベート・ファイリング】は人や動物以外を対象に発動することはできない。少なくとも今は、そういう風に弱体化している。


 つまり、凶器を飛ばした犯人を見つけなければ、その者の能力の手がかりさえ掴めない。


 だが、目を凝らしても狙撃手は見つからない。周囲は先ほどライデンと戦ったところよりも平たい土地で、身を隠せるような場所などないというのに。


「アン! 矢を抜いてやれ! そのあと、レジーは回復を! 迅速に頼む。この前の盗賊の短剣のように毒が塗られとるかもしれん!」


「は、はい!」


「わ、わかった!」


 拓人は夢中になって、それぞれにしてほしいことを叫んだだけだった。だが、言った後で、


 ──あれ? 今の指示結構良かったのでは? うまくできたのでは?


 と、不謹慎ながらも、少しばかり得意になってしまう。


 ──今まで特にこれといった活躍こそできんかったが、この世界に来てからアンたちとともにワシも色んな戦いを経験してきたからのう。少しは戦い慣れして……ふふ、『戦い慣れ』……いい言葉じゃのう。ふふふふふふふフフフフ……


 ──さくっ。


 そんな擬音が聞こえてきそうなほど『それ』は綺麗に刺さった。


「あ、え?」


 とろり。拓人は、ひたいから流れ出る何かを理解が追いつく前に手で触れる。見ると、手の平にはべったりと血が付いていた。


「タクトどの?」


 ライデンから矢を抜いたばかりのアンが異変に気付いた時、すでに拓人は落馬している最中だった。


「タクトどのォー⁉︎」


 多少は『戦い慣れ』してきたとは言っても──。


 ──いや、身体能力は急には上がらんて。


 そんな誰にあてたわけでも無い言い訳を心の中でしつつ拓人は、ぐっふう、という呻き声を地面に叩きつけられると同時に漏らした。






「信じられねえ」


 ドノカ村入り口付近の柵の内側。魔術を通した視界から拓人たちの様子を見ていた利発そうな顔の男は、驚愕の表情で言った。


「矢は二発とも敵の体に難なく着陸。俺の『機長』の働きがあるとは言え、逆に気味が悪いな」


「おれ馬鹿だけど、わかるよ。こっちを油断させるためにわざと攻撃を受けたんだ」


 柵の上から少しばかり顔を出しながら弓矢を構えるもう一人の男は、狙いを外さないまま言った。


「なら誘いに乗ってやるとしようじゃねえか。もちろん、油断はしないがね」


 ──だが、それにしても。


 と、一筋の疑念が利発そうな男の頭をよぎる。


 ──姐さんは本当に、あんなアホそうなガキを怖がってやがるのか?


 超巨大な魔力が垂れ流されているのは、わかる。その源が、あの金髪の子供だということも。


 だが、その割に取り巻きはそうでもない。他の三人のガキは垂れ流してはいるものの大した量じゃない。


 かたわらでなぜか足を押さえてうずくまっているゴツいおっさんなんか、礼儀正しすぎるレベルで魔力を抑えている。


 それがなんだか奇妙だ。こっちを潰す気なら仲間も全力を出すべきだろうに。一人で十分……とでも言いたいのだろうか。


 ──そもそも、どういう組み合わせなんだ? こいつら。父親がガキ四人を馬に乗せて遊ばせてる……にしてはガキどもの髪の色が違いすぎるだろ。浮気しまくりかよ。


「……いや、やっぱりそれはないな。どちらにしろ、あのくらいのガキが持つ魔力にしちゃ、でかすぎる。どう好意的に見ても穏やかじゃねぇ」


「兄ちゃんよぉ、あんま難しいこと考えんなって。おれらは姐さんとアイツらを合わせないように努力するだけ……そうだろ?」


 弟の言葉に、兄は顔を上げた。妙に考え込んでしまっていたようだ。らしくもない。


「──そりゃそうだ。俺たち弱者は弱者らしく、全力を尽くすだけだ」


「がってん」


 その力強い返事を聞いて、やはり頼りになる弟だと兄は思う。


 兄は再び、魔術を通して見える景色に集中し始めた──。






「矢はおそらく……あそこから飛んできた。今はそう仮定するしかない」


「ほんとに?」


 地面に寝そべりながらドノカ村を指差すエレン。その隣でレジーもまた、横になった状態で疑問をていする。


「あの村からボクたちの距離は、だいぶ離れてる。ボクたちも他に目立ったものがないから、あの村を見つけられただけ。矢が届くような距離じゃないと思うけど」


「だからそれを『届かせる魔術』なのだろう。風を操るのか、射った矢を瞬間移動させているのか……」


「ボクたちの近くに透明人間みたいなヤツがいて、そこから射ってる可能性は?」


「ない。たとえ透明であっても対象がそこにいれば【当方見聞録】の発動自体はできる。詳しい位置まではわからないだろうが、近くに何かがいるかどうかの判断ぐらいは可能だ」


「ちょっと二人とも〜?」


 寝そべりながら淡々と会話する二人に、アンは怒気をはらんだ声とオーラを向ける。


「タクトどのの一大事に、何のん気にくっちゃべってるんですか! 矢が、頭に、刺さってるんですよ!」


「……あたまちょういたい、からだもいたい」


 一人で拓人の頭に刺さっている矢を頑張って抜こうとしているアンの姿はなんとも健気だった。


「……わ、悪いが力仕事は貴君に任せることにしている」


「アンが矢を抜くまで、ボクは仕事できないからね。刺さったまま回復したら、頭の中に矢が埋まっちゃうし」


「シャボン玉を使って、飛んでくる矢を牽制けんせいしててください!」


「大丈夫……タクトに刺さったあとから新しい矢は飛んできてない」


「次に備えてください! 誰かに当たってからでは遅いです!」


 でもさぁ、とレジーは不満を隠そうともしていない。


「牽制に魔力いたら、あるじを回復するぶんが無くなるかも。でっかい雷に打たれた誰かさんを治すのにだいぶ使っちゃったから、ボクはすごく疲れてるんだ」


「何をう……!」


 憎まれ口を叩くレジーに向かってエレンは、 それは疲れもするだろう、と楽しげに笑う。


「ライデンちゃんとの戦いのあと、気絶したアンに向かって貴君は、タクトといっしょに必死で呼びかけていたからな」


「なっ……!」


「再現してやってもいい。『アン! 起きてよ!戻ってき』むぐ」


 微妙に似ていないモノマネをからかうようにするエレンの口を、レジーは顔を真っ赤にしながら塞いだ。


「そういうこと言わなくていい。エレンだって、あの時すましてるように見せたかったんだろうけど、涙ポロポロこぼしてたじゃん」


何をうむぐぐ……!」


「……まったくもう、あなたたちは」


 仕方ない、というため息を吐きながらも少し温かい気持ちになったアンは、怒りを鎮めて再び拓人に刺さっている矢に意識を向ける。


「なるべく痛くしてはいけないと思い、手加減していましたが一向に抜ける気配がありません。なので、思いっきりいきます。よろしいですか?」


「ひ、ひとおもいにやってくれ……」


 あるじの意を聞き届けたアンは、全力を込めて矢を引っ張った。


「いだだだだだだ!」


 しかし抜けない。ライデンの足に刺さっていたものは、力を入れるまでもなく抜けたのに。


「いったいどうなって……え?」


 今さらになってアンは気づく。自分が抜こうとしている矢、その上に


 それは、アンの視線に気づいて彼女のほうを向く。何らかの制服に身を包み、サンタクロースのように豊かな白髭を蓄えたその生き物は──。


 オヘ? と間の抜けた声を出した。

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