第2部 第1章 老人と平原の旅

第63話 新たな旅のはじまり

 20XX年、どこにでもいる普通の79歳、連堂拓人は末期がんの自宅療養中にオタクグッズに囲まれながら最後の時を迎える。


 彼は今までの人生の道程を無理矢理自分に納得させながらも、第二の生──異世界転生に憧れていた。


 その願いあってか、彼の行き着いた死後の世界では神を名乗る少女が現れ、転生を提案した。拓人はすぐにこれを承諾。


 神から【七人の女神セブンミューズ】という七人の精霊を召喚できる特別なスキルの他、多数の強力な力を受け取り、新世界に降り立った彼はその力を使い無双する──はずだった。


 しかし、いざ転生してみると体は幼女に! スキルは【言語理解】と【七人の女神】以外使えなくなっている! 無双するどころか、そこいらの盗賊にうっかりやられそうになる始末。


 【七人の女神】も七人そろわないし、そもそもスキル名ももう【七人の女神】じゃないらしい。初めて立ち寄った国で精神的にボコボコにされ、傷つき、めげかけ、それでもその中で成長し立ち上がる!


 ──すべては第二の生を幸福と希望で満ちたものにするために──


 元老人、現幼女。暗中模索で旅をする連堂拓人の明日はどっちだ⁉︎






「う……」


「う?」


「うまーい!」


 拓人たちは『魔力の制御』の方法についてカムダールに教えを請うため、ドノカ村への道を急いでいた。だが……。


「なんじゃ、この実の味は! 見た目は至る所にトゲの生えた柿っぽいが、柔らかくて痛くない! なんと醤油しょうゆのついた寿司の味がする! サーモン! しかも、玉ねぎとマヨネーズが乗っかっとるやつ!」


 現在は、休憩中だった。平原の途中にあった、ちょうどいい木陰に四人一緒になってウッデンが持たせてくれた食料にありついていた。


「不思議な味です。しょっぱいけど、ちょっぴりあまくもあるような……タ、タクトどのがいらっしゃった世界にもこんな不思議な味の食べ物があったので?」


 拓人の左隣に座る、鎧をまとった赤髪の幼女の名はアン・ヒューリー。拓人のスキルで呼び出した精霊の一人だ。あるじのことを名前で呼ぶのには、まだ慣れていない。


「ああ。寿司というのがあってな。ワシの大好物なんじゃ。生魚を乗せた酢飯を……」


「なるほど。どおりで」


 右隣に座るエレガンス・ホーティネス……通称エレンがうんざりしたような顔で言った。


 身につけた帽子とコートが英国の探偵を想起させるが、背丈はアンと大差ない。腰ぐらいまでに伸ばされたつやのある長い黒髪は、彼女が地べたに座っている今、一部がぺたんと地面に着いている。


「かつて、当方たちがいた世界では魚は基本的に火を通して食すものだった。先入観にとらわれてはいけないとわかっていても、味の好みばかりは……な。彼女を見習いたいものだよ」


 そう言ってエレンは『彼女』を見上げる。その精霊はシャボン玉のような泡に包まれながら、拓人たちの頭一つ分上の位置をただよっていた。


「おいしい……いいな、あるじのいた世界は、こんなのあったんだ」


 彼女はレジー・アイドルネス。シャボン玉を操る精霊だ。普段は半目がちで不機嫌そうにさえ見える表情も、今は幸福に満ちているのがはっきりと見て取れた。


「いいなー、いいなー、たぶんチンミ、ってやつだよね。あるじの言ってる『スシ』って言うの高いでしょ?」


 拓人は前世を懐かしむように、一瞬目を閉じてから答えた。


「物によるのう。ワシが普段食べとったのは庶民にも敷居が低いやつでな。週に一度、夕方六時以降のスーパーで半額以下になったパック寿司を買うのがワシの生きがいで……」


「すーぱー? ぱっくすし?」


「ええと、それはな……」


 拓人がどう説明しようかと言葉に迷っていると、アンは急に思い出したように手を打った。


「あっ! スーパーって、あの大きいお店やさんですか? 果物とか、服とか……他にもたくさん売ってる!」


「なるほど。じゃあ『ぱっくすし』って、あるじがニコニコしながら買ってたあれね」


 まるで見てきたかのように語る二人の様子を見て、拓人はあっけに取られる。


「……!」


 だが、一つの可能性に思い至ると嫌な汗が流れてきた。


「まさかエレン……生前のワシの記録を二人に!」


 エレンの魔術【当方見聞録プライベート・ファイリング】は他人の記録を文字にして読むことができる。それによって作り出した記録を二人に見せたのではないか、そう考えたのだ。


「そんなことはしていない」


 彼女は即座に否定した。


「だいたい、79歳まで生きた人間の人生の記録など、膨大すぎて当方でも読むのに二、三時間はかかるだろう。そんなものをアンやレジーが読んだとでも?」


「『簡単』な表示にすれば、それほど時間をかけずに読めるんじゃないかの?」


 先日のとある一件で、拓人は知っていた。【当方見聞録】は記録の表示方法に融通ゆうずうが利くということを。


 『簡単な表示方法』では記録を短く簡潔に表示できる。それなら速読能力を持つエレンでなくとも、拓人の人生を容易に読むことができるのではないか、と彼は疑う。


「変なところで頭が回るな、貴君は。だが、その推理はハズレだよ。『日々の雑務』程度の買い物は『簡単な表示方法』では省かれてしまう……残念だが、この名探偵の弟子を名乗るのはまだ早いね」


「弟子入り志願した覚えはないんじゃが……それならどうしてアンとレジーは……」


「貴君が知っている中で、こういうことができる者が当方以外にいるだろう?」


「……神か!」


「その通り」


 正解を導き出した拓人に、エレンは微笑む。それは、教師がひいきにしている生徒に与えるような柔らかなものだった。だが、その表情に何らかの感想を抱く余裕は今の拓人にはない。


「アン、レジー」


 いつになく低い声を出す拓人に、二人はビクつき目を泳がせる。


「……神から何を聞いた?」


「「え、えーと……」」


「……聞いた、というよりも記憶をいただいた、といいますか……」


「ワシの人生のどの部分の記憶を?」


「全部……だ、だけど、見たい部分だけ頭の中で自由に再生できる感じ……ま、まだボクたち自身が丸々見たわけじゃない」


「最初に再生の仕方を教えてくださった時に、お手本としてタクトどのの死に際の様子や、大まかにどういう人生を歩んだのか、というのを……」


 しどろもどろになりながら喋る二人に、わなわなと身を震わせながら拓人は言った。


「……禁止」


「「え」」


「これから許可無くワシの記憶見るの禁止ー!」


「「えー」」


 拓人の抗議に、二人ともうなだれた。


「タクトどのの生き様をもっと拝見したいのですが……」


「あるじのいた世界のこともっと知りたいのに……」


「ダメなものはダメじゃ! ワシにだってプライバシーはある!」


 残念がる二人に対し、拓人は心を鬼にして抗議した。前世の記憶……見て欲しくないものがたくさんある。彼女たちのような子どもには決して見せてはいけないカッコ悪い大人の姿が、たくさん……。


「エレンも、見ないようにな!」


「言われるまでもない。当方は、文字に起こして読むほうが好きだからな」


「そういう問題と違う! 【当方見聞録】で読むのもダメ!」


「冗談だろう? これからやっと面白くなりそうなんだ。あと数ページで思春期に入るからね」


「なお悪いわ! 一番デリケートな年頃じゃー!」


 ──神めぇ……! 精霊たちがワシの事情を把握しとるとは聞いとったが、そこまで赤裸々せきららにされとるとは思わなんだぞ! コンパクトにしやがって!


「……それよりいいのかい?」


「何がじゃ?」


「『呼び方』についてだよ。別に、気にしてないなら良いんだが」


 もちろんエレンの言葉を受けるまでもなく『そのこと』を拓人が聞き流すはずもない。ただ自分の前世の記憶に対する扱いがあまり衝撃すぎて指摘する余裕が無かっただけだ。


「レジー」


「こ、今度は何?」


「『呼び方』について何じゃが……」


「ああ……」


  『記憶』のことについて、まだ突っ込まれて聞かれるかもしれない、と身構えていたレジーは『呼び方』という拓人の言葉を聞いて緊張を解いた。


 拓人は自分が『あるじ』と呼ばれることに後ろめたさを持っていた。それは、精霊たちが頑張っているのに自分は何も返してあげられていない、という無力感、そして申し訳なさからくるものだった。


 『あるじ』──そう呼ばれるのは、その言葉にふさわしい人物になってからだと彼は数時間前に誓ったばかりである。


「ごめん。ここ二、三日で、あるじって呼ぶのにすっかり慣れちゃってて……」


「いや、謝ることではない。それにボンヘイ国を出るときにも言ったが、無理強いはしたくないんじゃ。レジーが呼びたくないなら……」


「ううん。ボクもちゃんと呼ぶ。アンだって頑張ってるのに、ボク一人逃げるのが一番無理なことだから」


 そう言って、拓人を真っ直ぐに見据える。表面上は面倒くさがりであっても、根は真面目……そしてアンが絡むことについてはその性格が顕著けんちょに表れる……それがレジーという精霊だった。


 皆の視線に見守られながら、意を決してレジーは口を開く。


「タっ……」


「……」


「ク」


「……」


「……ト」


 顔を赤面させ、息づかいもなんだか荒くなっているレジーにアンがすぐ駆け寄り、抱きしめた。


「よく頑張りました、レジー! そのつらい気持ち、私にもよくわかります」


「うん、うん。ありがと、アン」


「立派だ。レジー・アイドルネス。苦しいことだとは思うが、そうやって徐々に慣れていくべきだ」


 エレンも彼女の健闘をたたえた。


 疲弊ひへいしたレジーを二人が励ます美しい光景を目にして、拓人は思った。


 なんかワシの名前を呼ぶのが、罰ゲームみたいになってない……? と。

 

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