第54話 どんな小さなことでも

 こうしてボンヘイ国での一件は、いったん幕を閉じることになった。


「ねぇ、ビット。今からでも交代しません?」


「ダメダメ。僕じゃ、ギフトの体は運べないし。アンさんやレジーさんをキミに渡したら、どうせまたどさくさに紛れて変なところ触るでしょ?」


 ぐったりしたアンとレジーはビットの両脇でそれぞれ小さな俵のように抱えられ、白目をむいたギフトはルナに片足を握られ、打ち上げられたアザラシのように引きずられていた。


 これがボンヘイ国の戦いで最も奮闘した勇士たちの凱旋がいせんだというのなら、運命とはなんと残酷なものだろう──実際残酷だった。


 その光景を拓人とエレンしか見ていなかったというのが唯一の救いである。


 ……そう、あれだけにぎわっていたボンヘイ国の市街地に今は人影すら見えない。コサックの魔術は王宮の内部のみならず外にも影響していたようだ。


「あやつ……はたから見るぶんには、ふざけとるとしか思えんかったが、ここまでデタラメな魔術の使い手だったとはのう……」


「それも、先入観だね。ああいう手合いが、わりかし厄介だったりするんだ」


「……のう、エレン……いや、エレガンスさん」


 拓人が隣を歩くエレンの横顔を気まずそうに見る。


「エレンで構わない。そうだね……貴君のなんだか申し訳なさそうな表情を見るに、当方に対してネガティブなイメージを抱いていたことについて謝罪がしたいのかな?」


 図星をつかれた拓人は、なぜそれを、とでも言いたげなワトソン役のお手本のような表情をした。


 エレンの言う通り、拓人はアイスキャロルに対してびへつらうような態度を見せた彼女の姿に良くない印象……言ってしまえば、同族嫌悪に近いものを感じていた。


「だってそう思わせるためにあの醜態しゅうたいを演じたんだ。謝る必要はない。なかなか名演だったろ?」


 確固たる自信に裏付けされた得意満面な笑みを見て、拓人は彼女が自己肯定感の高い性格だということに気付き始めていた。それに対する拓人の表情は暗い。






 自分は間違ってもこの人のようにはなれない。






 そういったひどく断絶的な憧れが、彼の胸を締め付ける。同族嫌悪、なんて勘違いもはなはだしかった。


 エレンは思い出したように手に持ったパイプを口にくわえて数秒後、ため息といっしょに大量の煙を吐き出した。


 煙は隣にいた拓人の顔に襲いかかり、驚いた彼は思わず知らず識らずのうちにうつむかせていた頭を上げる。


 だが、その煙はタバコのようなヤニ臭さはなく思いのほかサッパリしていた。拓人が第一印象で抱いたような有害さは、案外ないのかもしれない。


「そう落ち込むことはない」


 今度は自己ではなく、他人を肯定する優しいまなざしをたたえてエレンは拓人の顔を見つめてくる。


「記録上で読んだだけだが……貴君の活躍、なかなかカッコ良かったぜ。当方を呼び出す直前の気迫もそうだが……それよりもアンを助けに行った時のほうが良かったな。間違っても賢いとは言えない行動だったが、蛮勇ばんゆうと非難するほど考え無しでもなかった」


「そうじゃろうか……」


 その言葉は謙遜けんそんではない。やったことと言えば、瀕死の相手にちょっかいを出してペースを乱しただけ。


 その時は自分でも良くやったと思ったが、客観的に見れば褒められるほどのことではない……少なくとも今の拓人自身はそう思っている。


「自分の活躍が他人より小さいものだからって、活躍そのものが無くなるわけじゃないさ」


 だが、エレンの態度はあくまで拓人を認めている。


「たとえば……当方は物理的な攻撃手段をほとんど有しない。敵の情報を伝えるだけで、今後の戦闘でも傷ついたり、傷つけたり……といったことはアンやレジーに頼りきりになるだろう……。さてその場合、当方の『情報を伝えるだけ』という活躍は果たして無意味かな?」


 少し陰った表情を見せるエレンに対し、拓人は考えるまでもなく、すぐさま即答した。


「と、とんでもない! 何事も情報があるのとないのとでは大違いじゃ!」


 その慌てぶりを見てエレンは表情を一変させて、クスリと笑う。からかわれていただけかもしれない、そんな思いが拓人の頭をよぎった。


「だろう? 当方だってそう思う。まあ、直接の戦闘は彼女たちに任せっきりになってしまうという後ろめたさは感じてしまうけど……」


 それは、拓人だってそうだ。彼がこの世界に来てから嫌というほど感じていることだ。


「それでも、当方や貴君の活躍は確かにあるんだ。彼女たちより少なくても、どんな小さなことでもね」


「……」


 そうなのだろうか。エレンが余りにも堂々と言ってのけるものだから、拓人もわずかながらそう思えてくる。


「どんな、小さなことでも……」


「そうさ。その小さな活躍を噛み締めて、それを繰り返していくだけでも人生は楽しいんだ」


 年端もいかぬ幼女が人生について、わかったような口をきいている。本来なら、おかしな場面だけれども、エレンの微笑みは、その言葉は、拓人の心に妙に染み入った。


「そうか……ワシは前世でそういうことを知らなかったのかもしれんな……」


 小さく、呟く。


「? 何か言ったかい……いや待て、当てて見せよう……『このエレガンス・ホーティネスと出会えて本当に良かった』……かな?」


 したり顔で言うエレンに対し、拓人は笑顔で返す。


「──さっすが、名探偵! 大当たりじゃ!」

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