第2章 老人と太陽

第6話 ピー、インナー、フル・フロンタル

 アンの見立ては正しかった。


 盗賊は二人合わせて六本の短剣を持っていたことが発覚。さらに兄貴分の得物えものであろう弓矢と弟分の斧、そしてこの世界の通貨らしき少々の金貨……その全てが拓人たちの私物と化した。


「これじゃあ、どっちが盗賊だかわからんのう」


「仕方がありません。繰り返しになりますが、私たちには物資が足りないのです。レジー!」


「はいはい」


 レジーがと指を動かすと、二つのシャボン玉が降下した。アンが手に持つ六本の短剣が小型のシャボン玉に、弓矢が大型のシャボン玉に飲み込まれる。


「レジーのシャボン玉は用途が広く、こうした物資の運搬うんぱんにも使えるのです。えっへん!」


「なんでアンが威張いばるの」


「素晴らしき仲間の存在こそ、最も誇るべきことではないですか!」


「……うざ」


「ちょっと待ちなさい! めたのに、なぜ罵倒ばとうされなければいけないのです!?」


 今のレジーの発言は一瞬言葉につまったことといい、本人の顔の赤さといい、照れ隠しであることは明らかだったが、拓人は何だか野暮やぼな気がしたので言わないでおいた。


「確かに便利じゃのう。そのシャボ……ふぁ、ふぁ、ふぁくしゅん!」


「しまった、あるじどのは全裸だった!」


 アンの言葉で拓人は思い出す。盗賊たちに服を脱がされたこと。泉で洗われ、体がびしょびしょに濡れていること。アンとレジーが登場してからの一連の出来事に気を取られ、すっかり忘れていた。


「レジー! このままでは、あるじどのが風邪をひいてしまいます。今のうちに治癒ちゆを」


「調子乗んな。回復は、そんなスナック感覚で使えるシロモノじゃない。ホントに大変な怪我とか病気した時に使えなくなっちゃう」


「むむむ……。ではあるじどの、少々お待ちください」


 何かに集中するようにアンは目を閉じる。一瞬、光に包まれた彼女の体は、いつの間にか下着姿になっていた。


「お、おい!」


「驚かれましたか。私の鎧はレジーのシャボン玉のようなもの。魔力で作り出して……」


「んなこと聞いとらん! なんでそんな姿に……」


「失礼を承知の上で、私のインナーをおしになっていただこうかと。下着以外で服といえるものは、鎧ぐらいしか持っておりませんから」


「お、お前さんの鎧と同じように魔力で服を作れば……」


「申し訳ありません。私には自分用の武器を作る能力しかなく……同じくレジーも衣服を作る力はありません」


「そんな……」


「ですから、私のインナーを。幸い、あるじどのと私の体格は同じぐらいですし、私は鎧を着ればすみますので」


 そう言って、アンはパンツに手をかけた。


「待て待て待て!」


 インナーといえば聞こえはいいが、ようは下着である。召すとは、着るということである。


「もちろん私ごときが着ているものを、そのまま身につけることに抵抗があるのは当然です。しかし、今はあるじどのの一大事。無いよりかは、ずっと良いはずです。後でどのような罰でも受けますゆえ、さあ!」


「いやそういう問題ではなくてだの」


 今はアンと同じ美幼女の見た目とは言え、拓人はもともと男、いい歳したジジイだった。幼女が脱いだ下着を着用するのは、たとえいかなる事情があったとしても人として終わってしまう。


「しかし、このまま全裸で歩き回るわけにもいかないでしょう」


「そりゃそうじゃが……」


「あのさ、あるじのワンピース洗えばいいんじゃない?」


 この状況の面倒さが、口を挟む面倒さを超えたため、レジーは助け舟を出した。


「力の強いアンが絞れば、脱水もできるし」


「なるほど、名案ですね」


「ま、待て! それはつまり、ワシの小便が付いた服をアンが洗うということか⁉︎」


 だが、出された舟を大船と感じるか泥舟と感じるかは、受け取り側しだいである。この舟は拓人にとって泥だった。


「私は気にしませんよ、あるじどの」


 聖母のような微笑ほほえみをたたえたアンに対し、拓人は駄々だだをこねる。


「イヤじゃ、イヤじゃ! 自分テメェの小便は自分テメェで拭くッ!」


 生前、病院に入院していたころ、自分よりずっと若い看護師さんたちに汚いパンツを散々さんざん洗ってもらったのだ。体が自由に動く今、自分で洗わずになんとする! 拓人の決意は固かった。


「ふぬおおおお!」


 盗賊に投げ捨てられたシミのついたワンピースを拾い上げ、泉に向けて一直線。


「おらおらおらおらおらおらああああ!」


 こする。シミになっている部分を水につけながら、必死に擦る! 洗剤も洗濯板もないため、む! 汚い部分をひたすらに揉む!


「うおりゃあああああああああああああああ!」


 そして絞る! 持てる力の全てを費やして!


「全然絞れてませんね。これでは、着てもむしろ症状が悪化するかと」


 アンに一刀両断され、うなだれる拓人は二者択一を迫られる。


 小便の付いたワンピースを幼女に絞らせるか。


 幼女の着けた下着を身にまとうか。


 前門の尿、後門の下着。拓人が選んだ答えは──!


「ワシは……全裸で行く!」


 フル・フロンタル。第三の道であった。


「バカな! それだけは……それだけはあるじどの!」


「はは、イかれてやがる……」


 必死に止めるアン、ドン引くレジー。人としての尊厳そんげんを守ることに固執こしつした拓人は、風邪をひかないようにするという当初の目的を完全に忘れている。


「裸の王様作戦じゃ! 愚か者には、ワシの服は……」


 見えない。そう言う前に、アンは拓人おろかものが小脇に抱えたワンピースを抜き取り、力一杯絞った。


「なっ……!」


「私は、あなた様に仕えるものです」


 アンは、肩を震わせながら涙ながらに訴える。


「おしっこの付いた服ぐらい洗わせて下さい……ッ!」


 何が『ぐらい』なのか、はたから見ていたレジーにはさっぱりだったが、なぜか拓人の心には響くものがあったようだ。


 ──ワシは、自分のプライドばかり優先して相手の気持ちを考えておらんかったのかもしれん……。


 そう思い、考えを改めた。


「……アン、脱水を頼む」


 その言葉を受け、アンの表情は晴れた。


「はいっ、あるじどの! すぐに……」


 ──ブチブチブチィ! 不吉な音が周囲に響く。見ると、拓人のワンピースはねじ切れていた。


「ううっ、ひっく、もうじわげありまぜん、あるじどのぉ、り、力み過ぎて……」


「……あー、アン、すまんが下着を貸してくれんか」


 泣いているアンをなぐさめるため、傷ついたアンの心を救うために、拓人は人としての尊厳を捨て去るしかなかった。


「すびばぜんんんんんんん!」


 響くアンの慟哭どうこく


 野ざらしのまま、目を閉じることも、耳を塞ぐこともできずに地獄の一部始終をただ傍観ぼうかんするしかなかった盗賊二人は思った。


 ちくしょう、俺たちはこんなバカどもにやられたのかよ、と。

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