第37話:牧野ヶ池に向かって。



「じゃ行くよー。皆シートベルト締めたー?」

「「「はーい」」」


 お母さんの質問に皆で声を揃えて返事をすると、ブレーキを解放された車は、緩々と動き始めた。

 ……昔からそうだけど、こう云う時にミカゲさんもちゃんと返事している処がお母さんとの関係を示している様で何だか嬉しい。

 そんなミカゲさんは助手席に座っていて、私とユカリの子供組は後ろの座席に並んで座っている。


 ポン。

『間も無く、左方向です』

 カーナビの機械的な声が車内に響く。

 カッチッカッチッ……続いて、ウィンカーの音。


「今の処は、順調ね。この通りも、混む時は混むけど」

「本当だね。このまま時間通りに行ってくれると良いんだけどな。ほら、遅れた時、大人だったら混んでたんだなって思ってくれるけどさ」

「高校生じゃ難しいかな?」

「別に遅れたくて遅れる訳じゃ無いのに、外の人には“名古屋時間”って言われるのよね」


 前の席でお母さんとミカゲさんが話している、名古屋時間。

 車社会の名古屋では、渋滞をして遅れるのが当たり前だから、予めそれを見越して待ち合わせの時間などを決めるのだと。

 県外から来た人なんかには、時間にルーズな名古屋時間と揶揄されてしまうのだと。

 私たちはお母さんたちに教えて貰ったから知っているけれど、アヤカたちはどうなんだろう。


「ねえユカリ、後でアヤカたちに知っているか訊いてみようか」

「うん。私たちみたいに、親にぼやかれていて知っているかもね」

「……聞こえてるわよぉ」


 そう言いながら振り向いたミカゲさんと3人で笑い合った。


「ちょっと、3人で何を笑い合っているのよぉ」


 ルームミラーを見てみたら、面白くなさそうな顔をしているお母さんと目が合った。


 それから大通りを横切ったり、坂道を上ったり下りたりしている内に目の前の坂の上に携帯電話のお店が見えた。

 そこでも赤信号に引っ掛かって車が停まる。

 お母さんがウィンカーを入れたのか、カッチッカッチッと云う音が車内に響く。


「あ、ここがさっき言っていた『左折1回』の所?」


 ルームミラーでお母さんの顔を見ながら訊くと、お母さんの目が動いて視線が合った。


「うん、ここはT字路だからね。……行けって言うなら真っ直ぐ行っても良いよ? お店に突っ込むけど」


 ……うん、全然面白くない。


「……今のご時世、冗談でも止めようね?」

「はーい、ごめんなさーい」


 ミカゲさんが溜め息交じりに言うと、お母さんは悪びれる様子も無く謝った。

 ……お母さんの高校時代の話を聞いてから改めて二人の遣り取りを聞くと、確かに私とユカリの関係と似ているかも知れない。

 流石は親子。…………気を付けよう。


 お母さんがハンドルを大きく回すと、車はスムーズに左に曲がって行く。

 そこから坂道を下って暫く行くと、片側が2車線の少し大きな道路との交差点で赤信号に捕まった。


「ああ、やっぱり混んでる……」


 お母さんのボヤキを聞いて良く見てみると、私たちから見て左から来ていて左折しようとしている車、……詰まり私たちが直進しようとしている道に行こうとしている車で、長蛇の列が出来ていた。


「え、何この列。お祭りか何か有るの?」


 思わず驚きの声を上げると、少し笑いながら振り返ったミカゲさんが、車の前方の信号を指差した。


「ん?」


 私と一緒に、ユカリも不思議そうに覗き込む。


「ほら見て、あそこ。何か感じない?」

「んー、……信号が2つある?」

「うん。今停まっている信号と次の信号までの間隔が尋常じゃ無く短いのよ」

「……あ。それで左折したのは良いけれど、信号に捕まってしまっていると云う事?」

「ユカ正解。それであの向こう側が駅だから、曲がる車も多いのよね。あの2つ目の信号を左折した所に、地下鉄の地上口が有るし」


 話していると目の前の信号が青に変わって、暫くすると左折待ちで交差点に進入していた車も進んで行ったので、お母さんもブレーキを離してトロトロと進み始めた。

 ……と、2台前で左のウィンカーをチカチカさせていた車が横断歩道の歩行者が渡り切るのを待っている内に、その2つ目の信号が変わってしまった。


「「……ですよね……」」


 お母さんたちの、溜め息交じりの絶望の声が聞こえて来た。

 車の時計を見たら13:45になっていたけれど、これが間に合いそうなのかどうかは私には分からない。

 横のユカリを見てみたら、スマートフォンを取り出していて、指を高速で動かしている。


「一応、『もしかしたら遅れるかも』って送っておいたから大丈夫よ」


 私の視線に気づいたユカリは、スマートフォンをバッグにしまいながらそう言った。


「「ありがと、ユカリ」ちゃん!」


 お礼を言ったら運転席のお母さんと声が揃って、車の中が笑いに包まれた。

 笑いを堪えながら窓の外を見ると、広くは無い駐車場を備えたドーナツチェーンのお店が有った。

 運転の事とか分からないけれど、この駐車場に出入りするのは大変そう。


 信号が青に変わって車が動き出すと、駅を過ぎてちょっと進んだ所に、日進市の表示が。


「日進市!」


 何となく嬉しくなって言うと、「何それ」と皆笑い出した。


 と、大きな道路を横切ってまた信号を2つほど進んだ所で『名古屋市』と書いてある標識が見えた。


「あれ? もう名古屋? 日進市は?」


 頭の中が疑問で一杯になる。さっき入ったばかりの日進市は何処に行ったの? こんなに小さいの?

 首を傾げていると、私の身体にユカリの手が触れた。


「……私もさっき道を検索してみたけれど、日進市のふちっこを斜めに通っただけみたいよ」

「へえー、そうなんだぁ」


 ユカリが言った事に感心していると、ミカゲさんがまたヒョコッと横顔を見せた。


「そうそう、この坂を上って下りたら、直ぐ牧野ヶ池の駐車場だよ」

「……あれ? ここも渋滞ポイント?」


 ミカゲさんが目的地までもう直ぐだと教えてくれた途端、お母さんはまた不機嫌な声を出した。

 前を覗き込むと、確かに車が何台か並んだまま停まっている。

 ……今度は、信号なんか無い。


「……あ、あの病院じゃない? ほら、今入って行った」

「あ、本当ね」


 ミカゲさんが指した方を見ると、道の右側に大きい病院が有って、前に居た車が対向車線の車が途切れたのを見て、入って行っている処だった。


「じゃあ仕方ないね。……あ、進み出した」


 お母さんが優しい声で言うと、車はまた直ぐに動き出した。


「何とか間に合いそうね……」


 吐息交じりのお母さんの言葉を受けて車の時計を見てみると、待ち合わせの2時までは未だ、5分程残っていた。

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