第75話 アンガー・サンダーボルト⑧ 生きよ

 ライデンの馬の体ほんたいはパチリと目を開けた。無意識のうちに脚を畳み、横になっていた体を、すっくと起き上がらせる。


 視界がはっきりするにつれ、彼女は驚き眼を見張った。


「おお、よかった。目を覚ましたんじゃの」


 そんな風に、何事も無かったかのように話しかけてくる拓人の存在がライデンには信じられない。


「一時間ほど目を覚まさなかったので、ヒヤヒヤしましたよ」


 ライデンは思わず、あんぐりと口を開けた。アンもまた安堵したかのような表情で、馴れ馴れしく声をかけてきたからだ。彼女の体にはもう、傷一つない。


「痛みを感じるだけで実際に怪我してるわけじゃないって聞いたけど、一応回復しといた。アンの怪我治すのに全力出したから、ほんとにちょっとしか残ってない魔力を使っただけだけど」


「いや、貴君の魔術は大いに役に立ったはずだよ、レジー・アイドルネス。【当方見聞録プライベート・ファイリング】で経過観察をしていたが、貴君が回復を使ってから彼女の心拍数は少しずつ落ち着いていったからね」


 レジーも、エレンもそんな風に言ってのける。


「……ずいぶんとヒッ舐められたものねヒヒヒヒン


 ライデンは敵意の込もった瞳を四人に向けながら低く唸る。


 敵への……いや、敵だとすら思われていないような情けを、彼女は今は亡き主人と自分への侮辱と受け取った。言葉としては理解されずとも、感情は伝わったようで拓人は慌てて釈明する。


「お、落ち着いてくれ。ワシらにはもう戦う理由がない」


どういうことヒヒン……?」


「『黒い石』は破壊しました」


 そう言って、アンは右手で握りつぶした『石』の残骸を見せた。


「まさか、尻尾の生え際に黒い石のネックレスが結び付けられとるとは夢にも思わなんだのう」


ヒッ……触ったのヒヒンッ!? 断りなくヒヒンッ! 乙女のヒップをヒヒーンッ!」


 今にも暴れ馬にならんとしているライデンを拓人とアンはなだめる。


「ま、まあまあ、触ったのワシじゃなくてアンじゃし」


「綺麗なものでしたよ。うんちとか付いてませんでしたし」


そういう問題じゃないわよヒヒヒヒヒヒヒーンー!」


 激しい……と呼ぶには少し小さい雷がライデンの側に落ち、アンガーの体が姿を現わす。先ほどと同じように、ライデンはその口を借りて声を荒げた。


「もう許さないわッ! 今度こそブッ殺し確……て……い」


 だが、すぐにその体は膝から崩れ落ちる。よく見ると、鎧はボロボロで大槍も再現できていなかった。


「あーもう、ほとんど魔力切れてるのに無理するからだよ」


 そう軽く非難するレジーの姿をライデンは上目遣いで睨みつける。


「どうして……なの?」


「?」


「どうして……あたしを殺さないの?」


 ライデンは最初、『黒い石』だけを破壊してもらい命は助けてもらう……わずかばかりであるがそんな都合のいい期待を抱いていた。まさに今の状況のように。


 だが、それは本気を出す前の話だ。愛する主人であるアンガーの全盛期の力を振るいながら、それでも敗北した今の状況では命惜しさよりも、情け無さのほうがどうしても大きくなる。


「だって、タ、タクトがさー」


 まだ呼びづらいのか、レジーが少し顔を赤くしながら、拓人に視線を向ける。


「そりゃそうじゃろ。洗脳されて、戦わされて、そのまま死ぬとか人じゃろうと馬じゃろうと悲しすぎるわ」


「私も同じ考えです。もし、ライデンちゃんが嫌々従わされているのなら助けるのは当然のこと」


「主従そろって聖人気取りなわけぇ……? ……てゆーか、何よその呼び方!? 馴れ馴れしすぎるわ!」


「ボクからも一つ」


 レジーが軽く手を挙げて話の輪に入る。


「なに? もしかしてアンタたち一人ずつに理由があるわけ? そんなのいちいち聞いてらんないわよ!」


「何言ってんの。最初に聞いたのそっちでしょ? それに、最終的に誰をどれだけ回復するかを決めるのボクだからね。ボクの理由だって大事に決まってる」


 まぁ聞いてよ、とレジーはマイペースに続ける。


「ライデンちゃんは、アンのことを成長させてくれた。それがボクの理由」


 アンと戦い、窮地に追い込んだのはライデンだ。しかし、レジーの言う通りそんなアンに喝を入れ、新たな力を目覚めさせたのもまた彼女だった。


「それに関しては私からもお礼を申し上げます。……ありがとうございます。ライデンちゃん」


 アンは微笑みながら、ぺこりと頭を下げた。


「だから、ライデンちゃんはやめて。あたしはただ、全力を出した相手と戦いたかっただけよ」


「かもね」


 レジーが意味ありげな笑みを浮かべた。


「かもね、じゃなくて、そうよ」


「結果論でも、そういうことしてくれた相手を敵だからってバッサリやっちゃうのは、面倒がりのボクでも目覚め悪い」


 自分からすれば冗談のようなことを、さも当然であるかのように言うレジーの様子を見て、ライデンの怒りの炎は少しずつ勢いを潜めた……というよりも、あきれてしまった。


「はあ、なんか疲れてきたわ」


「そうか。では、最後に当方とタクトの共同推理の成果をぜひとも聞いていただこうか」


 そう言いながらパイプをくゆらせるのは、もちろんエレンだ。もはやライデンは、疲れたって言ってるでしょ、と反論することさえ面倒臭くなっている。


「勝手に言ってなさい。適当に聞き流すわ」


「まぁ、そう言わんでくれ。お前さんの主人であるアンガー皇帝にも関わる話じゃ」


「……何ですって?」


 ライデンは歯を食いしばって他でもないアンガーの体を立ち上がらせ、その手の中に意地でもう一度雷を落とす。


 やはり、魔力が枯渇しかけているせいか、その大槍は一部が再現できておらず、ところどころ穴が開いたようになっていた。


 だが、そんなボロボロの武器でも『アンガー様のことを少しでも悪く言ってみなさい。その瞬間、ためらいなくその貧相な胸に風穴開けてやるわ』という確かな殺意がにじみ出ていた。


 それを感じ取ってか、アンが拓人の前に出ようとした。だが、


「大丈夫じゃ。アンガー皇帝のことも、ライデンちゃんのことも、悪く言うつもりはない」


 そう言って彼女を下がらせた。


「その前に前提をハッキリさせておきたい。貴君の主人は戦場で死んだのか? それとも、とこの上で安らかに息を引き取ったのか?」


 エレンもまた、ライデンの鬼気迫る様子に物怖じせず尋ねる。その不躾ぶしつけな質問と態度にライデンの眉根がピクリと動いた。


「……ふん。あなたの魔術なら、あたしの過去なんて簡単に知れるんじゃないの?」


「あいにく、調子が悪くてね。断片的にしか読み取れないんだ。推理を万全にする最後のピースとして、貴君の証言が欲しい」


 妙に真面目くさったエレンの表情を見て、ライデンは、それぐらいなら教えてやってもいいか、という気分になった。


「……戦場よ」


「そうか、やはりお前さんの主君は立派で、優しいかただったんじゃの」


 何かに納得したように頷く拓人に、ライデンは鼻を鳴らした。


「あったり前じゃない。今さらなにを……」


 と、途中で違和感に気づく。


「ちょっと待って。それって話繋がってる?」


 確かに、拓人の言うアンガーの人物像とライデンの記憶にある彼の人となりは一致している。だが、なぜ『戦場で死んだ』から『立派で優しいかた』になるのだろうか? ライデンにはまるで理解できない。


「繋がっているさ。お前さんにとっての『最後の戦争』……それにアンガー皇帝とともに出陣しとったことは、エレンから教えてもらっとる」


「敵国の名前まではわからなかったがな……今はどうでもいいだろう」


「そこで、アンガー皇帝は亡くなったんじゃよな?」


「……そうよ」


 ライデンは今でも鮮明に思い出せる。自分の目の前で切り裂かれた主君。浴びた血の妙な生温さ。そして、修羅の如き形相をした仇──レオ・ドライプライドの顔──。


「少なくともアンガー皇帝は、お前さんが死ぬことなど望んどらん。ワシとエレンはそう思う」


 拓人の言葉に、ライデンは目の前の現実に引き戻される。


「……どうしてそんなことが言えるの?」


 全力を出して、仇ですらない相手に負けて、これ以上まだ生きる意味があると──あの人がいくら優しいからとはいえ──言ってくれるのだろうか。


「極めて個人的なワシの意見を述べさせてもらうとじゃな……お前さんが今日まで生きていることこそが答えじゃと思う」


「あたしが……生きていること?」


「そうじゃ。お前さんはどうにも主人を置いて逃げるような者には見えん。魔術で主人の姿や武器まで再現するほど愛にあふれている……お前さんは」


「……」


 その通りだった。


 ──あたしの死に場所は元々あそこだった。アンガー様と運命をともにするはずだった。恐怖は無く、覚悟するまでもなく、そうすることが当然だった。それでも、あたしが今生きているのは──。


「それでも、お前さんが今ここにおるのは……お前さんの主人……アンガー皇帝が『生きろ』という思いを込めて、お前さんを逃したから……そう思う」


 拓人のその一言でライデンは、霧が晴れたように思い出す。今まで、胸いっぱいになっていた憎しみのせいで、ぼやけていた大切な人の最後の記憶。


 ──あの人は、レオと戦う直前にあたしから降りた。その時、すでにかなり消耗していたからレオの気配を感じ取った時点で自分の運命を察してたのかもしれない。


 魔術の使えなかったそのころのあたしでも、脚の早いのが自慢だった。でも……その時ばっかりは人間が羨ましかったわ。もしあたしが人のような手を持っていたなら、無理矢理にでも彼を抱き寄せて──今よりずっと遅い脚でもいい──いっしょに逃げられたのに。


 雄志おとこたちは戦った。乙女あたしなんかおいてけぼりにして。死の間際、あの人は言った。


『生きよ』


 どうしていいかわからなかったあたしは、その一言で駆けた。レオの手勢のいないところまで。アンガー様のいないところまで。


 それから、あたしの生きる意味はレオへの復讐になった。そう決意した時のあたしは怒りと憎しみに彩られていたし、愛する人のためにはそうすることが当然だと思っていた──けど。


「……思っていいのかしら、ただ生きて欲しいと願われただけで……そんな理由だけで、生きて」


「誰からも願われなくとも、の。じゃが、さらにその上でお前さんは願いを受けた。他でもない愛する者から。それを押しのけてまで自ら死ぬ理由なぞ、どこを探したってあるはずがない」


 それに、と拓人は眩しそうに目を細めながら、晴天の空を見上げる。


「そんなお前さんを殺そうものなら──本当の本当に、ワシらの上に雷が落ちてきそうじゃわい」


 そして、空の上にいるかもしれないアンガー・サンダーボルトに向かって挨拶でもするかのようにニカッと笑った。


「……ふん。アンタの言う通りね。あたしに何かあったら、アンガー様が黙ってないんだから」


 どこまで遠く、青い空を見上げる。きっとあたしがそこに行くのはずっとずっと先の話なのだろう。


 ライデンは、そんなことを思った。

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