第34話:楽しい食卓。



「ねえ、ユカリ。ここなんだけど……」


 前日に独りでやって少しでも疑問に思ったメモを元に、一つずつ質問をして行く。

 いきなりの高得点は目指すのを止めたとは言え、その後の勉強の事を考えると、分からないままにしておいて良いと云う事は無い。

 それに、全部ちゃんと理解をしていたら、目標の点数を確実に確保しつつ、正解では無いけれど実に惜しい回答をして先生方にアピール出来る。

 ……と云うのが、ユカリに言われて成る程と思った事。

 仮に今後不図した拍子にカンニング疑惑がクラスメートの中から起こった時、このアピールが有るのと無いのとでは先生からの反応が変わるから。……と云う理由らしい。

 流石は“ユカミカ”の腹黒い方。黒ユカの切れ味は増していた。


「ああ、これはね……」


 私の質問に、ユカリが答えてくれる。

 そのユカリの説明で、私は自分が一寸した勘違いをしていた事を知った。


「それにしてもミカ、大分理解度が上がって来たわね。数学とか、もっと時間が掛かりそうだったのに」

「本当?! ……へへへ、ありがと」


 不意にユカリに褒められて、思わず顔が緩んでしまう。

 自分でも少しずつユカリの説明が分かる様になって来ていた実感が有っただけに、その喜びも一入だ。


「じゃあ、次の質問は……」

と質問メモを辿っていた時、下から『ピンポーン』と云うインターホンの音と、「はーい!」と云うお母さんの声が聞こえて来た。


「あ、お母さん来たのかな」


 ユカリがそう言ったので時計を見てみると、もう11時30分を回っていた。


「あ、もうこんな時間? ……ちょっと質問多過ぎた?」

「ううん。そんな事ないから、気にしないで、少しでも引っ掛かった処は訊いて来てね。変に気を遣って、分からない事をそのままにしても良い事は無いのだし」


 少し時間を取らせ過ぎたかと思って訊くと、ユカリは笑いながら言った。


「と言うか、この遣り取り、高校受験の勉強を頑張っていた時にもした事有るわよ?」

「あれ、そうだっけ?」

「うん。……とは言え、気を遣えるのはミカの良い処だから、無くさないでね」

「うん!」


 そう言って笑い合った時、1階からお母さんが「ご飯にするから切りを付けていらっしゃーい!」と呼ぶ声が聞こえて来たので、一旦机の上を整理してからユカリと2人で階段を下りて行った。





「はい、それじゃあ」

「「「「いただきます」」」」


 皆で合掌をして、いただきますの合唱をする。

 昨日と違うのは、その後にがっついたりはしない事。

 昨日の私は、流石に疲れ過ぎていた。


「それでユカ。ミカちゃんは学校でどうなの? 人気者?」


 サラダの切り身のトマトと箸で格闘しながら訊いて来たのは、お母さん。

 お母さんは私の事を、名前のユカリでは無く、『ユカ』と呼ぶ。

 何でも本当は、昔人気だった……今も偶にテレビに出ているらしいけれど……双子の子役と同じ様に2音で『ユカ』にしたかったらしい。

 それで4月に生まれていた親友の娘のミカと併せて、“ユカミカ”って。

 ……それでも字画が悪かったらしく、……偶に上手く行っても漢字の字面に納得が行かず、苦肉の策で『リ』を加えたとの事だ。

 と、そんな無念の思いがお母さんの中に有る事を知っているからお母さんが私を『ユカ』と呼ぶ事には何も言わないし、そう呼ばれるのも好きになっている。

 まあ、当の本人である私としては、その『リ』がミカの中に溶けている感じがして、一体感が増している様に感じられるのだから、結果としてこれで良かったと思っているのだけれども。

 それに、『ゆかり』と読む漢字の中に、『縁』がある。えん。えにし。

 私の中に『リ』が有るからこそ、ミカとの縁が続いているのだと。

 中間テストに向けては、その私の中の『』が抜け落ちてしまっていたからこそ、ミカとの関係の継続が危なくなった。

 だから、もう、油断しない。先読みして、障害は取り除く。

 私とミカは、2人で1つ。……2人じゃなきゃダメなの。


 ……と、学校でのミカの事だっけ。

 ミカは「へへへ……」と、下手な愛想笑いを浮かべている。

 そんなのじゃ、お母さんを誤魔化せる訳無いじゃない。バレバレよ。


「ああ、うちのバカ、中間で赤点取っちゃってクラスで浮いちゃったらしくてさ」


 ……ミカのお母さん、トモミさんからは誤魔化す気が微塵も無いストレートパンチが放り込まれた。


「あらら、そうだったの?! ユカ、何で教えてくれなかったの?!」

「それは……」


 私の心の整理が着いていなかったから、何て言える訳が無い。

 それにその事を、ミカを溺愛しているお母さんに伝えたら、どうなっていたか。

 考えるだに恐ろしい。


「それで、教室でもグループがユカリちゃんと離れ離れになっちゃったとかでさ」

「……ああ、それでユカは寂しくて、心の整理が着けられないで居たって事か」


 ……何でよ。何で私の方までバレバレなのよ。


「ミカも元気が無くなっちゃってね。でもこの間、ちゃんとユカリちゃんと話し合えたみたいで」


 ちょっと、トモミさん…。


「……あ、そうそう、知ってる?この前の朝、あんたんちの前で……」

「私の家の前で?」

「お母さん、それはストップ!!!」


 私が動き出すよりも早く、ミカが喋り続けるトモミさんの口を塞いだ。

 今、ミカの手の動きが見えなかったのだけれど、どんな速さで動いたのよ。

 ともあれ、ナイスプレイ、ミカ。 

 ……因みに、そんなミカの顔は耳の先まで真っ赤。

 …………お母さんは聞けなかった事に不満そうな顔をしているけれど、ミカのそんな表情を見られたので、それはそれで満足そうにしている。

 

「んー! んー!」


 トモミさんが藻掻きながら娘の腕を何度かタップすると、ミカは母親の口に当てた手を緩めた。


「もう言わないから けて! ……昨日の明治村は、ミカが補習で仲良くなった子たちと行って来たのよね? 写真とか、撮って来てないの?」

「あ、それなら私が」


 私はそう言ってスマホを取り出し、明治村の正門前で撮った写真に合わせて、お皿を少しずらしてテーブルの真ん中に置いた。

 2人の母親は身を乗り出してそれを覗き込んだ。


「へえ、あの学校、今はこんな子たちもいるのね」

「ね、思った! 大分変ったのかな?」


 何を隠そうお母さんもトモミさんも、私たちが通っている松浦女学園高等学校の卒業生。所謂、OGってやつ。

 ……最近男女平等の名の下の言葉狩りが流行っているけれど、性差その物の『OB』や『OG』なんかも、その内に使えなくなるのかな。

 何になるんだろう。……Old Person、『OP』とか?

 松浦学園には、最終的には校風なんかで決めたのだけれど、私が中学の時にサイトを調べたのもそれが縁。


「その子たち、……左からアヤカ、カナコ、シオリって言うんだけど、高校からの外部生でね。内部生のイメージは多分変わらないと思うよ」

「あ、そうなんだ。って言うと?」

「大人しい、控えめ、聡明。……総じて、大和撫子って云う感じかな」


 私の説明に、大人2人は「ああ」と合点が行った様に頷いた。

 ……『大和撫子』も、その内に差別だって言われて使えなくなるのかな? 嘘でしょ?!


「じゃあ、変わっていないみたいね。それに加えて、1年の今頃だと排他的でしょ?」

「え?!」


 お母さんの言葉に、ミカが反応した。

 私も、『1年の今頃だと』って云う言葉が気になっている。


「私たちも、それには苦しめられたからね。トモミなんか、見るからにクラスで浮いちゃったし」

「「えっ?!」」

「ちょっとミカゲ、娘たちの前でそれはやめてよ」


 口ではそう言いつつも、トモミさんは特に抵抗する気配が無い。

 それはお母さんへの、『教えてあげて』という意思表示なのだろう。


「良いじゃないの。娘たちが同じ様に苦しんでいるんだから」

「んー、まあ」

「懐かしいなあ。クラスの皆との間に壁が出来たトモミと、橋渡しをする私」

「へえ、それでどうなったの?」


 その話に、ミカが静かに食い付いた。

 意外と母親も同じ様な状況だった事が、気になるのかな。

 ……そう云う意味では私も、お母さんと同じ道を歩んでいそうだけれど。


「……色々有って、2学期の中頃にはすっかり仲良くなったわよ」

「スポーツデーが良い切っ掛けだったわよね。トモミ、運動クラブの子たちもぶっちぎっていたし」

「そうだったね。懐かしいわ」


 スポーツデーとは、世間一般で言う体育祭。

 トモミさんがぶっちぎっていた姿は容易に目に浮かぶし、ミカもそうなるのかな。


「結局…………」


 お母さんはそこで言葉を区切って、暫くした後にゆっくりとかぶりを振った。


「ううん、やっぱり今日はここまで。今言っちゃうのは止めておこうか」

「「えええええ!!」」


 私とミカの声が一緒にダイニングに木霊した。


「何でよ!」


 思わず立ち上がった私の頭を立ち上がり切る前にお母さんが抑えて、そのまま座らされた。


「私たちが答えを教えたって、仕方が無いでしょ?」

「そうそう。大いに悩んで色々考えなさい、若人わこうどよ!」


 そう言って肩を竦めたお母さんに、トモミさんが続いた。

 でも何だろう。いつも過保護なお母さんたちにしては、突き放して来る。


「うん、分かった! 頑張ろうね、ユカリ!」


 それでも、ミカの心には刺さったらしい。

 流石はお母さんと言った処なのかな。


「ええ、勿論」


 両手の拳を握ったミカに、笑って返した。


「……まあ、余り深刻になり過ぎない様にね」


 お母さんのその落ち着いた言葉に、私もミカも、静かに視線を逸らす事しか出来なかった。

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