第36話 天空のお茶会

 時は少し遡る。エマが星夜の首根っこを捕まえて離れていく。


「私は犬や猫ではありませーん!」

「あまり大声を出すな。うるさいぞ」

「そうしてほしいなら、もっと丁重に扱ってください。って、空飛んでますよ」

「空くらい飛ぶだろ」


 天下から離れたエマは空にプカプカ浮かんでいる。位相空間の全体を見回すに最適な場所。空間の中心の天空に居座る。


「普通の人は空を飛べないってことを理解してください。今さら言っても遅いと思いますが」


 星夜も義兄やエマの無茶には散々付き合わされているので、今さら空を飛んだ所で非常識だとは思わない。ただ、始めての空を飛ぶ経験に驚きや感動はある。


「ずっと飛んでいるのも面倒だ。ここらに足場を作るか」

「……えっ」


 エマは星夜を掴んでいた手を離す。たちまち星夜は自由落下に身を任せる。空を飛べない星夜は何もすることができない。


「えっ……」


 とん、と星夜は目に見えない固い地面に触れる。エマが既に足場を作っていたので、星夜のパラシュートなしのスカイダイビングはお預けにされた。


「足場があるなら先に言ってください。このまま落ちるかと不安になりました。心臓に悪すぎます」

「言っただろ足場を作るって」


 エマの魔法は早い。足場を作る発言をする前に既に足場を作り上げた。星夜を放しても大丈夫だと確信したから、手を放した。エマに星夜を怖がらせる気はなかった。


「あんまり歩き回るなよ。足場は作っても柵はないから、踏み外したら真っ逆さまだぞ」

「ひぃっ」


 たとえ星夜が落ちても即座にエマが引っ張りあげるので怪我することは万に一つもない。

 安全が担保されても、一般人が鎖の繋がったライオンと同じ檻に入ることに恐怖するように星夜だって恐怖する。

 単純に高所なので、高所恐怖症でなくても身がすくむ高さでもある。


「なんで足場が透明なんですか?」

「透明にしないと下が見えないだろ」

「逆に言うと私たちのスカートの中も丸見えですよ」

「ふむ」


 エマは静かに足場に非常に細かい凹凸を作り出す。いわゆるすりガラスの加工だ。

 不透明になって始めて星夜は足場の広さを知る。足場は多少暴れても落ちないくらいに広く、概算で20畳はある。


「意外と広い足場があったのですね」

「そんなの魔法を…………感知できないのか」

「悪かったですね。魔法素人で」

「なら努力することだ。このくらいなら魔法使いなら誰でもできる」


 星夜は知っている。エマや義兄の基準が一般的な魔法使いの基準から大きく逸脱していることを。

 将来できたらいいな、くらいに星夜はエマの話を聞き流す。


「おっ、下は始まったみたいだ」

「……何がなんだか、わかりません。いきなり、町が燃え盛ったかと思ったら、瞬きした後には雪が積もっています」


 エマの魔法の知識はほとんどない。どんな魔法が使われたのかさえ理解できない。また距離が遠く離れているので、詳細が確認できない。

 星夜の視力は日常生活に困らない程度に悪くない。スマホやパソコンを日常で使用しているので、良いとも言えない。よくいるデジタルネイティブだ。


「〈獄炎〉と〈氷獄〉だな。鋏が町を燃やして、天下が消化した。それだけだ」

「それだけって。自分達が何をしているか自覚してください」

「問題ない。ここは位相空間、どれだけ暴れても、現実には一切影響しない」

「そういうことではないのですが……」


 言っても理解されないのだろう、と半分諦める星夜だった。まだまだ一般人の思考が捨てられない。


「さて、ここでずっと立ちながら見るのもいいが、やはりお茶菓子があった方がいいよな。ということで、じゃーん」


 エマはテーブル、イス、テーブルクロス、ティーポット、ティーカップ、やかん、箸、フォーク、茶葉の入った缶、砂糖、塩、醤油、お菓子、お茶菓子、甘味、スイーツ、和菓子、洋菓子、その他諸々を足場に出す。

 取り出したはいいが、乱雑に並んでいるので、どこに何があるかもわからない。わかるのはお菓子の類いが異常に多いことだ。


「エマさん、手当たり次第に持ってきましたね」

「うむ、どれが必要かわからなかったからな」

「何を考えているのですか! しかも勝手に持ってきて、誰が片付けると思っているのですか」


 エマが持ってきたのは時計家のキッチンにあるもの。つまり星夜が管理している場所だ。自分のテリトリーをいいように荒らされて心中穏やかではいられない。


「しかもお菓子ばっかり持ってきて、あなたは子供ですか」

「まあまあ、落ち着いて。一緒にお菓子食べよ」

「家計の財布から買っているんです。あなたに口出しする権利はありません。反省しなさい」

「はっ、はいぃぃぃ。反省してますぅぅぅ」


 星夜のあまりの剣幕に正座で応えるエマであった。手当たり次第に持ってきたのを少し反省する。エマはただお茶会兼女子会をしたかっただけだ。悪気はない。


「反省しているようですね。持ってきたものは仕方ありません。今回はお茶を準備しますが、次はありませんよ」

「わ、わかった。次はもっと綺麗に持ってくる」


 言い聞かせても無駄だと悟った星夜は溜め息を吐いて諦める。天才というのは凡人には理解しがたい存在である。


「やかんはあってもお水もコンロもないじゃないですか。これで一体どうやってお茶を入れろというのですか?」

「まあまあ、水ならあたしが用意できるし、なんならお湯だって一瞬で用意できる」

「わかりました。エマさんはやかんにお湯を注いで、テーブルとイスを準備して待っててください。変に手伝われても邪魔です」


 最低限の指示だけすると星夜は準備に取りかかる。エマに手伝いをさせても余計な手間を増やすだけ。

 天空でお茶を飲む機会なんて今後訪れるとは思えないので、実は乗り気な星夜である。しかし、楽しい気分も長くは続かない。

 エマが持ってきた砂糖は未開封の新品。各種の調味料は容器に小分けして保管している。容器を持ってきてくれていたら、わざわざ新品を開封しなくていいのに、と星夜は主婦目線で嘆く。

 星夜の苦難はまだ終わりではない。ハサミやカッターなどの刃物がないので、袋を開けるのに苦労するのだった。


「紅茶、淹れましたよ」

「おっ、やっとか。待ちわびたぞ」

「誰のせいで苦労したと思っているのですか」


 既にエマは持ってきたお菓子の袋を開封済み。ポテトチップスやチョコレートのジャンクフードからどら焼きやカップケーキの残骸がテーブルに散乱している。

 星夜が苦労しながら準備している間、一人でパーティを開催していた。


「ああ、それとスプーンがなかったので、砂糖はお皿から直接入れてください」


 ティーポット、ティーカップ、ソーサーなどは揃っていたが、スプーンはなかった。砂糖はお皿に山盛り状態。入れるには手で掴むか、お皿を傾けるしかない。


「スプーン? そんなの作ればいいだろ。ほいっ」

「ああ、そうでしたね。あなたたちは足りないものは作るんでしたね」


 エマは魔法がまだ身近ではない。日常生活で活用するには身に染みてない。魔法で補う発想には至らない。

 魔法を有効活用する手立てを思いついていたら、袋を開けるのに苦労もしないし、砂糖をお皿に盛る必要もなかった。ハサミ、ナイフ、容器、どれもエマからすれば作るのに労力はいらない。


「たまにはこうして二人で女子会するのもいいな」

「そうですね。この場所は少し落ち着きませんが、二人でゆっくり話す機会を設けるのも悪くありません」


 席に着いた星夜も紅茶を飲んで和む。天空という場所以外は完全に二人の女子会である。

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