第59話 別れの朝、旅立ちの今日②

「よし、これでいいだろう」


 紹介状の文面は実に簡素なものだった。


『カムダール・スロウスロウス殿どの

 悪いヤツらじゃねぇから、色々教えてやってくれ

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ギフト・サンフレアより』


「……これだけ?」


 レジーが本当に大丈夫なのか、と言いたげに尋ねる。


「十分だ。重要なのは二つ。一つは『タクトさんたちが悪党じゃないってわかってもらうこと』だ。それさえ押さえときゃ、悪いようにはされねえ。もう一つは『オレ様の字で書かれてるってこと』。オレ様が脅されてこういう文章を書くほど実力的にも人間的にも弱くない、ってことはカムがよく知ってるからな」


 言動の端々から並々ならぬ信頼関係を窺わせる。両氏は本当に仲が良いようだ。


「まぁ、詳しい事情はタクトさんたちの口から頼むわ。中途半端にオレ様が説明するのもなぁ……」


「文章を書くのが苦手だ、と正直に申し上げたらどうですか、ギフト」


「ルナァ……オメーこういう時までカッコつけさしてくれねぇのな」


 それは説明されずとも、ギフトの煮え切らない口ぶりから拓人たちは薄々察していたが。


「……で、いつ出発する予定なんだ?」


「実は、もう準備は整えてあるのです」


 という拓人だったが、荷物はほとんどないに等しい。毒が抜けてもまだ使い道があるかもしれない、という理由で持っている二本の短剣と正気に戻ったウッデンからもらった少量の食料──彼女はもっと多くのお礼とお詫びをしたがっていたが、あまり多くても持ちきれないので、それだけいただいた──のみであったからだ。


「もうちっと、ゆっくりしていってもいいんじゃねぇの?」


「……決断が揺るがないうちに、行きたいのです」


 ズルズルと物事をいつまでも、いつまでも先延ばしにする『怠惰たいださ』がいかに厄介なものか、拓人はよく知っていた。だから、心に勢いがあるうちに、いま実行する。


 拓人の決意を受け止めるように、ギフトは頷く。


「そうか……じゃ、みんな達者でな。今度暇なとき、どっかで会ったら……そんときゃメシでもおごるぜ」


「ええ、またどこかで。本当にお世話になりました」


 拓人とアンが深々と頭を下げ、レジーとエレンは軽く会釈をした。そして一行は部屋を後に──。


「エレンさん」


 ルナの声が一行を立ち止まらせた。指名されたエレンが彼女のほうを振り向く。


「? なにかな?」


「最後に色々、触らせていただいてもよろしいでしょうか」


 真顔で言うルナ。


「構わないよ。どこでも好きな部位を……」


 当たり前のように受け答えするエレン。


「ワシらはこれで失礼します!」


「みなさまもどうかご健勝で!」


「おういってらっしゃい元気でな!」


 拓人とアンがエレンを押し、ギフトが急かすように改めて挨拶して、一行は今度こそ部屋を出た。三人とも、なんとなくあの二人を至近距離に近づけてはいけない気がしたのである。


 拓人たちが出て行ったことを確認したギフトは、何となく気を緩ませいたが……。


「あ、そうそう」


 ドアが少しだけ開き、そこから拓人の顔だけがちょこんと姿を見せた。


「どうしたんだ?」


「あのー、本当に今さらな話なのですが……ワシも『さん』付けは要りませんので!」


 言い出すタイミングを上手く計れなかっただけで、拓人も気恥ずかしさは感じていた。それにアンもレジーも呼び捨てにされているのに、自分が敬称を付けられるのは妙にきまりが悪い気分だった。


「もちろん、ルナさんとビットさんも!」


「オッケー」


「了解しました。タクト」


 ビットはヒラヒラ手を振り、ルナは頭を下げた。


「なるほどな……うっし、じゃあ『タクト』もオレ様に対して『さん』付け禁止な」


「え」


「そりゃそうだろう。オレ様だって、自分に対してだけかしこまられるのは、目覚めが悪いぜ」


「そうですね、ならワタシも」


「なら、ぼくも」


 ルナとビットも、ギフトの提案に便乗する。


「で、では……『ギフト』、『ルナ』、『ビット』……」


 さん、が付いてないだけなのに、いざ口に出してみると何となく恥ずかしい。


「おう、達者でな『タクト』。次はお互い、友人として会おうぜ」


 その大らかな言葉に再び頭を下げ、拓人は扉を閉めた。


「アイツらがいなくなると寂しく……」


 ギフトがそう呟いた瞬間、また扉が開いた。そして今度は拓人一行四人全員がなだれ込んでくる。


「うおわっ! どうしたよ!」


「ど、どうやらみんなもワシたちの会話を聞いていたようで……」


「はい! ビットどの、ルナどのにはまだお伝えしていなかったので! 私たちにも敬称は不要です!」


「ボクも呼び捨てで、おけ」


「当方も構わない。ただ親しき友にも礼儀あり、という言葉もある。お互い、心の奥底でのリスペクトは忘れないようにするべきだね」


「それはいいんだが……」


 ギフトが困ったように優しく笑う。


「なんかアンタらもアンタらで、締まんねぇなぁ」


「ははは……」


 拓人は照れ笑いで返した。






「あれで良かったの?」


 拓人たちが本当にギフトたちの部屋を後にしてから、ビットは問うた。


「良いわけがありません。エレンの触り心地も確かめたかっ……」


「そうじゃなくて、ぼくはギフトに言ってるんだよ」


 ルナと並んでベッドのすぐそばに立っているビットは、ギフトに視線を投げた。


「何がだよ」


「あのまま行かせちゃって」


「別にいいんじゃねーの? アイスキャロルの野郎も、わざわざ『逃げた』んだ。なら今はもう、ここよりずっと遠いとこにいんだろ。そう簡単にタクトたちにゃ追いつけねえって」


「ぼくが言いたいのは、タクトたちを野放しにしていいのか、ってこと。僕はあの人たちを信用しきったわけじゃない」


 ビットの口調は、あくまで真剣だ。


「なんだよ、オメーだってタクトたちは嘘をついてないって言ってたじゃねえか」


「そうです。あんなもち肌の方々が悪事など働くはずがありません」


「人の善悪を肌の柔らかさで判断する人、ルナ以外にいないと思うよ……。ぼくが言ってるのは、これから先の話。言っちゃ難だけど、あの精霊たち……そして魔力は彼の手に余る。いつ悪に染まるかわからない。本人も。精霊もね」


 ビットは普段の茶化すようではない、責めるような眼差しをギフトに投げかける。


「ドノカ村が、あの人たちに襲われたらギフトはどうするつもりなんだい?」


 2、3秒ばかりほうけたようにしていたが、すぐにビットの懸念を、ギフトは笑い飛ばした。


「はっ、ははははは!」


「ッ! ぼくは真剣に……!」


「いや、悪い悪い。だが、オメーが考えてるようなことは万が一にも起こらねえよ」


「根拠は?」


「アイツらと手合わせした……そして一緒に戦ったオレ様だからわかる。タクトはヤツ自身が一番『力におぼれないよう細心の注意を払っている』。オレ様との戦いでも、うわべだけはヘラヘラしてやがったが視線はほとんど油断なくオレ様のほうに向いていた。他人に任せっきりにせず、あの時のアイツにできる最大にして最高の選択をとってたんだ」


「それは油断ならない、って意味でもあるよね」


 容赦なく追及を続けるビットに、ギフトはため息を吐いた。


「あー言えばこう言うねえ、お前も。理由はまだある。精霊たちについてだ。アイツらは自分らの大将を大事には思っているが、甘やかそうとしてるわけじゃない。アンはちょっと怪しいところがあるが……まあ、少なくとも他の2人は違う。タクトの力にはなろうとしているが、それは陶酔とうすいやら盲信もうしんとは程遠いところにある……やっぱりアンはちょっと怪しいが」


 まあ、とギフトはビットとルナの顔を交互に見る。


「オレ様で言うところのお前らみたいなもんだよ」


 そう言って快活な笑顔を見せた。


「そういう調子いいこと言っても……」


「……ワタシ達は別に優しくなったりしませんからね?」


 2人はここぞとばかりに凍りつくような真顔で返した。


「ツンドラかよ……」


 2人が内心、素直に喜んでいることをギフトが知るすべは残念ながらない。


「オレ様が言いたいのは、タクトが道を踏み外そうとしてもアイツらが正してくれるだろう、ってことだ。それに万が一、いや億が一……タクトたちが悪の道に堕ちたとしても……」


 ギフトは、その者に対する信頼を表すかのようなニヤリとした笑みを浮かべて言った。


「カムダールの敵じゃねぇよ」

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