第7話:気に入ってくれたかな。



 6月9日、夜。


 勉強のノルマを済ませてしまった私は、お風呂に入ってパジャマに着替えた後、整えてあったベッドにダイブした。

 バフっと音を立てて、フカフカの掛布団が私を包み込んだ。


 ……良かった、渡せた。




 学校帰りにアヤカたちと4人で駅前のカラオケに寄った私は、心を込めて唄ったバースデーソングを動画に撮った。「ちょっと録って自分で聴いてみたいから」とお願いしたら、それまでは全力で盛り上がっていたアヤカもシオリもカナコも、皆静かに、笑顔で聴いてくれた。

 皆、本当に良い子だよ。私には勿体無い位。


 それからも一頻り唄って騒いだ私たちは、アヤカが「今日、読んでる漫画の発売日だった」と言うのでそのまま数軒隣の本屋に雪崩れ込んだ。

 アヤカはそのまま少年漫画の新刊コーナーに向かったので、私はその奥に行った所のライトノベルコーナーに向かった。

 因みに、カナコとシオリの2人は真っ直ぐにファッション雑誌コーナー。

 その時はただ、『何か面白そうなの無いかな』位の感覚だったけど、沢山並んだ背表紙を見詰めている内に、いつか聞こえて来たユカリとその友達の会話を思い出した。

「ユカリが読んだって言っていた本、何ていうタイトルだっけ」

 思わず独りごちた私は、人を避けながら文芸コーナーに向かい、朧気な記憶を元にその本を探し始めた。

「えっと、確か、なんとかナイト、だったかな。ナイト、ナイト、ナイト……」

 映画になる様な事を言っていた気がするから『話題書コーナー』かも知れないと、天井から吊るされている案内板を頼りに向かってみると、それらしい本が『今秋映画公開』と云うポップと共に平積みで沢山置かれていた。

 ……思っていたよりも分厚い。

 でも私が読んだライトノベルの中にも600ページを超えていた物も有ったのだと気合を入れ直して、平積みから1冊を取り上げてページを捲り始めた。

 ……と、直ぐにどうしようもない程の眠気に襲われ、急いでその本を閉じた。

 何だろう、ライトノベルなら平気なのに、何が違うんだろう……。


 ユカリは、これを読んでどんな気持ちになっているのだろうか。


 何だかとっても悔しく感じた私は、いずれ読める様になってやるとその一冊を確保して、本を物色している人たちを避けながら足早にライトノベルコーナーに戻って、棚差ししてあった1冊を抜き取った。

 ……これなら文体が情緒的で爽やかで、ユカリでも抵抗なく読めるんじゃないかな、って。

 実は一番好きな作品は別に有るのだけれど、それはシリーズ化していて結構な巻数が有るし、ライトノベルに慣れている人では無いと分かりにくいと思われる表現も度々有ったので、それは又、機会が有ったら。

 ……『機会が有ったら』って、何よ、それ。



 もう会計を済ませてしまったのではないかと急いで戻ったけれど、アヤカは未だ新刊コーナーで唸っていた。


「どうしたの、アヤカ? 買わないの?」

「あっ、ミカ。待たせてごめん。……んー、買うのは買うんだけど、一緒に出てたこっちも気になってさ。でも、2冊とも買うと遊べなくなるし……」


 そう言ってアヤカが見せて来たのは、前に読んで気に入っていたライトノベルの、コミカライズ版だった。


「あ、じゃあさ、それは私が買うから、貸しっこして読もうよ」


 私のその提案に、アヤカは「えっ」と声を上げると、

「でもミカ、2冊も持っているし、お金、大丈夫なの?」

と、私の手元と顔を見比べながら訊いてくれた。


「うん、ちょっと用事が有ってお年玉を下ろして来たのが、未だちょっと手元に残っているからさ。……これで良いのね?」


 我ながらちょっとどうなのそれと思う様な理由だけれど、アヤカが遠慮がちながら頷いたので、その漫画を受け取って一緒にレジに向かった。

 その私たちの姿を見たカナコとシオリは、ファッション雑誌コーナーから「二人共、何買うの?!」と目を輝かせながら飛んできた。

 お会計を済ませてお店を出て駅に戻ると、アヤカが後ろからギュッと抱き締めて来た。


「ありがと、ミカ。貸しっこ、約束だよ!」

「ちょ、ちょっと、アヤカ!」


 口では嫌がりながらも、私の表情は、自然に緩んでいた。



 地元の駅の階段を上って地上に出ると、夕陽ももう沈み掛けていた。

 ずっと耳に響いているバースデーソングを口遊みながら、家路を急ぐ。

 ……と、何だかどんどん緊張して来た。

 そう、途中に在るユカリの家が、プレゼントを渡すラストチャンス。

 どうしよう。

 ……何だかその決断が、ユカリとの関係を決定的な物になってしまいそうな気がして、怖いんだ。考える迄も無いな。

 平気な振りをして鼻歌のボリュームを上げても、心臓が一層バクバク言うだけで、逆効果だ。

 ……あ、ユカリの家だ。

 一人で歩くといつも長く感じるのに、こう云う時はあっと言う間。

 時の流れは意地悪だ。

 どうせ同じあっと言う間なら、ユカリと一緒が良いのに……。


「ミカ?!」


 足を止めてユカリの部屋の窓を見上げていた私に、掛けられた声。

 誰の物かは、振り返って確認する迄も無い。

 

「ユカリ……」

 

 私はその名を呼び、声の主に向き直った。

 吃驚したからか、自分で思っていたよりも大きくなって、自分で吃驚した。

 ……あれ、ユカリ、何か怒っている?


「ミカ、今日もクラブ休んでいたでしょ。毎回訊かれるこっちの身にもなってよね」


 ……ああ、その事か。

 アヤカもシオリもカナコも大事な友達だけれど、ユカリに迷惑を掛けちゃダメだな。


「あ、ごめん……。これからはちゃんと行くから……」


 そうは言っても、皆に誘われたらまた行ってしまうのだろうなと云う気持ちが、言葉の歯切れを悪くした。

 ユカリはプレゼントがパンパンに詰まったバッグを私から隠す様に自分の後ろに置くと、鞄の中から1枚の紙を取り出して、私に見せた。

 ……何だろう、これ。


「これ、今日のクラブで配られたプリント。来月の球技大会で写真クラブとして撮影係の仕事が有るから、憶えておいてって」

「あ、ありがと……」


 そうだったんだ。

 ……でも、私に会えるとは限らないのだし、一言メモを書いて教室の机に入れておいてくれれば良かったのに。

 AV教室から戻るのが面倒だったのかな?


「私からの用はこれだけだけど。……あなたは、何でうちを見ていたの?」


 …………ヒッ。

 その言葉に、私の身体が思わずビクッと震えた。

 ユカリ、イライラするのは分かるけど、今の私には、その言葉の棘は鋭すぎるよ。


 …………でも、覚悟は決めるか。

 やらない後悔より、やって後悔!

 倒れる時は前のめりで!

 三河武士の意地、見せてやる!

 …………生まれも育ちも両親も、生粋の尾張人だけれども。


「えっと……、これ……」


 スマートフォンを出して、さっきカラオケで録って来た動画を、メッセージアプリのユカリとのトークルームに送信する。

 バイブでか受信に気付いた様子のユカリが私の方を見て来たので、コクンと頷く。

 ……お願い、観て。


「何、これ?」


 スマートフォンの画面を確認したユカリは、再び顔を上げて私を見た。


「実はさっき、アヤカたちとカラオケに行っていて……」


 私の説明を聞きながら、ユカリは動画をタップして再生した。


「あれ、これ……」


 それは、5年程前、まだ小学生だった時に2人で観ていたアニメの中で使われていた、バースデーソング。

 唄っている時はもっと上手に唄えていた心算だったけれど、こうして聴いてみると、所々音を外していて恥ずかしい。


 ……私が恥辱に耐えながらその様子を見ていると、ユカリは何だか顔をクシャクシャにして私を見た。

 ……あれ、この顔、泣きそうなのを我慢している?

 そう思った途端に心がふっと軽くなって心からニッコリと笑えた私は、

「ハッピーバースデー、ユカリ! これ、今年のプレゼント」

と、机の引き出しの奥深くに眠らせるのを覚悟していた、プレゼントの箱を差し出した。


「後ね……」


 言いながら、鞄からさっき買って来た本屋の袋を取り出す。

 念の為、予めライトノベルだけは別の袋にして貰っていた。


「はい、これも!」

「これは……?」


 素直に受け取ってくれたユカリは、それをまじまじと眺めた。

 無理も無い。

 どこからどう見ても普通の本屋の、何の変哲も無い紙袋に入った本なのだし。


「えっと……、……最近ユカリ、クラスの子たちと本の話をよくしているじゃない?それで、さっきアヤカたちと本屋に寄った時、ユカリの顔を思い出して……」


 私が言うと、ユカリはただ、「ミカ……」とだけ呟いた。


「でも私、普通の本って、良く分からなくて……。だから、前に私が読んで面白かった、……ライトノベル……、なのだけれども……」


 余りの緊張に、説明がしどろもどろになってしまう。


 ユカリは私の説明を聞きながら中の本を取り出して、カバーを見ていた。

 そこには、自転車に腰掛けて物憂げにこちらを見ている子のイラストが描かれている。

 このカバーも、この本に決めたポイントだ。

 よく有る、男子好みの女の子のイラストだけが描いてある物だと、その時点で突き返される可能性も否めなかったから。


「でも、その中でも、ユカリも好きそうなのを選んだから……」


 ……どうかな。

 ユカリは、私の説明を聞きながら、裏面の粗筋に目を通すと、


「……ありがとう、ミカ……」


と色々な感情を押し殺していそうな表情を浮かべながら言った。


「ちょっと、どうしたのよ、ミカ!」

「……え?」

 

 不意のユカリの大声に、自分の顔をペタペタと触ってみた私は、頬の辺りが濡れているのに気付いた。


「……あ」


 ……私、泣いていたの?


「…………へへ、ごめん、今年は渡せないかもと半分諦めていたから…………」


 ……やだ、急に泣き出しちゃうなんて、ユカリの前でも恥ずかしい。

 私は慌てて目元を手の甲でゴシゴシと擦った。


「何よ、泣くほど心配なら、学校で渡せば良いじゃないの」


 そう言ったミカに、私はかぶりを振った。

 そんな事、出来る訳無いじゃない。


「だってユカリには他の友達が出来ているし、私は今こんなだし……」


 言い掛けた私は慌てて、

「と、とにかく、渡せて良かった! ハッピーバースデー、ユカリ!」

と話を打ち切って、クルっと回って、その場から駆け出した。

 何を言おうとしているのよ、私!!




 ……これが、今日の放課後授業後の、私の物語。

 ユカリの好みも欲しい物も全部理解していた去年まではプレゼントで喜んでくれるのは分かっていたけれど、こんなに緊張したのは、これが初めてだった。

 ……今年のプレゼント、ユカリは喜んでくれたかな。


 モゾモゾと布団に潜って袋から取り出したナイトの話の本を捲り始めた私は、1行目も読み終わらない内に、眠りの世界へと誘われてしまった。

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