第2話:ずっと、ミカと一緒に居た。…けれど。


「ミカ、待って下さい!」


 それは必死で追い掛けるけれど、いつも追い付けなかった背中。


「あはははは、ユカリ、遅いですわ!」


 振り返って、楽しそうな笑顔を見せてくれた、ミカ。

 良く遊びに来ていたこの公園は、私たちのお家からは少し離れた所に在る、ミカが見付けてきた公園だった。

 元々外には余り遊びに行かず、行ったとしても近所のよく有る公園で済ませたい様な子供だった私を、ミカは色々と引っ張り回し、本やインターネットでは分からない様な世界を、色々と教えてくれた。



 この公園はちょっとした高台に在るので、街がパノラマで一望出来て、随分と眺めが良い。

 私は独りで本を読みたい時、晴れた日はこの公園に来る。

 因みに私は、本は紙の書籍派だ。

 勿論、ダウンロードやウェブの方が好きと言う人たちも居るのは理解しているし、それを否定する処では無いのだけれども。

 少なくとも私には、紙媒体の方が肌に合っていたと云う事。

 前に一度、試しにスマートフォンで一冊分読んでみた事も有るのだけれど、……何て言うか、物足りなく感じられた。

 画面に映し出されている文字たちは、途端に只の記号の羅列になってしまった様な気がして、網膜を上滑りし、心に入って来る事は無かった。

 寧ろ、その後に本屋さんで同じタイトルを買ってきて読んだ時の方が、ワクワクしたものだった。

 同じ字体でも、紙の上にインクで刷られたそれらは意思を持ち、私の心を物語の世界の中へ引き摺り込んだ。

 矢印をタップしたら機械的に(と言うか、機械その物なのだけれども)次のページが表示されるのよりも、自分の手でページを捲るその感触が気持ちのたかぶりを増幅させた。

 捲ろうとして、途中で或る言葉の意味に気付いてハッと手を止めた時。

 次のページを読んでいて、ふと前のページのあの場所を確認したくなった時。

 決して派手では無いけれども、それらは全て、私にとっては立派なアトラクションだった。

 少し読み疲れた時に、本を開いたまま鼻に当て、匂いを嗅ぐのも好きだ。

 違いが判る女とか気取る心算つもり毛頭もうとう無いし、抑々そもそも印刷所の違いとかは全然判らないのだけれども、本には一冊一冊違った匂いが有る様な気がしている。

 それはとても感覚的な物で、人の共感が得られる類の物では無い事も分かっているので、今まで誰にも、……ミカにさえも言った事は無いけれど。


 ……ミカならきっと、どっちも同じ様に楽しめるのでしょうね。


 ……いや、あの子は抑々そもそも本を読まないか。

 ……ライトノベル? とかなら好きかも知れないな。


 私も読んだ事は無いけれど、一回読んでみようかな……。



 ホッと溜め息を吐いたその時、不意に突風が吹いて、開いたままだった本のカバーが外れ、ババババっと、私の手の中で大暴れをした。

 クシャクシャにされた髪を差し当たって手櫛で整えながら、風に誘われてその行く先に目を移すと、一本の大きな木が立っていた。


「ほら、ユカリ、もう少しです! 頑張って下さい!」


 妙に丁寧な言葉遣いの小さい頃のミカが、貸して貰ったミカのキャミソールとショートパンツを纏って木の幹にくっ付いている私のお尻を押しながら、エールをくれている声が聞こえて来た。


「あともうちょっとなのです! 頑張りますです!」


 ……言葉遣いが妙だったのは私もだから、お相子か。

 ……でも、私は親に丁寧な言葉を使うのを厳しく言われていて私なりに丁寧にしていたら、今思うとおかしな言葉遣いになっていたのだけれど、ミカは、何でだっけ?

 出会ったのは小さい頃過ぎて記憶も朧気だけど、最初は違った様な?


「あと、少し……やった、届きました!」

「やりましたね、ユカリ!」


 私が横に伸びた枝に腰掛けて息を整えながら街を見渡していると、ミカは造作も無くスルスルと登って来て、私の横にくっ付いて座った。


「どうです、ユカリ? 眺めが最高でございましょ?」

「ハイなのです! ミカと一緒に見られて、とってもとっても嬉しいのです!」


 自慢をするでも無く私が登れた事を喜んでくれたミカに、私も心の底からの喜びを伝える。

 その時の私たちは、そのまま風に遊ばれながら、私の門限が許す限り木の上で笑い合った。

 


 ……この公園には、ミカとの思い出が多過ぎる。


 ……嫌では無い。……嫌では無い、……けれども……。


 今の私たちを取り囲む環境が、一緒に居る事を許してはくれないの。

 ……少なくとも、ミカが今のままでは。

 本の世界に居る時はその事を忘れてしまえるけれど、不意に思い出してしまった時、少し、胸が痛い。

 

 私も高校に入って仲良くなった子たちを説得したり関係を切ったりしてしまえば、ミカと一緒に居られなくも無いけど。

 でもそれはきっと、誰の為にもならない。

 その子たちは勿論、私の為にも、何よりも、……ミカの為にさえも。


 だから、お願い。


 へ来て、ミカ……。


 でなければ、私たちは……。



 その時、夕陽に橙に染められた世界に『遠き山に日は落ちて』が響き、午後5時になった事を伝えて来たので、私は駐輪場に行き、自転車に乗って家路を急いだ。


 ……私だって、あの頃より、少しは門限が伸びているんだから。……ほんの少し。

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