第62話 そのころの彼らと、まだ見ぬ誰か

 拓人たちがボンヘイ国を出発した二十三時間前……アイスキャロル・ドライプライドはボンヘイ国から数百キロ離れた地下洞窟に転移した。コサックをはじめとした臣下たちとともに。


「がはッ!」


 アイスはその地に降り立つのと、ほとんど同時に喀血かっけつした。


「ちくしょう! ちっ、くしょうッ!」


 忌々しげに食いしばった歯の間から、なおも血を流しながら彼は荒々しく削れた洞窟の壁面を力まかせに殴りつけた。その手からも新たな血が飛び散る。


「見誤っていた! あのギフトとか言う野郎、予想以上に化け物だ。アイツさえいなけりゃ、クソッタレ!」


 術者自身の消耗具合を示すかのように、連れ添った臣下たちのほとんどは糸の切れた人形のようにその場にへたり込んだり、虚ろな視線を宙にわせていた。


「これは、これは、珍しい。ずいぶんと、こっぴどくやられましたねえ」


 からかうような口調。その声が聞こえた方向にアイスは敵意むき出しの視線を向ける。


 だが言葉を発したのが『それ』だとわかると、だった頭が少しだけ冷めた。


「アンタかよ……」


 顔を見せたのは心穏やかな笑みを顔に貼り付けた一人の紳士然とした男だった。


 真っ白な長髪に黒いシルクハットとスーツが対照的だ。右目にかけられた片眼鏡の奥にはルビー色の瞳が静かな狂気をはらんで怪しく光っている。


 左肩には、被り物なのか元々の皮膚なのかかぶとを身につけたような意匠のオウムが置物かと見まごうほど、黙りこくったまましっかり止まっている。


「どれ、傷を見せてください。すぐに治します」


「悪いな、ダセエとこ見せちまった」


 そう言いながら、アイスは傷ついたばかりの拳を差し出す。


「いえいえ。むしろ互いに弱みを見せ合い、そこを支え合う。それこそ人間の信頼関係というものではないでしょうか」


 言いながら、男は手をかざしアイスの傷をたちまちに治してしまった。今できたばかりの怪我だけではなく、人差し指についた火傷の跡まで綺麗さっぱり無くなっていた。


「いかがでしょうか?」


「問題ねえ。ありがとよ。そっちは留守中に何も無かったか?」


「ええ、全くと言って良いほど何も。ですから、面白そうなことがあればワタクシにも分けてください。それ、誰にやられたんです?」


 男は先ほど拳にしたのと同じように、アイスの胸の前に手をかざした。


 魔術の酷使で体の内部にダメージがあったのだろう。アイスは次第に痛みが引いていくのを実感する。


「ギフト・サンフレア……そしてタクトとかいう、精霊を操る……おそらく転生者のクソガキだ」


「ほう、転生者」


 その単語を聞くなり男は片眉を上げた。


「転生がどうだとか自分で言ってやがった。ま、それを聞いてなかったとしても気づいてただろうけどな。人生一回目であんな口の達者なガキがいたらホラーだぜ。言葉遣いも、やけに年寄り臭かったしな」


「実力のほどは?」


「本体はザコだ。だが取り巻きの精霊どもが、そろいもそろって小賢こざかしい。妙に戦い慣れしてやがったな」


「ふうむ……つまりアイスくんと似た者同士ということですね?」


「あ゛?」


 不快感をあらわにしたアイスを前にしても、男に悪びれる様子はない。


「ははは、失敬……そういったお話なら、ワタクシが出ましょうかね? どちらがいいですか?ギフトですか? それとも、そのタクトとかいう……」


「どっちも遠慮するぜ。アンタ、力加減を間違えた『ふりして』どっちも殺すだろ?」


「いやあ、そんなことは……あるかも」


 図星を突かれて困ったように笑う男に、アイスはため息を吐いた。


「頼むからおとなしくしててくれ。アンタが戦ったら、敵も味方もしっちゃかめっちゃかにしちまって後には何も残らねえ」


「買いかぶりすぎでは? 全盛期の話ですよソレ」


「関係ねえ。どっちにしろロクなことにならねえのは目に見えてら」


「では、いかがされるので? やられたまま泣き寝入り?」


 アイスは舌打ちした。謁見えっけんの間で拓人が聴いたものと同じ音が今は地下洞窟に響く。


「んなわきゃねえだろ……『七服臣セブンミニスターズ』どもを引っ張り出す」


「なるほど」


 それは名案だと言わんばかりに男は顔を輝かせる。


「アナタが強さに対して特に信頼を置いている七人の大臣……彼らのうち一人でも出陣するというのなら、ワタクシの出番は無さそうです……そうだ! 観戦ぐらいなら!」


「ダメに決まってんだろ。アンタは、すぐにちょっかい出そうとするからな」


「……しょぼん」


「おい、いるか?」


 落ち込む男を無視して、アイスは洞窟の闇に向かって語りかける。


「ここに」


 すぐさま現れたのは馬に乗った髭面ひげづらの男だった。眼力をはじめとするその凄烈な顔つきは、あのレオ王と同じ歴戦の勇士を思わせた。


「ギフトは無視していい、タクトとかいうクソと精霊どもを捕らえて俺サマの前まで連れてこい。この世界にいながら常に魔力垂れ流し状態で雁首がんくびそろえてやがるアホどもだ。近くまで行けばすぐに見つかる。本体さえ殺さなきゃ、何をしてもいい」


「御意。ところで、レオはどこに……」


「チッ! テメェにゃ関係ねぇ。とっとと行けよ。テメェの脚でも、こっからボンヘイまでは一日はかかる」


「承知。しかし、レオの身に何かあっては、たとえ王であるアナタに対しても……私は怒りを抑えきれない。そのことはどうかお忘れなきよう。あの男は……」


 髭面の男は歯噛みしながら言った。


「私が殺さなければならないのですから」


 馬のいななきだけを残し、彼は洞窟から消え去った。それは、彼の乗る駿馬しゅんめがいてこそできる神業とも言うべき高速移動だった。


「あらら、本当に『七服臣』の一角を向かわせてしまった。本気のようですね、アイスくん」


「俺サマが冗談言うような性格に見えるか?」


「そうですね、となると──」


 紳士然とした男は目元は穏やかなまま、口元だけを嫌らしく歪めた。


「──この世界、これからもっと、もっと、もうっと、楽しくなりますねぇ」


 男の表情に、アイスもまた凶悪な笑みを浮かべて応えた。






 眠れる獅子は、汗だくになって飛び起きた。


「夢か……」


 現実を確かめて、一息つく。今日が『あの日』では無いということを知って心底安堵あんどした。


「嫌な夢見たからかな〜〜? うへー、服ベトベトで気持ちわる〜〜」


 湿った着物風の服と下着をサッと脱いで、床に投げ出す。動物の毛で織ったタオルで体を拭いた。


 開いたクローゼットに何着も並べられたのは、今脱いだものとデザインが全く同じ服。着るものを決めるのに労力を使いたく無いためだった。


「ようし! さっぱりしたところで!」


 服を着替えた彼女は、決意を新たにしたような表情をすぐさま緩ませて言った。


「二度寝しよ〜〜っと」


 幸せを噛み締めた表情で再びベッドに倒れこむ。寝息が聞こえ出すのは、わずか数秒後のことだった。


 眠れる獅子、いまだ目覚めず。

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