第58話 別れの朝、旅立ちの今日①

 コサックの魔術に巻き込まれることなく、ボンヘイに残された臣下……いや『元臣下』たちは、翌日には目を覚まし、一時的に【絶対支配人ホテル・ドミネイター】に避難することになった。


 あの日、拓人がアイスに見せられた幻想と違って、彼ら彼女らのほとんどは悲しみの涙に濡れていた。


 失った時間、望まぬ命令に従わされた記憶……解放の喜びがそれを上回るような、そんな都合のいい結末は、そう用意できるものではないらしい。


「残された人々はあの『黒い石』を破壊されていた……いや『黒い石』を破壊された人々が取り残されたというべきかもしれないね」


 ビットは自身の見解をまだ朝の早いうちから集まった自分の仲間の前、そして部屋に招いた拓人たちの前で披露した。


「『黒い石』あるいは、その中に内包されている魔力を保持している者を対象に瞬間移動させる……ダンスに対する『願い』は大方そういったものだったのでしょう……自分で言っていて何だか馬鹿馬鹿しくなる話ですけど」


 ため息を吐きながら、ルナがビットの意見を捕捉した。


「全くな。だが、コサックの力量は本物だ。今確認できているアイスキャロルの戦力の中じゃ、もっとも警戒するべき魔術師だろうな」


 ベッドで上体だけ起こしているギフトが頷く。彼はまだ戦いでの疲労が取れていないため安静にしているようだ。


 ギフトたちが意見を述べ終わった頃合いを見て、拓人が別の話題を出す。


「それで、レオ王はまだお目覚めにならないのですか……?」


「ああ。戦いで負った傷と、他のやつらと同じく洗脳が解けたショックが重なったせいだろうな。……にしても、割とマジで人望あるみたいで、ビビったたぜ。レオ王の寝てる部屋には、今も臣下の人たちが詰めかけてる」


 ギフトの報告を受け、アンが顔を伏せる。それも、人々が悲しみに暮れている原因の1つだったからだ。成り行き上仕方なかったとはいえ、このような事態を招いた責任をどうしても感じてしまっているらしい。


「アンが落ち込む必要ない。命に別状は無いみたいだし、大きい傷もボクのシャボン玉で治したから。待ってれば、そのうち起きてくるよ」


「つーかよ、アンさんはむしろヒーローだぜ。レオ王の洗脳を解いちまった。それも、殺さずに倒すことによってな。臣下の人たちだって、感謝してた」


 レジーとギフトの励ましに、アンは微笑みを返す。


「もう……さん付けはやめてください、って言ったじゃないですか」


「おっと、そうだった悪りィな。アン」


「……それで、アイスキャロルのことについて臣下たちから情報は得られたのかな?」


 脱線しかけた話を、エレンが軌道修正する。


「ほとんど何も。彼らは自分が誰に操られているかさえ知らなかったし、そもそも洗脳されていた自覚があったかさえ怪しい……まぁ、洗脳というからにはそれが普通なのかもしれないけど」


 ただ、とビットは続ける。


「誰かと握手したことは、みんな覚えていたよ」


「ふむ……今さらだが発動条件は握手で確定だな」


 エレンが手元の光の膜の記述『( ㅤㅤㅤ )によって発動する』の括弧かっこ内に指で(握手)と書き込んだ。


「『改竄かいざん』できんのじゃなかったのか?」


 【当方見聞録】は記録、保存、複製はできるが改竄は許されない……アイスキャロルとの戦いで拓人はそんな言葉を聞いた気がした。


「いい質問だね、タクト。どうやら括弧内の書き込みはOKらしい。当方の魔術が何らかの原因で変質し、この程度の『改竄』が可能になったのか。それとも、この程度の行為では『改竄』に当たらないのか、は議論のあるところだろうけどね」


「……それで、本当にもらっていいのかな? このキミの……」


「【当方見聞録プライベート・ファイリング】」


「そう。それによって作られた、この資料」


 言いながら、ビットは右手に持っている紙の束を左手で指差した。ギフトにも、ルナにも同じものがエレンから手渡されていた。内容はアイスキャロルの記録と能力。王宮で彼と対峙した時に読み取ったものだ。


「もちろん。当方たちは、ずいぶんと貴君たちのお世話になったみたいだからね。情報が不完全で申し訳ないくらいだ」


「いや、助かるぜ。括弧にどんな言葉が入るかも、文の前後で候補が絞れるからな。あるのと無いのとじゃ大違いだ」


「ありがとう。そう言ってもらえると、当方も気が楽だ」


 人柄のせいだろうか。ギフトはもうエレンとも馴染んでいる様子で、そういうコミュニケーション能力の高さを拓人はうらやましく思う。


「それで拓人さんたちは、これからどうするつもりなんだ?」


「おととい、ルナさんとビットさんが提案してくださったように、ドノカ村というところを訪ねてみようかと思います」


「ドノカ……ああ、カムのいるところか」


 ギフトの言う『カム』と言うのは、かつてルナとビットの話に出てきた『カムダール』氏のことを指すのだろう、と拓人は推測した。


「はい……ワシらがここにいると、みなさまに要らぬ心配をおかけしてしまうようなので……」


「ああ……」


 ギフトの瞳が悲しげな色をたたえる。


 拓人たちは、洗脳から解放された元臣下たちから妙に敬遠されている気配をすでに感じ取っていた。


 それもそのはず、洗脳が解け正気に戻った彼らは拓人たちの『異常性』を以前よりもずっとハッキリと理解しているからだ。


 あまりに強大な魔力、それが常に漏れ出ている。


 それが彼らとの間に『壁』が作られている原因だと言うことは、拓人たちにもすでに理解できていた。何となく嫌悪されていないことは伝わってくるが、それでもビクビクと怯えられるのは拓人たちにとっても、つらい。そういった状況を踏まえた上での決断だった。


「よっしゃ! 多少の魔力の操作ぐらいならオレ様が教え……」


「いけません、ギフト」


 乗り気のギフトをルナが制止する。


「勢いで大事な物事を請け負わないでください。あなたは、いち早く体調を万全にして今の状況を本部に報告しなければ……」


「……ッ! そうだよな……すまん、タクトさん。力になってやれねぇで」


「いえ、ワシらもそこまでご厄介になるのも申し訳ないと考えていたところですから……」


「じゃあ……そうだな。ドノカ村までの簡単な地図と紹介状ってことで一筆書いといてやるよ。いきなり拓人さんたちが来たら、いくらのんびり屋のカムでも驚くだろうからな」


 誰か白紙の紙持ってるか、という言葉にエレンが反応し、二枚手渡した。【当方見聞録】のコピーを作ったときの余りのようだ。


「ありがとうございます。何から何まで……」


 サラサラと地図を描くギフトに、拓人は頭を下げた。


「ああ、そういうのナシナシ。こっちとしちゃ、もっと色んなことをしてやりたいのに、それができなくて情けねえぐらいなんだ」


「いえ、それを言うならワシらのほうが……」


「あー、悪いがそれもナシで頼むわ。それ多分、お互い言い出したらキリないヤツだろ」


 ほらよ、と数秒で出来上がった地図を拓人に渡す。


「大雑把だが、許してくれよ。ここから東にほとんど真っ直ぐだから、迷うことはないと思うんだが」


 そう言うギフトは、すでに『紹介状』のほうを書き始めていた。

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