第72話 どんな人だと思う?

「私のあるじとなられるかたは、どのようなお人なのですか?」


 期待を隠せないアンの表情に、神は意味ありげな微笑みを返す。


 神は観測者の嗜好しこうによって姿形を変える。この時はアンの父親と同じ顔をしていた。口調や性格までは似ていないけれど、それでも良い。そのほうが良い。ずっとこんな風にお父さんに優しくしてもらうのが彼女の夢だった。


「どんな人だと思う?」


「世界を救う使命を負う人なのですから、きっと強い人なのでしょう!」


「違うよ。全然強くない」


「え」


「むしろ、弱いかも?」


「私よりもですか?」


「ははは! アンに敵うはずないじゃないか!」


「……」


「というか七人ミューズのうちの誰にも勝てないだろうね。魔術だって使えないし」


 先ほどまで目を輝かせていたアンは不安そうに小刻みに震える。


「……大丈夫なのですか? そのかたは?」


「大丈夫さ。それだけはこの僕が、神の名にかけて保証しよう」


 胸を張って言うちちの姿を見てアンの震えは止まった。


「なるほど。では、弱くとも正義感にあふれるかたなのですね。世界を救うという確かなこころざしがあれば、きっと大きな武器に……」


「ううん。正義感とかあんまり無い。それどころか『世界ぶっ壊れろ』って何度も思ってる」


「大丈夫なのですか、そのかたはー!」


 こういった問答が何度か続いてから、神は言った。


「──だけどさ、優しいんだよ。彼は」


「……優しい? 弱くて傲慢で怠惰で嫉妬深くてろくに愛を知らないくせに食欲だけは人一倍で怒ってるのに泣き寝入りすることが多くそれでも誰より強欲で極め付けには『世界ぶっ壊れろ』と何度も思ってるかたが……ですか?」


「わーお。僕の説明下手のせいで拓人くんの評価がものすごいことになってる」


 ゴメンね、拓人くん、と神は心中で舌を出す。


「……うん。彼の中には言葉にも形容しがたいどろどろとした色んなものが渦巻いている。それは彼自身の人生によって形成されたものだ。元をたどれば僕の責任ということになる」


「そんなことは……」


「いや、彼の人生がそうなったのも、七人キミたちの人生がああだったのも全ては僕のせいだ。僕が君たちの想い描く『神』のように全知全能で、完全なる理想郷を作り上げられる存在ならこんなことにはなっていないからね」


 寂しさをのぞかせる困ったような微笑みにアンは何も言うことができない。一度目の生はお世辞にも良かったとは言えない。二度目の今は七人だけの世界で楽しく過ごすことができているが、何か大切なことを忘れているような気持ち悪さが残っている。


「キミたちや拓人くんは立派だよ。僕なんかよりもずっとね」


「な、何を仰いますか! そのようなことは……」


「いいや、心の底から思うよ。僕は全知全能じゃないなりにも、色んなものを持って生まれてきたからね。限られたものを頼りに日々を精一杯生きている者たちは全て尊敬の対象なんだ」


 その言葉に嫌味っぽい調子は一切無い。神が持つ純粋な意見だった。


「中でも拓人くんはキミたちに合っていると思った。彼は色んな欲望を持ち、ついつい魔が差してしまうこともある。だが根っこの部分が善人だから、そういう自分の良くないものを持ち前の優しさで丸め込んでしまうんだ。それゆえに、ふらふらとした足取りだが、それでも道を大きく外れることはない」


「優しさ……? そういうものは、厳しさで律するものではないのですか?」


「もちろんそういう時もあるよ。でも、彼の場合はやっぱり優しさでどうにかする場合が多いかな。自分がこういうことをしてしまったら他の人にどんな不利益があるだろう、どんな気持ちにしてしまうだろう……って具合にね。多分、彼は他人の不幸が苦手なんだ」


「正義感……とはまた違ったものなのですね」


 アンの言葉に神は首肯しゅこうする。


「そうだね。正義感と言った高尚なものというよりは、道徳心による精神の統制が人より強い感じだ。まぁ、彼も人間だから許容量キャパシティ超えちゃった時とかはその限りじゃない。そう言った時は七人キミたちが力を合わせて彼を支えてあげてくれ」


「私たちが……」


「僕の目に狂いが無ければ、彼はキミたちに様々なものを施してくれるだろう。逆にキミたちもまた、色んなことを彼に授けてあげられるに違いないさ」


 神の口調は確信に満ちたものだった。だが、それでもアンの心には一抹の不安が残る。


「……ですが、やっぱりちょっぴり怖いです。私はその……タクトどのがどんな人か実際に見ていないので……」


「うーん、やっぱり言葉で伝えるのは限界があるなぁ……あ、そうだ」


 神は何か思いついたようにポンと手を打った。


「アン。キミの頭に拓人くんの人生の記録を自由に再生できる機能を追加してあげよう。それなら言葉で言い表せない人となりも、わかってもらえるはずさ」


「その技術ちょっと、というかだいぶ怖いのですが⁉︎」


「大丈夫大丈夫、ぼくに任せたまえー。ほうら、おでこ出して」


 アンは心配になりながらも、右手で前髪を上げた。神は右手の人差し指を一本立てる。その指先には小さな光の玉が浮かんでいた。


「これが拓人くんの人生を凝縮した記憶の塊のコピー。その前にキミの意志についても最終確認しておこう」


 神はそれまでの和やかな雰囲気を捨て、真剣な表情、そして声色で言った。


「これを受け取る覚悟が……キミにあるか? 一人の人間が曲がりなりにも一生懸命に歩み、駆け抜けた魂の記録を。もちろん拒否しても良い。彼のは、なかなかに悲惨だ。歩み切った生き様は立派だし、それを馬鹿にする権利は誰にも無いけれど、他人が見て気持ちよく思うかどうかは別の話だからね」


 それまでとは違う神の様子にたじろぎながらも、アンは答える。


「……もちろんです」


「いい返事だ。それじゃあ……」


 神は光の玉が付いた人差し指でアンの額に触れた。


「あ、ああ……」


 見ず知らずの他人の記憶が、アンの脳内に流れ込む。走馬灯のように幼少期から晩年までの記憶が手始めに再生された。


 苦悩、悲しみ、憂鬱……あいだで小休止のように挟まる、日常の取るに足らない極めて小さな喜びを糧にそれらと死ぬまで付き合い続けた一人の人生。


「どうかな? キミから見て、彼はどんな人間に見える? 素直な感想を言ってよ。他の六人ミューズに紹介する時の参考にしたいんだ」


「『──』」


 アンは極めて率直な感想を言った。しかし、それは神に求められたから……というよりも拓人の人生のダイジェストを見終わって、思わず呟いてしまった一言だった。


 神はしたり顔で言った。


「それだ」

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