第49話 インペリアル・モスキート①

 話は、数十分前にさかのぼる。


 ギフトは木造の宿……ホテル・ドミネイターに囚われていた。


 彼の目の前で薄ら笑いを浮かべているのは宿の女主人であり、アイスキャロル・ドライプライドの臣下でもあるウッデン・グレイトホテリアだ。


 彼女は宿の壁や床をほとんど自在に操る魔術を使い、それらの一部を触手のようにしてギフトの四肢を動けないように絡め取っている。


 それらは、もともと木から作られているとは考えられないほど、彼の手足にべったりと粘着している上に妙に柔らかいので、力ずくで引きちぎれるようなものではない。


 ギフトが武具をいくつかつけて本気で炎を放てば、この宿ごとウッデンを消し炭にすることもできる。


 だが、いくら敵とはいえ殺すのは極力避けたいし、そもそもそんなことをすれば宿泊客全員を巻き込むことになってしまうので、どうにもできないでいた──この時までは。


「おや、ギフト。空がしらんできたね。そろそろ王も目的を達成されるころさ」


 そう言ってウッデンが、窓に向かって視線を移したその瞬間をギフトは見逃さない。【鉄靴】、【手甲】、【銃】を解除し……。


「【太陽神の鎧ソウル・オブ・アポロン──神造太陽バーニング・ハート】』


 ギフトと触手の間に生じたわずかな隙間を縫うように、光が集まり彼に【鎧】を身につけさせた。


「!」


 ウッデンは、異変に気づくとすでに縛られているギフトの体をより厳重に、それも顔以外ほとんど肌が露出しないほど神経質に巻きつけた。


「スゲェな。ゾッとするほどの早業だ。よそ見してなけりゃ、武具を全て解除した一瞬を狙ってオレ様を殺せたかもしれない」


「ギフト、お前さん一体何を……」


「……いや、よくよく考えりゃ殺しはしないか。アンタんとこの王様は、おそらくこのオレ様さえもコレクションしたがってんだろ?」


 ウッデンは「なぜそれを」などというあからさまなセリフは言わない。だが、その顔に「図星」と書かれていることはギフトの目からは容易に見て取れた。


 つい一ヶ月前のことである。一人の盗賊がギフトの職場に訪れた。彼女の用件は、こうだった。


 ──今までやってきたことを洗いざらい白状するから、自分のことを保護して欲しい。


 彼女は元は三人組の盗賊の一人で、腕に自信があった彼女たちは数日前、とある王宮で盗みを働こうとした。


 しかし、他の二人が捕まってしまい気配を消す魔術を一番上手く使えた彼女だけが難を逃れたのだという。


 ──なんというか、不気味だったんです。捕まったあいつらが『握手するか、痛めつけられるかどっちが良い?』って聞かれて……握手に応じた瞬間、操り人形みたいになっちまって……。


 もし、仲間の口から自分の存在がバレるようなことがあれば、口封じに殺されたり、同じように操られてしまうかもしれない。だから保護して欲しい。そういう話だった。


「まあ、あえて泳がせたんだろう。それともあの娘もすでに操られてたのかもな。そういうタレコミがありゃ、オレ様みたいな公務員が調査に行かないわけにゃいかんしな。たぶん、アンタんとこの大将はオレ様みたいなのが来ても、どうにかできる自信があるんだろ」


 ──まぁ、実際こうやって無力化されかけているわけだが……。


「ところでよ、女将さん。なんか暑くなってきてないか?」


 突然、ギフトがとぼけるような口調で話題を変える。


 そう言われてウッデンは気づいた。ギフトの体に巻きついた触手から、煙が上がっていることに。


「し、正気かいギフト⁉︎ そんなことをすれば、宿にいる客も……!」


「勘違いすんなよ。オレ様は、ただ燃やしてるだけだぜ。体に巻きついた木造の触手だけをよ」


 宿ごと燃やす気は無い。そうわかって、ウッデンの心は幾分いくぶんか落ち着いた。


「拘束を解こうとしても無駄なんだよ。アタシの【絶対支配人ホテル・ドミネイター】の影響下にある建物は、少し程度の汚損、破損は即座に修繕できるッ! そんな弱火じゃ、アタシの宿ではボヤさえ起こせない!」


 ふんぞり返るような態度で言うウッデンに、ギフトはあくまで冷静に返す。


「それも勘違いだぜ。言ったはずだよな? ただ燃やしてるだけなんだよ。幸運にも、おあつらえ向きのき木がオレ様の体に、みっっっちり巻きついたくれてるもんでよ。それを燃やして、熱を生み出してるだけだ。気温を上げ、二酸化炭素を発生させるために!」


 ウッデンはギフトの話から要領を得られるはずもない。彼女は、この宿に存在する【太陽身アポロン】でも【絶対支配人ホテル・ドミネイター】でもない第三の魔術について、何も知らないのだから。


「もう一度聞くぜ、女将さん。暑く、ないかい? 女将さんって代謝良さそうだからよぉ、汗とか……かいてないかい?」


 ギフトの言うように、肉付きのいいウッデンの体は汗ばみつつあった。


「それがどうしたって──」


「汗をかいたならさぁ、虫に刺されないように気をつけないとな。例えば……【蚊】……とかな?」


 その【蚊】は──普段は普通の蚊とほとんど変わらない。普通の蚊と同じように温度が高いところに向かい、普通の蚊と同じように二酸化炭素の濃いところに引き寄せられる。


 その【蚊】が【絶対支配人】の触手を伸ばすために開け放たれたギフトの部屋から、実に堂々と──しかしウッデンには気付かれずに──出て、彼女のほうに向かっていた。


 その【蚊】が、普通の蚊と違う点は特定の人間を『上官』として仰ぎ、さながら兵士のように忠実に命令に従うところにある。


 『上官』というのは基本的に【蚊】を生み出した術者のことを指すが、術者は自分よりも下位の指揮系統として他に何人かの『上官』を置くことができる。ギフトも──その1人だ。


 【蚊】は半径五メートル以内で発せられた『上官』の命令を絶対遵守する!その【蚊】の名は──。


「【軍蚊静蚊インペリアル・モスキート】ッ! 女将ソイツにぶち込めッ! 生意気にもオレ様の血をたっぷり吸ってできた毒を!」


「何ィ!」


 ウッデンはすぐさま振り向き、魔力探知を働かせる。すると──いた。注意して見ないとわからないほど、微弱な魔力を帯びた蚊が!


「くっ、そっおおおおおおおお!」


 ウッデンは蚊の周りの壁や天井、床から触手を作り出し叩き潰そうとした。


 しかし、当たらない。的が小さすぎるのもあるが、何よりウッデン自身の焦りが攻撃の精度を下げていた。


「【軍蚊静勝】は、心の中で念じるだけでも命令を受け取ってくれる……それでも、わざわざ口に出したのは、アンタを動揺させるためだぜ。魔術は心と連動しているからな。心が乱れりゃ、魔術による攻撃もアバウトになる」


「くっ……! うっ……!」


「アンタは、わざと人質作戦のことを喋ってずいぶんとオレ様の気を滅入らせてくれたよな。それに対するささやかな仕返し、ってところかね」


 ギフトがそう言い終わる前に【蚊】はすでに仕事を終えていた。


 首筋に打ち込まれた毒によってウッデンは、だんだん意識が遠くなっていく。気を失う直前に願ったのは、王の栄光だった。


 しかし、どうしてそこまで王を慕い、彼の成功を自分の喜びのように感じられるのかは、洗脳魔術をかけられている自覚の無い彼女にとって、最後までわからないことだった。

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