第29話 先生との再開

「本日はお招き感謝するよ、天下君」

「こちらこそ、遠路はるばるお越しいただきましてありがとうございます」


 週末の昼過ぎ。

 天下の自宅マンションには以前、話題に上がった天下の子供の頃の魔法の先生が来訪していた。

 高級な紺のスーツを身にまとい、銀縁の眼鏡をかけている。怜悧な印象を与えるが、見た目は若々しく、二十代に見えるが実年齢は40を越えている。

 調べるとすぐに所在は明かになり、連絡を取ってみたらすぐに返答があり、こうして現在天下のマンションで再開の運びとなった。


「元気そうで何より。そうだ、これをどうぞ、つまらないのだが」

「お土産だ、やった。何かな何かな。おっ、お菓子だ!」


 粗品を受け取ったのは何故かエマ。

 エマも先生との旧交を暖めるために天下の自宅に呼ばれている。


「エマメリア君も変わらないみたいだね」

「むしろ変わらなさすぎでこっちが困ってます。少しは成長して欲しいですよ、幼馴染みとしては」

「ははっ、天下君は相変わらずエマメリア君に振り回されているようだね」


 一行はリビングに移動する。

 星夜が人数分のお茶とお茶菓子を用意して、お客様を迎え入れる準備が完了する。


「こちらが、噂の君の義妹さんかい?」

「噂? 噂かどうかは知りませんが、義妹の星夜です。挨拶を」

「はじめまして、時計天下の義妹、星夜です。以後、お見知りおきをお願いいたします」

「こちらこそ、ご丁寧な挨拶痛み入る。鋏(はさみ)神(じん)と申します。現在は大学で教授をしています」


 簡単な挨拶を済ませている間、エマは鋏が持ってきたお茶菓子を開けて「お菓子うめー」と舌鼓を打っていた。


「本当にエマメリア君は変わっていないな。人の話を聞いてない」

「エマさんって昔からマイペースだったのですか?」

「そうだよ。人の話は聞かないのに、魔法の腕前は超一流。教えてもないことを、さも当然にやってのける。教え甲斐のない子供だよ」

「皆して見つめてくれるな、照れるじゃないか」


 期せずして注目を集めたエマは多少は照れるもののそれだけ。新たなお菓子に手を伸ばして胃袋を満足させる方が余程重要である。


「天下君も教え甲斐はなかったが」

「いやいや、エマに比べたら俺なんて普通ですよ。ちょっとばかし努力が過剰だったのは認めますが」

「努力の一言で片付けられれないんだが、天下君も十分規格外だったよ。だからこそ、今の地位に着いているのだろ」


 魔界の番人の地位を戴くには努力だけでは到底叶わない。生まれや育ちの、いわゆる先天的な環境が占める割合は大きい。才能だけで着ける地位ではない。


「義兄さんもやっぱり子供の頃から抜きん出ていたのですか?」

「そうだね。この二人に関しては指導する前から非凡な才能を発揮していたよ。何人かに魔法の指導をしたことがあるが、彼らほど優秀な生徒は後にも先にもいないな」


 天下は自分の魔法の能力を普通だと認識しているが、業界の中でも天才と呼んで差し支えない実力を幼い頃から発揮していた。

 物心つく前から魔法が使えるのは決して普通ではない。使えたとしても魔法らしき現象を発生させるに留まる。

 はっきりと魔法と認識できるように発動できるのは一握りの天才。ほとんどはかろうじて分かるレベル。

 天下とエマには同世代の魔法使いとの交流がほとんどなかったので、他の人の実力を正確に把握できていない。

 エマが規格外だと理解しても、普通のレベルがどの程度なのかはさっぱり理解していないのが実情だ。


「義兄さんとエマさんの子供の頃の話をもっと聞きたいのですが、大丈夫でしょうか」


 星夜が控えめな態度で申し出る。本来は三人で旧交を暖める場面、関係ない星夜が邪魔するには憚られた。


「時間はたっぶりあるさ。思い出話に花を咲かせるのも悪くない」


 鋏は眼鏡の位置を直して、過去に思いを馳せる。


「彼らも子供の頃は年相応な一面も見せてくれた。魔法の勉強の息抜きに、三人でおままごとをしたことがある。おままごと事態は何てことない、普通の内容だったが……」

「おー、そうかあたしも昔は子供だったんだな。全然記憶にないな!」

「威張って言うことか!? うっすらとそんな記憶がないでもないが」


 子供の頃の記憶なんて印象がなければ覚えてなくても仕方ない。鋏と出会ったのは幼稚園の頃、思い出せなくても仕方ない。


「おままごとの最中にエマメリア君がお腹が空いたと言い出してな、土で作った食事を食べ始めた。いきなり土を貪り食うエマメリア君を見て肝が冷えたよ、あの時は」

「エマさんは昔から食い意地が張っていたのですね」

「そんなことあったか? 土を食べたら覚えていても不思議じゃないのに」


 土を食べた当人に該当する記憶は思い出せない。エマにとっては土を食べることは特に強烈なことではない。


「結論から言うと、エマメリア君は土に魔法を使って食べられるように組成を改変していた。こうして、エマメリア君は魔法の練習がてら満腹感を得ていた」

「あー、あったなそんなこと。子供の頃はとにかくお腹が空いたら、手当たり次第に魔法で食べ物を作ってたな。最初は食べられるだけで満足してたけど、途中から味も追求するようになって難易度が上がったんだ。ほれ」


 過去のことを思い出したエマはついでとばかりに空気からクッキーを作り出す。子供の頃より魔法の実力が極まっているので、お菓子を作るのは朝飯前だ。


「うむ、少し味気ないな。これなら星夜のお菓子の方が美味い」


 地産地消。エマは自ら生み出したクッキーを頬張る。

 残念なのはエマに料理のセンスがないので、お菓子を作り出しても味が微妙なのだ。お店で買うか、星夜の手作りで満足しているのでお菓子を作る魔法は久しく使用していない。


「土を食べる少女。本当にエマさんは子供の頃から規格外だったんですね」

「何を言うか。土を食べるレストランがあるのを知っているぞ。土を食べるのはおかしくない」

「土を提供するレストランと一緒にしないでください。土を高温で殺菌したり、濾してエキスを抽出するなど時間がかかっているんです。エマさんの規格外魔法とは思想が違います」


 普通に土を食べたらお腹を壊す。ちゃんと処理をしないと寄生虫などの問題もあるので絶対に土は食べてはいけない。


「……ははっ……」

「土談義はそれくらいにしような。先生も困惑してるぞ」


 星夜は居心地が悪そうに視線を逸らすが、エマは特段気にしていない。灯火エマメリアの肝は据わっている。


「天下君は今だに先生と呼んでくれるのか。指導していたのは当の昔だと言うのに」

「先生は先生ですから」

「……そうか」


 鋏は静かに無感情で頷く。

 天下にしてみれば、魔法を教えてもらったことに変わりはない。いつまでも先生は先生である。


「先生は今も生物を研究しているのですか?」

「ああ、いや、今は生物とは少し違うな。今のメインの研究は遺伝子さ。どの遺伝子がどんな役割を持っているかのか調べたり、遺伝子編集で新しい生命を模索してあるよ。天下君は興味あるかい?」

「すみません、そっち方面は全然興味ないです」


 天下の興味は強くなること。最強の幼馴染みの横に立つことに一番興味を抱いている。生物だとか科学には興味はない。

 詳しい内容は分からずとも、先生の現状を知れて満足な天下だった。


「そうだ、先生にお願いがあるんだった」

「お願い? 魔法界トップクラスの実力者からのお願いなんて気が引けるな」

「そんなに身構えないでください。難しいことではありませんので」


 魔法の実力も地位も財力も現在では天下が鋏を上回っている。

 平社員が社長からお願いがあると言われて緊張しない方がおかしい。鋏が身構えるのも仕方がないことだ。


「星夜に魔法の指導をして欲しいのです」

「星夜君にかい? 君たちがいるではないか、今さら教師面する気はないのだが……」

「いえ、どうにも俺たちは魔法を教えることには向いていないみたいです。ですから先生のお力をお借りできれば、と思いまして」

「そういうことなら構わないが。あたり期待しないでくれよ。魔法の指導から離れて長いからな」


 鋏は大学で教職をしているが、魔法とは無縁の授業を受け持っている。魔法の研究は個人的に進めているが、指導者としては一線を引いている。


「どこまで、期待に添えるかは分からないが、かつての教え子からのお願いだ。全力を尽くそう」

「先生、ありがとうございます」

「私のために時間を割いて頂きまして、ありがとうございます。厚くお礼申し上げます」

「魔法は使えて損はないからな。ちゃんと励むんだぞ、星夜。あと、お茶とお菓子お代わり」


 内心ビビっていることをおくびにも出さず、鋏は承る。あの魔界の番人の時計天下がわざわざ義妹にした存在。鬼が出るか蛇が出るか、鋏は恐々とするのであった。

 実際には星夜の魔法の実力は測定する以前の問題。まとも魔法を使えないので、実力があるかは不明。

 実力を見込んで義妹に迎えたのではなく、星夜が天下の服を掴んで離さなかったのが直接の原因。

 星夜が時計家にいるのは星夜が自ら掴み取った結果。

 しばしの間、鋏の誤解は続くのであった。

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