第33話 なんでここに先生がいるのですか?

「なんでここに先生がいるのですか?」


 何かあっても即座に対応できるように警戒は怠らず、天下は端的に問いかける。

 見知った相手でも、無断でプライベート空間に侵入している。何かしらの理由があると考えるのが普通だ。

 いい理由か悪い理由か判断できるまでは油断できない。


「少しは自分で考えたらどうだい? 首から上に着いているものは飾りではなかろう」

「考えるより、本人に聞いた方が早いでしょ。それに推測だと間違いがあるかも知れません。本人に聞くのが一番です」


 本人が真実を話すとは限らないが、天下はそこまで考えが至らない。


「なるほど、理解した。ならば答えよう。君を倒しに来た」

「ん?」


 天下は鋏が言っていることが理解できない。倒すとはどういう意味なのか見当もつかない。


「言ってる意味がわかりません」

「そうか、君にとって鋏神という存在はとるに足らないのだろう。はるか昔に魔法をほんの少し教えられただけの存在。気にかける方が間違っている」

「そんなことはありません。俺は先生に感謝しています」

「どの口がほざく! 今の今まで連絡ひとつ寄越さなかった君が感謝しているだと、笑わせる」


 今の時代、連絡する手段はいくらでもある。相手が目上の存在なら、年賀状やお中元で感謝を伝えることもできる。

 天下は鋏と別れてから今までメールや手紙の類いはひとつも寄越していない。これでは感謝しているかはわからないのも無理はない。


「それは……そうですね。確かに連絡の一つもしていませんでした。申し訳ありません」

「謝ったからなんになる。今さら謝られても怒りは消えない」

「怒り、ですか?」

「ああ、そうさ。教え子に簡単に抜かされる屈辱を君は知っているか? 苦労して覚えた魔法を容易く習得される苦痛を知っているか? 教えてもいないことをされる驚愕を知っているか? 自分にできないことをあっさり達成されるいたたまれさを知っているか? どれも君は知らないだろう」

「要は嫉妬ですよね?」


 黙って成り行きに任せていた星夜が口を挟む。

 鋏の原動力は嫉妬だ。幼い子供に負けた悔しさをバネに実力を高めてきた。そして今の状況に至る。


「ああ、そうさ、嫉妬だ。時計天下に嫉妬している。過去の屈辱を晴らすために、位相空間にわざわざやって来たのさ」

「大の大人が見苦しい。嫉妬をもっと別のことに使っていたら違った道に進めていたでしょうに」

「君に何がわかる。この間までまともに魔法を使えなかった君が」


 星夜と違って鋏は魔法の研鑽を積んでいた。長らく努力し、子供に魔法を教えられる実力も手にした。信用と信頼と実績を手にしていた。

 そんな自信満々な鋏を打ち砕いたのは年齢一桁の少年少女。大人でも習得に苦労する魔法をあっさり習得し、使えるものが稀少な魔法でさえ容易く習得する。

 自信は打ち砕かれ、大きかった自信は大きな屈辱となる。


「私が何も思わなかったとでもお思いですか? 全てを与えられるだけで、何もできることがない私が何も思わずのうのうと生きているとでも?」


 星夜は事故で家族を失った。魔法の実験台にされ人を信頼する心を失った。

 時計家に引き取られても星夜にしかできないことはない。わざわざ星夜を引き取ったメリットは時計家と天下にはない。


「貰うばかりで、何かをしてあげられない自分に心が苦しまないとでも思っているのですか!」

「黙れ! 君の話とは別問題だ」

「いいえ、同じです。私は劣等感を、あなたは嫉妬を感じた。違いなんてありません」


 星夜も鋏もマイナスな感情を抱いた。両者の違いは感情の名前くらいで、根本的には同一のジャンルに括られる。


「あなたは義兄さんと対峙することが怖くて逃げた。私は何かできないかと模索した。過去は変えられない、なら少しでもいい方向に進むように舵を取る」


 星夜は劣等感をプラスに変換した。何か恩返しができないかと料理を覚えたり、サポートすることに徹した。

 対して鋏は嫉妬を膨らませることしかせず、復讐に燃えている。

 嫉妬も劣等感も使い方次第では大きな力になる。ただ、道を間違えたらどこに行き着くかわからなくなる。


「逃げてなどいない。だから、こうして舞い戻ってきた。時計天下を叩きのめすために」

「……先生、どうしてーー」

「ーーあたし、推参っ!」


 何かを言おうとした天下を遮ってエマが位相空間に突如として現れる。


「エマっ、いきなりなんだ!?」


 天下はタイミングを見計らったかのような登場に驚く。エマの実力なら、天下に悟られずに位相空間に侵入するのは朝飯前。そこには驚く要素はない。


「話は聞かせてもらった。鋏神は復讐に燃えている。なら、思う存分に戦うのが一番だ」


 エマが考えているのは少年漫画の喧嘩のシーン。男同士で喧嘩した後、仲直りして仲が深まるシーンを思い浮かべている。


「天下も強くなるための修行中の身。強い相手との戦いは歓迎だろ」

「構いませんよ。どの道、時計天下をぶちのめすために来たのですから。多少のお膳立てくらいお付き合いします」

「……はぁ、わかりました。どうせ異議申し立てしたところで却下されるんでしょ。話し合いでの解決は無理そうなので、俺の意見は後回しだ」


 エマに押しきられる形で天下は了承する。なんだかんだで天下はエマに甘い。それにエマが一度決めたことを覆さないことを知っている。抵抗は時間の浪費だ。


「よろしい。では、こんな殺風景な場所で戦ってもつまらない。バトルフィールドは整えないとな」


 エマは左手を地面に着ける。

 直後、壁がずずず、と高速で離れていき、殺風景な世界が広がる。次に地面が整えられ、ツルツルの床から砂利が現れたり、アスファルトで舗装された地面に早変わりする。

 変化はそれだけに留まらず、遠くの地面からは木々がニョキニョキ生え始めて森を作り、さらに遠くではビルがニョキニョキ生えて都市を形成する。

 天下の魔法に干渉したエマが改変を施し、あっという間に一つ都市が出来上がる。


「うむ、上出来だ。全力で戦うには、やっぱりこのくらいの広さがないとな」

「また、腕を上げたか」

「……これが世界最強の魔法。改めて見ると、やはりおかしい」

「はぁ、なんでこの人はこんなに派手なのが好きなのでしょうか」


 エマの魔法に三者三様の反応が返ってくる。

 見慣れている天下は冷静に分析し、鋏は最強という意味を改めて認識する。星夜は感性の違いを自覚する。


「では、あたしは遠くで見守ってるぞ。負けるなよ、天下」

「当たり前だ。意味も意義もわからん戦いが始まるが、負けねぇよ。後、星夜を頼んだ」

「任せておけ。傷ひとつ負わせない。むしろ、マッサージして綺麗にして返そう」

「私に何をするつもりですか? 変なことしないでください。それと、義兄さん気をつけて。嫉妬に狂った見苦しい大人は何をするか分かりません」


 エマは星夜の首根っこを捕まえて遠くに離れていく。「私は犬や猫ではありませーん」という星夜の悲鳴が聞こえたが、天下にはどうしようもなかった。


「こんなはずじゃなかったんだけどな」

「その気持ちには同意する」


 天下はただ星夜の魔法の成果を確認するだけだった。どうして恩師と戦うことになるのか不思議でならない。

 対して、鋏も復讐に来たのにお膳立てをされてしまった。予定ではもっとスマートに復習を完遂するつもりだった。


「はぁ」

「はぁ」


 天下と鋏は同じタイミングで溜め息を吐くのであった。

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