第14話 アポロン③ ちょいと試してみるかね

 突然の衝撃に驚きながらも、アンは理解した。これはレジーの魔術だと。彼女の軽い体は吹き飛ばされながら回転する。


「くっ、無茶しますねレジー!」


 しかし、おかげで頭はクールだ。ギフトと打ち合っている時は、考える余裕さえなかった。彼のほうも吹き飛ばされているようで、その姿が遠ざかって見える。


 ──このまま場外へ……というのは希望的観測でしょうね。きっとギフトどのなら、どうにかして踏みとどまるに違いありません。


 そう思考しながら、ちょうど自分の体が逆さになったタイミングを狙ってアンは剣を地面に突き立てた。スピードが落ちてきたのを見計らって、逆立ちの状態から、剣のつばに足を下ろしてゆっくり体勢を立て直す。ガリガリと嫌な音を立てながら、刃のブレーキは少しして動きを止めた。


 気がつけば土俵際。予想よりもギリギリな状況に少し冷や汗をかいた。


 アンはまず、他でもないあるじの姿を探す。先ほど奇妙な悲鳴を上げていたが、無事だろうか。


 あたりを見回して、その姿をとらえる。拓人とレジーは、ほとんど隣同士にいた。それも単純に横に並んでいるだけでなく高さについてもほぼ同じ……つまりは拓人もシャボン玉の中に入ってレジーと同じように飛んでいたのだ。


「あるじどの!」


 駆け寄ってみると、拓人は盗賊に襲われた時のように治療を受けているようだった。髪の毛だけでなく体にも小さな火傷の跡が見られる。白目をいているところを見ると気絶しているのだろう。


「お、おいたわしや、あるじど……わぷっ!」


「はい、アンも治療ね」


 予告なくアンはシャボン玉を頭から被せられる。傷ついた主人を哀れに想う嘆きの涙も、シャボン玉の液に溶けて消えた。


「さっきといい、今といい急に何をするんですかレジー!」


「さっきは、距離を取らないとアンがやられてたから。今は、アンも怪我してたから」


「怪我⁉︎ 私は怪我など……」


「してました。あるじとおんなじだろうね。上から降ってきた火の玉にやられたんだ」


 打ち合いに夢中で気がつかなかった。だが、レジーがこうして治療しているからには間違いないのだろう、とアンは思う。


 レジーは怠惰ゆえに無駄を嫌う性格だ。そんな彼女が魔力の消費が著しい回復行為をするからには、傷は実際にあったのだ。


「……あ、ありがとう」


 アンは、しおらしく礼を言った。


「別にいい。それより、あるじを心配する気持ちもわかるけどアンはもっと自分を大事にして」


 真剣な表情のレジーに、今度はアンが負ける番だった。


「め、面目ありません」


「そういうのもいい。あるじのことはボクに任せてアンは敵に……チッ、おしい」


 レジーの視線が治療中のアンから、今まさに起き上がろうとしているギフトにスライドする。鋭い瞳が彼女のほうをにらんでいる。当たり前のことだが、闘争心はまだえていないようだ。


「いい? あるじはボクが守る。アンは気にせず戦って。多少のサポートはするけど、回復は今ので最後。よっぽど長続きしない限り、この試合が終わるまでは治せないから、あんまり怪我しないで」


 レジーがアンを心配する横で「んあ?」と拓人が目を覚ます。その口元には美幼女には似合わぬ下品なよだれが光っていた。


「アン、レジーや、朝ごはんはまだかのう?」


「あるじ、そういう老人ムーヴいらないから」


「しゅん」


「レジーって、やっぱりあるじどのに対して失礼では……へぶっ……いたた」


 レジーはシャボン玉からアンを落とす。治療が終わったのもそうだが、面倒な説教が始まる予感を察知したためである。


「レジー……あなたってば私を治したいのか怪我させたいのかどっちなんですかぁ⁉︎」


「どっちもやだよ。はじめっからアンが怪我しないのが一番だから。それに今ので怪我するようなヤワな体じゃないのは知ってるし。ほら、来てるよ。いい加減戦闘モードに戻る」


「……」


 言われなくともアンはこちらに近づいてくる気配を感じ取っていた。振り向くと、ギフトがゆっくりと歩み寄って来ている。


「やっぱり強いじゃねえか、アンタら」


「そっちこそ意外とやるね。ボクはすっかりアンだけでも勝てるかと思ってたんだけど」


 レジーの言葉に「はっはっはっ」とギフトは大笑いしたが、目だけが笑っていないことに気づいた拓人はシャボン玉の中で戦慄した。


「だが、さっきのシャボン玉は衝撃だけだな。こちとらノーダメージだし、毒なんかもおそらく入ってない。そもそも、そんなもんは仲間のいるところにゃ投げねえだろう」


「わかんないよ。アンだけには効かない特別な毒かも」


「……ふうん。レジー……だっけか?」


 ギフトは片眉を上げながら、彼女をにらみつける。


「アンタいい性格してるねえ。だが、揺さぶりかけようったって無駄だ。そんならそれで……短期決戦を仕掛けるまでよ!」


 突然、ギフトが地面を蹴るように駆け出した。その動作に呼応するかのように【鉄靴】に再び光がともる!


「【縁の下の太陽ヘブンアース】!」


 ギフトの体が少し浮上し、両足が火を吹いた。目標に一直線に向かう彼の狙いは、今の『短期決戦』という発言からも明らかだった。


 拓人である。最終的にこの対決は拓人かギフト、最後まで土俵内にいたほうの勝ちだ。ギフトからしてみれば、拓人を排除してしまうのが1番の近道となる。


「うわわっ、こっち来とる!」


「あるじ、絶対に喋らないで。舌噛むから」


「へ?」


始動ドライブ! 」


 ふわり。拓人とレジーのシャボン玉が動き出したのも、つかの間。


「あ〜んど、加速アクセル!」


 ひゅおん、と風を切るように拓人とレジーのシャボン玉が高速で動きだし、土俵の内側に沿うように円を描く。その様子は、カーブを攻めるF1カーさながらだ。


「〜〜〜〜〜〜〜っ!」


 口内で舌をもごもごさせながら、拓人は静かな悲鳴を上げる。警告されるまでもなく、怖くて口など開けなかった。


「逃すかよ!」


「それはこちらのセリフです!」


 進路変更して、拓人たちに追いすがるギフトの背中にアンが剣を一振りした。


「なっ……!」


 驚きの声を上げたのは、アンのほうだ。ギフトの背中には傷一つ付いていない。彼のマントが少し剣筋に沿って破れただけだ。もちろん殺さないように手加減はしたが、ある程度のダメージを負わせるように振るったはずなのに。


「今はアンタに構ってる暇はねえ!」


 ギフトはアンを突き放すように加速する。彼もまた、拓人やレジーと同じく円を描きつつ動く。だが、土俵の線からは大幅に間隔を空けていた。


 普通ならレジーたちと同じくコーナーギリギリを攻めつつ、彼らとは反対側から距離を詰めるのが早い。だが、そこでまたあのシャボン玉にぶつかったら今度こそ場外だ。シャボン玉を全部避けるのが理想だが、念には念を入れて安全運転を心がける。


 ……などとギフトが考えているうちに、前方に忌まわしきシャボン玉が、先ほどと同じように前触れもなく出現する。しかし、今度は横並びになった群れで! 今のスピードでは、絶対に避けきれない。反射的に、彼は手甲の力を発揮し急ブレーキをかけた。


「やべぇ!」


破裂クラッシュ連鎖爆撃シークエンス


 一つの爆発に連なるように、次の、さらに次のシャボンが弾ける。先ほどよりもさらに強い衝撃の波が、重なるようにギフトを襲う。


「ぐっ、ぬおおおおおおおおおおおおおおおお!! 【手製の陽光ブライト・レッド・ブラッド】ッ! 【縁の下の太陽ヘブンアース】ッ!」


 両手を背後に構え、勢いを相殺そうさいするためにギフトは手甲の力を現状の最大限に発揮する。鉄靴もまた術者を上空へと逃すため、全力で燃え上がる!


「うっ……」


 またしても間一髪。


「しゃあああああああ!!」


 ギフトはギリギリのところまで押し出されそうになりながらも、上空へ逃れた。


「……ッ! また? 運? 根性? それか両方?」


 空高く上るギフトを視線の先に捉えながら、レジーは再度舌を鳴らした。いったん自身と拓人のシャボン玉のスピードを落として彼の出方をうかがう。


 ギフトは鉄靴の力により上空にとどまりながら独りごちた。


「ここなら流石にあの泡は届かねえか?」


 自分からの問いかけに、自分でうなずく。


「……ねえよな。乗り物にもできて、回復装置としても機能し、かつ神出鬼没の妨害手段……ってのは、あまりにムシが良すぎる。なにかしらの制約があってもおかしくねえ」


 先ほどアンを見つめた時と同じように、レジーの姿を見据える。


「ちょいと試してみるかね」


 ギフトはアンに向かって飛んだ時と同じように体を倒し、敵の懐に向かう構えを見せた。


「【縁の下の太陽ヘブンアース】、全開!」


 先ほどの超加速を見せた時と同じきらめきが、ギフトの鉄靴に宿る。


「来るッ……!」


 危険を察知したレジーは瞬時に、自分にできる最大の防御を展開した。自身と拓人を覆うシャボン玉を、さらに包む大きな泡を二重、三重、四重に形成する。


 それだけで慢心せずに、ギフトと自身を繋ぐ線上に障害物として小さなシャボン玉の群れを可能な限り遠くまで……具体的に言えば、レジーから見て斜め前方三メートルの高さを中心に散りばめるように出現させた。これらも先ほどギフトを吹き飛ばしたものと遜色そんしょくない威力を持つ。


 大丈夫だ、レジーは自分自身にそう言い聞かせる。


 ──ギフトとか言うアイツがどれだけ早く飛んできても、この布陣は突破できない。小さいシャボン玉はできるだけ遠くに配置したから、ボクたちへの衝撃は最小限。なんとか耐えれる。さあ、どっからでも──。


「ようし、わかった!」


「えっ?」


 ギフトの大声かつ突拍子もない言葉に、思わずレジーは目を見張った。見ると、ギフトの鉄靴にあれだけ集まっていた光は、いつの間にやら見る影もない。彼は体を倒しすぎたためか、そのまま真っ逆さまに落ちていた。


「ふんっ!」


 しかし、そのまま地面に激突するわけもない。ギフトは空中で逆立ちに似た姿勢のまま【手甲】の力を発動し、上昇する。そのまま空中で回転し、まっすぐ立つような姿勢になってから手甲を止め【鉄靴】を発動。体勢を安定させた。


「なるほど、なるほど。アンタが泡を出せる範囲は、そこらへんまでが限界ってわけだ」


 ギフトの大声が耳に届いたとき、レジーは悟った。


「ハメられた……!」

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