第5話 老人と【七人の……】③

「腹が、立ちますね」


「うぐっ!」


「あ、アニキ!」


 誰かの叫び声が聞こえた。くらむ視界が一瞬宙を舞って、すぐに安定する。


 自分が今、座っている状態だということを拓人はかろうじて認識した。目の前に、誰かがいる。自分とそれほど変わらない背丈せたけの誰かが。


「ひどい。衣服を脱がされた上に、体の自由までうばうなど……レジー!」


「めんど……でもあるじのためなら、しゃーなし」


 とぷん、と柔らかな膜に飛び込んで、そのまますり抜けるかのような感触。それから、再びの浮遊感。


 しかし、今回は男にかつがれた時の荒っぽいものとは違う。かごで眠っているかのような、ゆったり感──そして、落下。


「へぶっ!」


「くおら、レジー! あるじどのの扱いが雑! 許しません、あとでお仕置きです!」


「いーじゃん。治せるとこは治したよ。ムダに能力使うとあるじのためにもならないし、何よりボクが疲れちゃう」


 治した。その言葉で、拓人は体の自由がきくことに気がついた。視界も明瞭。先ほど斬りつけられた傷に目を向けると跡形あとかたもない。


「ご無事ですか? あるじどの」


 一人の幼女の熱い視線が、まっすぐに拓人の目を見つめた。生真面目きまじめさと誠実さが、引きまった表情から伝わってくる。


「キミは……?」


 彼女は内なる情熱を物語るかのように赫々あかあかとした髪を揺らしながら、その身に付けた鎧の重さを物ともせず、軽やかに敬礼した。そして──。


「【七人の女神セブンミューズ】が一人、アン・フューリーであります!こうしてお会いできたことを光栄に思います、あるじどの!」


 太陽のように笑った。





「同じく、レジー。よろ」


 レジーと名乗る緑色の髪の幼女は、アンの隣で。シャボン玉らしき物体の中で、寝そべりながら脚を組んでいる。


 衣服はアンと対照的に、白のランニングシャツに青のショートパンツという、いかにもな軽装だった。


「レジー・アイドルネス! キチンと正式な名を名乗りなさい。あるじどのとの初対面ですよ!」


「うざ。めんど。呼び方わかれば、それでいーじゃん」


 レジーの周囲にも大、中、小……さまざまなシャボン玉が宙を漂っている。おそらく自分もあの中の一つに入り、治療を受けたのだろう。馬鹿げた話だが、拓人はそう信じるしかなかった。


「そういうわけにはいきません! さっきからあなたには、あるじどのに対する敬意というものが……」


「……危ない、後ろじゃ!」


 拓人は叫んだが、同時に手遅れだとも感じていた。先ほどの弟分の盗賊が巨大なおのをアンの背後から、彼女の頭めがけて振り下ろしていたのだ。


「死ねええええええええええ!クソガキィ!」


「はぁ……お馬鹿バカさんすぎて腹が立ちますね」


 アンは振り返ることすらせずに、荒々しく振り下ろされる斧を、その厚みよりずっと細い小指で受け止めた。


「「んなっ!」」


 しくも、拓人と盗賊の声が重なる。


「本当に、腹が立ちます。あるじどのに危害を加えただけでも、万死にあたいするというのに。まだ私たちに敵意を向けるなんて……命、いらないんですか?」


 アンは盗賊のほうを青筋あおすじ立てながらにらみつけた。


 盗賊の表情は、見る見るうちにおびえたものへと変わっていく。斧を取り落とし、流れる汗。涙。そして、放心した。


 拓人は確信した。盗賊は殺される覚悟をし、アンは覚悟するまでもなく盗賊を殺そうとしていることを。


「あ、あああああアン、アンさんや」


 呼びかけられたアンは、拓人のほうに向き直り、一転して笑顔を見せた。


「敬称は不要です。アンで構いませんよ、あるじどの。どうかなさいましたか?」


「い、命だけは助けてやってくれんか。けられる殺生せっしょうは避けたほうがいいと思う。それに……」


 これから共に旅をする者が人を殺すところは見たくない……拓人は、そう思いを伝えた。


「う、うむむ、ふむう」


 アンは『あるじどの』の頼みと、並々ならぬ自分の怒りとを天秤てんびんにかけるように一瞬なやんだ。しかし、自らの気持ちを落ち着けるように大きく息を吐くと、


「承知いたしました」


 と言った。


「あるじどのが、そうおっしゃるなら。そうですね、では、あるじどのと同じ苦しみを味わわせることで手打ちとしましょう」


 ひゅ、と何かが盗賊の頰をかすめる。流した血は微量だったにもかかわらず、彼はふらりと倒れた。


「な、何をしたんじゃ」


「彼らと同じことを。そうですね、これまでの経緯を合わせて説明すると……。


 まず、弟分の太もものベルトから毒の剣を奪い、あるじどのを抱えた兄貴分を斬りつけ、御身おんみ奪還だっかん


 剣についていた血が新しく、少量だったので、この剣に塗られているものは毒であり、あるじどのはそれにやられたのだろうと判断したのです。


 二人とも殺してからでもよかったのですが、そう強くもなさそうだったので捨て置き、あるじどのの治療を優先いたしました」


「うざ。治したのはボクなのに、自分の手柄みたいに言ってら」


 レジーの非難をよそに、アンは続ける。


「力量差を把握できない盗賊のお馬鹿さ加減と、あるじどのの寛大かんだいさは計算違いでしたが。


 その事情を踏まえた上で私は、今しがた毒の剣を弟分の頰に向かって投擲とうてき、身体の自由を奪うことで我慢し、現在に至るという次第であります」


 剣を投げた、だって? 見えなかった。真正面でことの成り行きを見ていたはずの拓人は、そのことを全然視認できていなかった。


「さて、と。とりあえず、斧は頂いておきましょう。下劣げれつやからが触れたものは、なるべく使いたくありませんが、資源が少ないうちは贅沢ぜいたく言えませんからね。どれどれ切れ味は……ふんっ!」


 アンは下手へたをすれば自分の身体より、ずっと巨大な斧を難なく拾い、投げた。


 斧は弧を描きながら、周囲の木々数十本をなぎ倒し、ブーメランが如くアンの手元に戻る。


「それほど良くありませんね。使い古しのものでなければ、軽く百本は倒せたのですが」


 戦慄せんりつする拓人に言葉はない。


「他にも戦利品をあさってみましょう。少なくとも、毒の剣はあれ一本だけではありません。見たところ、あの短剣は本来投擲用。彼ら程度の実力では、当たらないことも多かったでしょうし」


 一貫して、盗賊たちを見下した発言。しかし、アンのそれは、先ほどの自分が抱いたような傲慢な感情によるものではない……と拓人は感じ取っていた。


 そもそも、次元が違う。圧倒的強者による、凡愚ぼんぐへのごく自然な軽蔑。


 ──こいつは、人間とは違う。精霊だと聞いてはいたが、そんなファンシーなものか? こいつは……。


「──怖がらせて、しまいましたか?」


 その一言で拓人は現実に引き戻される。目の前のアンは何か重大な失敗をしたかのように、不安そうな、傷ついたような表情を見せていた。


「も、申し訳ない。ワシ、どんな顔しとったかの?」


「いえ、お気になさらず。そういう顔をされるのには慣れている……そんな気がします」


 そのようなさびしい、人間らしい表情をされるとなんだかよく分からなくなる。それともこの表情にも何か裏があるのか。拓人は少し考えてから……。


「助けてくれて、どうもありがとう」


 まず、感謝した。アンに頭を下げ、それからレジーのほうに向き、彼女にも礼をする。


 何はともあれ、彼女らが自分を助けてくれたことは、拓人にとって疑いようのない事実だ。これに対する感謝を忘れれば、誰より自分自身が人間で無くなる気がした。


「も、もったいなきお言葉!」


「ん、ども」


 アンは姿勢を正し、うやうやしく頭を下げた。


 レジーは素っ気なく返事をしただけで、拓人のほうを見ようともしない。


 だが、その人間臭い個性の表れが、拓人の心にわずかながらも親近感をわかせた。


「──こ、これから旅をする者どうし……な、かよくしよう」


 緊張しながら、それでも勇気を出して拓人は言う。


 『仲間』という言葉は、あえて使わなかった。そう呼ぶには、まだ信頼も経験も思い出も、何もかもが足りない。お互いに。


 ただ、代わりに手を差し伸べる。


「では、僭越せんえつながら」


 アンは、すぐさま握手に応じた。我関われかんせずとレジーがよそを見るのもつかの間、彼女にも手が差し伸べられる。


 レジーは終始めんどくさそうにしていたが、自身の入ったシャボン玉を降下させ、手だけを外に出し、握手に応じてくれた。


 彼女たちの手と自分の手が、ほぼ同じ大きさであることを拓人は痛感する。本当に小さくなってしまったんだな……と。


 ──はん、上等だわい。一度は死んだ身。なればこそ、死ぬ気で楽しんでやろうではないか。第2の生を。異世界を。






 ──傲慢なる王は、気配を感じていた。


 我が国に近づいてくる。巨大な魔力のかたまりと、それより少し小さいのが二つ。国に攻め入るためにしては、少しも魔力を抑えようとしていない。わざと見つけてくれと言っているようなものだ。


 ──ただの馬鹿か。


 それならば、我が国の国民として向かい入れ、その力を有効活用してやろう。しぼり切って、死ぬまで。


「国を挙げて、一芝居ひとしばい打とうではないか」


 日々の退屈をいやす余興のために。


 ただ、その者達と【握手】をするために。

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