エピローグ
最終話:未来はミンナのためにある。
❤
「あ、ほらユカリ、カランちゃんとコエちゃんってあの子たちかな!ほら、台の上で毛繕いをしている、あのそっくりな子たち!」
「あ、本当、仲良しね」
柵から身を乗り出しながら私が指を差した先の2頭のチンパンジーを見て、ユカリは頬を緩めながら言った。
「可愛いよね、双子ちゃん!」
「うん! 名前も、子宝草の学名の“カランコエ”を分けて付けられたそうよ」
「へえ、そうなんだ」
ユカリの話を聞いて、私はまたカランちゃんとコエちゃんに視線を戻した。
球技大会が終わって数日後の土曜日、私たちは、東山動物園の双子のチンパンジーを見に来ている。
週明けに後1回学校に行ったら、次の日からはもう夏休み。
今年の夏休みはどうなるのか、今から楽しみで仕方が無い。
……私が今後の展開に目を輝かせる横で、ユカリは柵の上の手摺に置いた手に顔を
「……負けちゃったんだよね……」
「もう、まだ言っているの? あれから何日経ったと思っているのよ」
ユカリが言っているのは、月曜日の球技大会決勝戦の話。
終了間際に放たれたユカリのシュートは、私たちの渾身の叫びも空しく、散々リングの上を回って私たちを焦らした挙句、外側に落ちた。
私のパスの意図をちゃんとユカリが読み取ってくれた最高のプレイだったのだし、私だって残念は残念なのだけれど。
……それにしても、ユカリが勝負事をこんなに引き摺るなんて珍しい。
いっつも、いつまでもぼやく私を窘めるのはユカリの役割だったのに。
「あの時、……シュートをする時に変な力が入っちゃったのは分かっていたのよ。でも、やり直していたら足をついて、トラベリングになっちゃうと思って……」
「うん、うん」
スポーツの話で饒舌になるユカリの、もう何度目かの話に嬉しくなって頷く私の顔は、きっと相当緩んでいるだろう。
「また皆でやろうね。球技大会とか関係無く」
「……そうね。カエデさんたちも、そう言ってくれたし」
あの時、バスケットボールが床に弾む音が静まり返った体育館に空しく響く中、力尽きて倒れ込んでいた私たちに手を差し出しながら、カエデさんたちは楽しそうにそう言ってくれていた。
……少なくとも、体力では私たちの完敗だった。
「私もちゃんとドリブルを出来る様になりたい。付き合ってくれるよね、ミカ?」
「うん、勿論! ボールも有るし、ドリブルならその辺の公園で出来るからね」
「ありがとう。その分、勉強にはちゃんと付き合うから」
「うぅ……。それは……」
「あら? 夏休み明けには実力テストが有るのよ? 現国以外も、楽しませてくれるんじゃなかったの?」
「……だよね。うん、お願い……」
勉強すること自体には前よりは大分慣れたけれど、他にもやりたい事は沢山有るし、やっぱりちょっと尻込みしてしまう。
でもまた赤点を取ったりしたら目も当てられないので、やらない訳にはいかない。
もう一度カランちゃんとコエちゃんの毛繕いの光景に目を移した時、スカートのポケットに入れているスマートフォンが震えた。
ユカリが楽しそうに私を見守る中、私はそれを取り出すのに手間取ってしまった。
……やっぱり、慣れないな。
震えた正体は、アヤカからのメッセージの着信だった。
♦
「あ、3人共、正門横に自転車停められたって。合流はここで良いよね?」
スマホを確認してそう言ったミカに頷いて返すと、パンツのポケットに入れていた私のそれも震えた。
「チンパンジーを見て待ってるね、……っと、送信! ……あれ? ユカリもメッセージ来た?」
届いていたメッセージを確認していると、自分は返信を終えたミカが覗き込んで来たので、
「アヤカたちじゃ無いわ。ホノカさんから。皆で親に車で送って貰って、植田山の駐車場に着いたって」
❤
「植田山なんだ! じゃあ、ここまでは少し時間が掛かりそうだね!」
ユカリの返事に応えた私の声は、少し大きくなってしまった。
「ふふ、変に緊張しなくて良いわよ。私も居るし、
「う、うん、それはそうなんだけど……」
カエデさんたちとの試合が終わってセンターラインに向かい合ってお辞儀をした後、私たちは歓声を上げるクラスメート皆に取り囲まれた。
「ユカリさん、最後凄く惜しかった!」
「ミカさん凄い、カッコ良かった!」
「本当に! 私も最後、一緒に叫びそうになりました!」
「アヤカさんもカナコさんもシオリさんも! テストも頑張ったみたいだし、今まで誤解していたみたいでごめんなさい!」
賞賛の言葉と共に揉みくちゃにされながらも、その時の私たちには戸惑いしか勝っていなかったのだけれども。
翌日からクラスメートの子たちと普通に挨拶を交わす様になったし、お互い緊張しながらも少しずつ話す様にもなって来た。
何なら、私とユカリが普段通りに話している処を見てみたいとのリクエストをされる事も有った。……そんな衆人環視の中で普通に話せる筈も無く、私たちの教室での2カ月振りの会話は、何だか変な感じになってしまったのだけれど。
「結局、内部生の皆も、認めて受け入れさせて欲しかっただけなのかも知れないわね」
「うん。前にお母さんたちが言い掛けた事も、そう云う事だったのかもね」
ユカリが言った事に、賛成の意を示す。
そうやって外から来た人たちの扱いに困っていた処、私たちが勝手に落ちぶれただけなのだと。……ユカリは中間テストの結果で認められていた訳だし。
同じ様な境遇だったお母さんがスポーツテストを境に仲良くなれたって言っていたのも、きっとそう云う事だったんだろう。
私がお母さんより幸運だったのは、同じ境遇の仲間が居た事。
アヤカたちが居たから、私も一緒に球技大会を押し付けられて、皆に認められる様になったのだと。
「そう思うと、お母さんたちが余り思い詰めない様に言っていたのも、納得かな。思い詰めても、逆効果しかなかったから」
「……あれ? 思い詰め過ぎていつも泣きそうだった顔も、今思うと可愛かったわよ?」
「もう、意地悪なんだから!」
「でも本当、私たちは慣れない環境で、深刻になり過ぎていたのかもね」
話しながらもユカリのスマートフォンは震え続けて、ユカリの指はこれでもかと速く動き続けている。
人気者は大変だなとそれを眺める私のスマートフォンが、もう一度手の中で震えた。
『チンパンジーって事は、双子の様なユカリと2人で双子ちゃんでも見ていたのかな?』
「何でよ!」
アヤカからの返事に不意に声を上げてしまった私を見たユカリは、指を止めて私の画面を覗き込んで、大きな声を出して笑った。
♦
その内に私たちの所に、アヤカ、カナコ、シオリが、それに続いてホノカさん、ナオさん、ハルナさん、ユズキさんが集まって来た。
皆顔を合わせて、まだどこと無くぎこちない挨拶を交わす。
大分マシにはなって来ているけれど、その光景が何だかおかしくて、少し笑ってしまった。
……それにしてもまさか、ホノカさんたちのグループを誘って学外で遊んでみようかなと思っていたのが、こんな形で叶うなんて。
勿論そう思った当時は、こんな事は微塵も想像出来ない状態だったから、私を含むホノカさんたちのグループだけの心算だったのだけれど。
皆で頑張った結果とは言え、正直、出来過ぎ。
アヤカたちが私たちの格好を笑うと、それを不思議に思ったホノカさんたちがその理由を訊いて、控えめに笑い出した。
別に皆に話題を提供しようと云う心算でミカとの服装を交換こしている訳では無いけれど、円滑なコミュニケーションのタネになるのなら、それはそれで意味が有ったわね。
❤
それにしたって皆、主に私の格好で笑い過ぎじゃないの?
……そんなに、私にスカートって似合わないかな。
誰も、冗談にも馬子にも衣裳とさえ言ってくれないとか、どんだけなの。
猫に小判、豚に真珠、ミカにスカート?
今度は、ユカリとお揃いでヒラヒラする心算だったのだけれど。
「そうそうユカリ、帰ったら家に行って良い? 何か、新しく本を借りたいんだけど」
「あ、あのシリーズのやつは全部読み終わったの?」
「うん。頑張って読んでみたら、面白かったよ」
「へえ、眠気に耐えて良く頑張ったわね。感動したわ」
私の感想に、ユカリは満足そうに笑った。何だか酷い事を言われている気もするけれど、事実だから仕方が無い。
……でも、もう少し気の利いた感想を言った方が良かったかな。
……まあ良いか、どうせユカリには見透かされちゃうし。
これも、私の小さな始めの一歩。
私たちが話している間にも、カエデさんやアンナさん、それに他のクラスメートも続々と集まって来て、予め今日の予定が決まっていたと云う数人を覗いて、同じクラスのメンバー
……皆の前でユカリと話した時、改まって何を話したら良いのか分からなくなった私たちは、土曜日に東山動植物園に来る約束をして、それを聞いていた皆が「私も一緒に行きたい!」と言い出したのだ。
私もテストや球技大会を頑張った末の最終目標として、『アヤカたちと、ユカリとそのグループの子たちと遊びに行きたい』って考えていたけれど、これは出来過ぎなご褒美だよね。
新しい目標、設定しなくちゃ。
多分だけど、目標を設定しておかないと私は又、間違えてしまうから。
流石にこれだけ集まると壮観で、チンパンジーの居る辺りが一寸した広場になっていて良かったと思う。
……でも正直、この後どうしよう。
この人数で一緒に回るのかな?
これは今迄に想像した事も無い、幸せな悩み。
「じゃあ皆、順番に観て行こうか!」
皆に向かってそう言った私の顔は、今迄で一番の笑顔だったに違いない。
♦
得意な分野が分かれていた私たちは、ずっと、それをお互いに任せて生きて来た。
……しかし、それが原因で、人に
❤
だから私たちはこれから、それを共有する事にした。
……だって、私たちの事を人に決められたくは無いから。
❤ ♦
……そう。
私たちユカリとミカ、“ユカミカ”は、2人じゃなきゃダメなのだから。
<了>
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