第35話 師弟口論

「先生、一体何をしたんですか? 魔法の威力だけなら、俺を上回っていますよ」


 天下は飛んでくる魔法の数々を避けながら問いかける。鋏の魔法の威力は世界で通用するまで高められている。正確性や早さなどは今一つなので、天下を追い詰めるには至らない。


「はっ、何を研究しているかも忘れたか。散れ〈泥寧〉」

「生物、いや遺伝子でしたか? おっと危ない、防御防御」

「その通り。なら、自ずと答えは見てくるだろう」

「まさか魔法遺伝子を編集したのですか?」


 天下は遺伝子の詳しい仕組みを理解していない。魔法を浴び続けると魔法遺伝子のスイッチが入る程度の認識だ。

 実験をして魔法遺伝子を編集できるかどうかはわからない。


「その通りだよ。遺伝子の組み替えは現代では当たり前。魔法遺伝子を組み替えることも造作はない」

「何をやってるんですか先生! あの時のノイズはそういうことだったんてすね」

「ノイズ?」


 鋏には心当たりがない。遺伝子編集をする前と後で魔法の出力が上がった以外の変化は特に感じていない。


「星夜に魔法を教えた時のことです。あの時俺とも手を繋いでいました。その時先生の魔法に違和感がありました。今思えば、あれは外部からの影響だったんですね」

「さすがは魔界の番人か。そんな些細な魔法で違和感を覚えるか」


 天下だって確信があったわけではない。その時はこんなこともあるかな、と流していたくらいだ。今回の遺伝子編集を聞いて始めてノイズの意味を理解した。


「だが違和感がどうした。遺伝子編集で手に入れた力とは比較にならんだろ。〈混凝土〉」

「マジカルキメラ暴走事件を忘れたとは言わせませんよ。〈超振動〉」

「浅いな、浅いぞ時計天下。マジカルキメラは生物の合成の失敗だ。遺伝子編集とは別分野」


 投げつけられたビルを粉々に破壊しながら天下は憤る。マジカルキメラ暴走事件は魔法史に刻まれた忌々しい事件。

 数多の魔法使いに犠牲者を出し、関係のない一般人も無数に巻き込んだ凄惨な事件だった。


「それにマジカルキメラ暴走事件がなければ魔界の番人に選ばれもしなかったであろう。感謝してもいいのではないか」

「魔界の番人なんて称号、俺には不要ですよ。あって困りはしませんけどね……」


 マジカルキメラ暴走事件によって魔界の番人の一人が亡くなった。既に頭角を表していた天下がマジカルキメラ暴走事件を機に仲間入りを果たした。


「正確にはマジカルキメラの残党狩りの功績が認められて、ですが」

「些細な違いだ。魔界の番人に匹敵する力を持っていたが、機会がなかっただけさ。マジカルキメラ暴走事件が解決した時は具合が悪かったに過ぎん、残党狩りの功績など大人の都合だ。〈硬化〉〈流星〉」


 マジカルキメラ暴走事件の時には天下は魔界の番人としての実力は申し分なかった。選ばれなかったのは、今まで天下のような若者が選ばれた前例がなかったから。

 魔法使いといえど人間、年を取ると頭が固くなるのは同じだ。世論が天下の見方をし、声を抑え込むことができなくなった。

 結果、天下は異例の若さで魔界の番人に選ばれる。


「隕石なんて子供しか喜びませんよ。そっくりそのままお返しします〈切返〉。俺のことはこの際どうでもいいでしょう。先生の話を聞かせてくださいよ。奥さんと娘さんは元気ですか?」


 ビルを突き抜け、地面にクレーターを作る無数の流れ星が空から降ってくる。当たれば大怪我必至の鉱石の塊を天下は空に向かって打ち返す。

 ついでに鋏への質問を投げかける。


「はっ、貴様は何も知らないな。妻とは当の昔に別れている。こんなことも知らないとは、やはり興味がないようだな」


 鋏もいい年である。結婚もしていれば、子供もいる。ただし、離婚してからは娘とは会っていない。


「娘とは離婚したから一度も会っていないさ。どこで暮らしているかも、何をしているかも知らないな」

「親だろ! 娘のことが気にならないのか?」

「はっ、興味ない。復讐のためなら家族などいらない」


 存外根が深い。天下と口論している様子からは鋏の劇場が見えてこない。しかし、鋏の内心はグツグツと煮えたぎったマグマのように復讐心を燃やしている。

 計画遂行のために本心を隠すのが上手くなった。目的のために己を殺して、笑うことは他愛もない。

 日常生活に溶け込む必須のスキルだ。


「そんなだから、奥さんに逃げられたんじゃないですか?」

「子供に何がわかる! 死ね、〈綱手〉」

「おっとっと〈短縮〉。もしかして図星ですか。短期な男はモテませんよ」


 空に現れた四本の手から逃れるべく、天下は空間をショートカットして鋏の背後に移動する。


「後ろか!」

「はい、後ろです。〈鎖手〉」


 天下の周囲に鋼鉄の腕が八本現れる。鋏を捕らえるべく、八本の腕は互いに死角をカバーしながら動き回る。


「ちっ! ちょこまかと、うざったい〈聖剣〉」

「ここに来て始めて焦りましたね。そんなに背後を取られるのが意外でしたか?」


 鋏は最初に姿をくらませてから、ずっと居場所を悟られないように慎重に行動していた。

 常に複数の位置から同時に魔法を発動させることで撹乱していた。一度魔法を使えば居場所を特定されるので、魔法の使用直後には居場所を放棄する徹底具合。


「所詮この町は位相空間に作られた仮初め。そこまで広くありませんし、戦闘を続けたことで町は破壊され、隠れられる場所も減っています。ここまで狭くなれば、探知するのも余裕です」

「だとしても、魔法使いとして常軌を逸しているのに変わりない」


 砂漠に落ちた一枚のコインを探せと言われたら天下もお手上げだ。しかし、プールに落ちた指輪を探すくらいなら、根気と工夫でどうとでもなる。

 あくまで魔法の扱いに長けた天下だからこなせる芸当。遺伝子編集で出力だけ上げた即席パワーアップの鋏には不可能な芸当だ。


「くぅ」

「捕まりましたね、先生」


 鋏は天下によって作られた八本の腕のうち四本を〈聖剣〉魔法で断ち切ったが、残りからは逃げることができずに捕らえられる。


「先生、降参しますか?」

「これしきのことで諦めるほど、覚悟は甘くない。ここから抜け出せないとでも思っているのか。だとしたら、傲慢だぞ」

「〈縛手〉〈巻糸〉〈纏岩石〉」


 何かを企んでいる鋏の行動を封じるべく、天下は更なる拘束を追加する。一つでは弱いので、三つ追加する。念には念を入れた徹底ぶり。


「遅い、〈生命炸裂〉」

「っ!」


 鋏を中心に火、水、風、土、雷、光、闇、などのあらゆる魔法が吹き荒れて、天下の拘束を容易く破壊する。

 〈生命炸裂〉魔法は留まることを知らず、天下も巻き込まれる。防御魔法を駆使して身を守るが、〈生命炸裂〉魔法は聞いたことがない鋏のオリジナル魔法。

 鋏のオリジナルなので有効な手立てが見つからない。さらに悪いことに各種の魔法を無数に発動しているので、魔法同士が互いに干渉し新たな魔法に発展している。

 火に風が吹けば火力が増し、岩と水が混じりあってコンクリートのようになったり、水が冷やされれば氷に、水と土の泥寧は嵐で吹き飛ばされたり、様々な変化を起こしている。木は燃え、地面は抉れ、ビルは破壊される。

 先の読めない魔法に天下といえど全てを防御するのは叶わない。


「がはっ!」


 〈生命炸裂〉魔法から逃れられなかった天下は吹き飛ばされ、マンションの壁を突き破る。室内で何度か弾み最終的にシンクに引っかかる。

 全身打撲しているが動きには支障ない。


「できすぎだろ。飛ばされて、マンションのシンクに来る。正に天下の台所だな。……………………寒っ」


 誰かが仕組んだとしか思えない展開に天下は意図を感じる。しかし、天下は計算していないし、鋏もわざわざ狙う必要がない。

 仕込みができるエマは空の上で紅茶とお菓子を片手に高みの見物中。干渉する気は微塵もない。

 寒いギャグについては問答無用で天下の責任である。


「っーか驚いた、先生にあんな隠し芸があるとは」


 〈生命炸裂〉魔法。脅威ではあるが、天下には隠し芸以上の面白味はない。鋏の実力は遺伝子編集による、即席の強化。威力は上がっても、繊細なコントロール能力が追い付いてない。

 天下には身近に力業の権化がいるので、力業の対処法は重々承知している。だからこそ隠し芸止まりなのだ。


「さて、休憩も終わりかな。ゆっくりしてると、また、なんかされそうだ。やっぱ魔物も人間じゃ全然戦法が違うよな」


 異世界の魔物はわかりやすい。能力を活かす方向で戦うのに対し、人間は知恵がある。相手の裏をかいたり、思いもよらぬ戦法で仕掛けてくる。


「反撃開始と行きますか」


 体制を立て直した天下は勢いよく台所から飛び出す。向かう先は恩師、鋏神の居場所だ。

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