第56話 当方たちは本当に
──闘い。戦い。たたかい。タタカイ。
敵味方、血と肉と骨に彩られた屍の大地。
それでもまだ、殺す。
斬って、刺して、跳ね返して、殴って、蹴って、
世界を救う、なんてどうでも良くなるほどの苦痛。
生きたい、なんて気持ちさえも消え去るほどの
ただ、道半ばで倒れた仲間の、そして自分に殺された敵の無念と苦悩に比べればマシだ──そういったかすかな希望的観測と、のしかかる責任が彼女に倒れること許さない。
「……ア……」
思わず声をかけようとした自分を制止する。
それはただ『わたし』が楽になるだけの選択だから。
彼女はただ夢を見ているだけ。ひとたび目が覚めれば、ぼやけて霧散する
下手な干渉は、この重荷を現実に引き連れる引き金になりうる。
──ごめんなさい。でもお願い、耐えて。
心の中で、そう呟くしかない。
『あなたなら乗り越えられるはず』
そういった幾重にも積み重なった無責任な期待が、かつてのあなたを壊したことを──わたしは知っている。
だけど、どうしようもなく今は耐えることしかできない。あなたもわたしも。
だってこの景色は──わたしへの罰でもあるから。
穏やかな微睡みの中、アン・フューリーは目覚めた。
何か夢を見ていた気がするが、よく覚えていない。良い夢だったか、悪い夢だったかさえおぼろげだ。
「……あ……」
あるじどの。レジー。
2人の姿を探そうと視線をさまよわせる。レジーはすぐ隣にいた。
穏やかな寝息を立てる姿。いつもはちょっぴり憎らしくさえ見えるはずの赤ん坊のような寝顔が、今はアンをほっとさせた。
「アン」
優しく慈愛に満ちた少女の声。あるじのものだと気付いて、すぐさま視線をむける。
ベッドの横には、木製の椅子に座った可憐な姫がいた。
髪は金色に輝き、肌はきめ細やかで、声色は小鳥のさえずりよりも穏やかだ。
神から事前に与えられた情報がなければ、彼女が自分の10倍近くは生きていること、そして元々男性であったなど到底想像もつかない。
「……ありがとうな、アン」
その声を聞けば、夢を見ていたことさえ忘れてしまった。
「ありがたきお言葉」
アンはそう言って、しばし目を閉じたまま受け取った言葉に感じ入っていた。
「あるじのバカ! なんで1人で逃げなかったわけ⁉︎」
「す、すまん、レジー」
アンが目を覚ましてから、すぐにレジーも覚醒した。
彼女は毒を受けた直後はかろうじて意識が残っていたが、いつのまにかアンと同じように力尽きて気を失っていたらしかった。
「ボクたちは最悪死んでもどうにかなるって言ったよね! 忘れちゃってたの?」
レジーは拓人が言われたとおりに逃げなかったことへの怒り、巨大シャボン玉を爆発させる前に『またね』なんて言ってしまったくせにこうしてすぐに顔を合わせてしまっている気恥ずかしさと安心感が混ざってぐちゃぐちゃにされた感情がちょっぴり暴走を起こしていた。いわゆるヒステリーというやつである。
「忘れとらん! 忘れるはずがないじゃろう……」
もちろん、拓人のその言葉は嘘ではない。ただ、あの状況で2人を置いて逃げおおせる、という選択が彼にとってありえないというだけの話だった。
「それに……」
アンを死なせたくない、というレジーの願いも忘れていない。
そういう意味を込めて彼女のほうを改めて見つめ返す。すると、みなまで言わずとも察してくれたようで、彼女は言葉に詰まってしまった。
なにしろ、あの時の頼みと今の彼女の言葉は多少の矛盾をはらんでいる。
気まずい空気が流れようとした、まさにベストタイミングで部屋の扉が開いた。
「あるじとの感動の再会は終わったかな? では、当方と感動の再会パート2と行こう」
アンとレジーにとっては意外な人物だったようで2人はしばし呆然とした後、目を点にしてあんぐりと口を開けた。
入ってきたのは、もちろんエレンである。
──いきなり当方がいたのでは、落ち着いて生き残った喜びを分かち合うこともできないだろう。
と、拓人たちに気を遣って部屋の外で待っていてくれたのだった。
「「エ、エレン、どうしてここに……」」
アンとレジーの声が重なる。
「それについては推理中だ。まだまとまっていないから結論はだせない」
「エレンは、ワシがピンチになった時に助けに来てくれたんじゃ。そして見事に救い出してくれた」
「まぁ、そうだね」
なぜか微妙に照れているエレン。そんな彼女の姿をアンとレジーは未だかつて見たことが無かった。
「レジー、なんだかエレン性格変わってません? なんだか、かわいくなってるような……」
「知らない。わかんない」
小声で耳打ちするアンに、考えることを放棄したような調子でレジーが返す。
「貴君たちはまだ気づいていないようだから先に言っておくが、ここは『あの宿』だ。色々あって術者にもう敵意はないが」
2人はそのエレンの言葉を聞くと同時に身を震わせた。昨日のことがトラウマになっているらしい。
床から伸びた触手が『ゴメンナサイ』とでも言いたげに、2人に対して頭を下げるような仕草をした。
こういう仕草を見ると、チンアナゴみたいでなかなか可愛らしいな、と拓人は意味のないことを考える。
触手の態度と、敵意はない、という発言で少し落ち着いたようだが、レジーは不審げな視線をエレンに向けた。
「色々って、なに?」
「詳しくはこれを熟読したまえ。話はそれからだ」
エレンは2人のベッドに紙の束を1つずつを投げ出した。
「何ですか、コレ……?」
「何って【
「え?」
驚いたのは拓人だ。そんなことを頼んだ覚えも、許可を出した覚えもない。2人は2人で、受け取った文章に黙々と目を通し始めた。
「ああ、この用紙かい? 女将に頼んだら、簡単にくれたよ。記録の中で『宿帳』が出てきた時点で知ってはいたことだが、この世界でも『紙に記録を残す』という文化があると改めて実感できて、なんだか安心した」
「いや、そういうことじゃなくての!」
「それとも当方の魔術について、かな? 複製も可能なことは以前、貴君の前でも言ったんだが気がついていなかったのかい? ふふふ、驚きを隠せないだろう? あまりの高性能さに!」
「いや、それもそうなんじゃけど……」
名探偵と自称している割に、妙に察しの悪い時があるのはなぜだろう。拓人は単に恥ずかしいのだ。例えば……。
「へー、そういう考えでアンを助けに言ったんだ……やるじゃん」
と、今記録をみながらレジーが言ったような一言だったり、
「おおー、ピッカピカに光りながら立ち向かうあるじどの、実に勇ましい! ……で、この格好も言葉遣いもトゲトゲしい方って、本当に元マネーどのなんです?」
と、目を輝かせながらはしゃぐアンの姿を見るのは、たとえ褒められているのだとしてもなかなか
「あーもう、だから嫌なんじゃよー!」
「まあ、一番は……」
「何と言っても……」
アンとレジーはニヤりと笑いながら互いの顔を見合わせた。
「「誰も、お前の思い通りになどなりたくない」」
「だよねー」
「ですよねー」
拓人は声にならぬ叫びをあげた。その気恥ずかしさと言ったら、中学2年生ごろに漆黒のノートに書いた記述を読み上げられるのと同じかそれ以上の悶々としたものだった。
「そのへんにしてあげたまえ。我らがあるじは、からかわれるのが苦手なようだ」
お前さんがそれを言うのか、と拓人は心の中でエレンに毒づいた。
「別にぃ〜、ボクたちは、からかうつもりなんてないし、ねぇ」
「はい! あるじどののご活躍を噛み締めているだけですので!」
レジーは拓人が恥ずかしがっていることを知っているような楽しそうな顔で、アンは本当に純粋な笑顔で応える。個人の性格って、こういう時に出るよなぁ、と拓人は思う。
「……では、そろそろ真面目な話をしたいのだが3人とも、構わないかな?」
エレンがアン、レジー、拓人の顔を順繰りに真剣な眼差しで見た。一体何のことだかわからないまま、3人は一応うなずく。
「アン、そしてレジー……2人の記録を見させてもらったんだが……」
アンは特に気にしていない様子だが、レジーはその言葉に一瞬焦ったような表情を見せた。
普段なら気の毒だと考える拓人も、レジーに自分の記録をニヤニヤと眺められた直後のことなので『因果応報、甘んじて受け入れるべし』と頷いた。
「まず、アンの記録からだ」
そう言ってエレンは【当方見聞録】の光の膜を出し、3人がそれを覗き込む。
「ここが、アンがこの世界に来た時点での最初のページ」
エレンの言う通り、アンの記録は『アン・フューリーは、タクト・レンドーの魔術発動に応じてレジー・アイドルネスとともに、この世界に出現した』という書き出しから始まっていた。
「そして、これがその前のページ」
エレンの指が膜をなぞる。そして現れたページには──何も書かれていなかった。
虫食いどころの話ではない。買ったばかりのノートのようにまっさらなのだ。
「こちらがレジーの記録」
何も書かれていない膜に文字が浮かび上がる。内容から察するに、この世界に来てからの記録……その『レジー版』だ。
「だが、やはり……」
それより前のページは何も書かれていない。
拓人はまだ状況がよく飲み込めていないが、2人はすでに何かを察したようでアンは驚いたように目を見開き、レジーは考え込むような表情をしていた。
「……これが、当方の記録だ」
同じように、この世界に来る前のエレンの記録が白紙であることが示された。
「……なあ」
少し震えた声でエレンは言う。
「──当方たちは本当に『いた』のか?」
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