第23話 世界を越える叱咤激励

 スカーレットカウの一撃で吹っ飛ばされ、絶賛気絶中の天下は夢の中で最強の幼馴染みであるエマと対峙していた。


「おお、なんてこと。牛にやられるとはみっともない。修行が足りないぞ」

「うるせえ、修行が足りないから異世界まで来てんだろ」


 スカーレットカウがいくら格上とはいえ、天下が一撃でやられたのは油断としか言いようがない。

 慎重に立ち回れば、負けることはなかった。攻撃を捌くくらいは問題ない。ひとえに瞬時に戦闘体制に切り替えられなかった天下の落ち度である。


「つーか、見てたのかよ? それなら今はどんな状況だ」

「天下が吹っ飛ばされて気絶している。お供の女の子はすぐに身を隠したみたいだから、あたしの方で天下と女の子の気配を牛さんから隠している状態ね」

「それなら一安心だな。面倒をかける」

「全くよ。こっちは歴史の授業中だってのに、世界を越えて声を届けて、二人の気配を牛さんから隠すなんて芸当、疲れで顔が強張ってる。なんだか綺羅理に訝しげな視線を向けられてる。あんまり長引くとあたしの沽券に関わるわ」


 授業そっちのけで天下を観察していたエマはいきなり牛に吹っ飛ばされる光景に度肝を抜かれた。

 観察に留めるつもりが咄嗟に干渉していた。授業を受けて、観察して、世界を越えて念話を届けて、二人の隠蔽、複数のことが重なりすぎて表情を取り繕うのが難しくなっている。


「あたしは別にどうとでもなるけど、どうするの? 見た感じ天下より強そうだけど、牛さん」

「そうだな、ファセットと二人でやれば、いけるだろ」

「ファセット? 女の子のこと? うーん、どうかしら、見た感じそこまで強いとは思えない。焼け石に水な気がする」


 エマは感覚で生きている。具体的な強さを理論立てて説明できないが、天下はエマの見立てを尊重する。

 エマが無理だと言うのなら、十中八九無理なのだろう。


「そんなことより、あたしを呼びなさいよ。牛さんなんて一瞬で片をつけてあげる」

「ダメだ。これは俺の修行だ。エマに頼っていたら意味ない。何より、エマは学生だろ、授業を抜け出すなんてさせられるか」

「ぶーぶー、天下も学生のくせに、サボってるじゃない。自分は棚に上げて説教なんてせーこーいー」

「うるせぇ、少なくともエマよりは成績いいわ!」


 天下とエマの成績は五十歩百歩。取り立てて誇れるような成績でもない。

 ちなみに天下、エマ、矗、綺羅理のグループの中では、エマが最下位で次点が天下。一番賢いのが綺羅理になる。

 天下は勉強ができるような振る舞いをしているが、あくまで見た目だけ。中身は相当ポンコツだったりする。

 つい最近も新しいペットを衝動買い(飼い)している。後先考える能力やリスク計算する能力は低い。


「あたしに頼らないなら、どうするの? 女の子……じゃなくてファセットちゃんは役立たずよ。一旦逃げ帰る?」

「バカ言ってんじゃねぇ、俺はここに修行に来たんだ。なら、やるべきことはひとつだろ」

「何?」

「今ここで強くなる!」


 天下の作戦は単純だ。弱くて勝てないなら、勝てるまで強くなればいい。

 少年漫画の主人公が、敵に負けて修行するように、天下も修行する。ただ、敵を目の前にしながら行うという暴挙以外は妥当である。


「あのね天下、人は短時間では強くなれないのよ。天下と牛さんの実力が互角なら、なんとかなるかもしれない。実際は牛さんは格上。佐々木小次郎と塚原卜伝くらい実力が離れているわ」

「その例えは全くわからん!」


 歴史の授業を受けているがの例え。だが、理解の足しにならない例えである。

 佐々木小次郎は物干し竿を使ったことでも有名な剣豪。燕返しという、打ち下ろした太刀を反転させて、斜めに切り上げる剣法でも知られている。

 塚原卜伝は真剣試合19回、戦37回を全て無傷で勝利したエピソードの持ち主。技を伝授したラインナップも豪華で室町幕府将軍の足利義輝、武田軍軍師の山本勘助、今川家の今川氏真などを指導した経歴を持つ。


「案外なんとかなるさ。わざわざ異世界を修行の地に定めたのは酔狂じゃないんだよ」

「ほうほう、何か策があるのだな。具体的に何をする?」

「具体的な話をする前に、この異世界アウスビドンと地球の違いを話さないといけない」


 地球人の天下が魔法を使えるのに対し、異世界アウスビドンの住人は魔術を使う。この違いをまず認識しないと話は進まない。


「まず、前提として異世界アウスビドンの空気中には魔力が漂っている」

「まりょく?」

「魔力というのは一言で説明すると魔術の源だ。魔術を発動させるには、魔力に指令を出して、指示通りに魔力が変換されてから発動する。対して地球の魔法は、体内のエネルギーを変換して発動する」


 アウスビドンの魔術のエネルギーの源は魔力である。

 地球の魔法の源は人間が溜め込んだエネルギー。

 魔術は魔力に指示を出す手間がかかる分、発動までの時間が少しかかる。代わりに体内のエネルギーを使わないので、疲労が少ない。

 逆に魔法は直接体内のエネルギーを変換するので、発動までの時間が短い。ただし体内のエネルギーを消費するので、疲労も激しい。

 魔術には魔力の、魔法には魔法の長所と短所がある。


「へぇ、魔法と魔術ね。それはわかった。あっ、もしかして、天下は魔術を使おうとしているの? それなら消耗を気にせず戦えそうね」

「いや違う。というか地球人が魔術を使うのは難しい、いっそ不可能かもしれない。地球人は魔力と触れ合う経験がないから、魔力に指示を出す機能が備わっていない。どう頑張っても魔力に働いてもらうのは無理だ」


 地球には魔力が存在しないため、魔力を扱う機能がない。

 魔法を介して魔力を操る方法なら可能性はあるが、一から言語を作るようなもの。魔力を解析して、魔法を組み立てる必要がある。今から組み立ててもすぐには使えない。

 魔力を解析するにしてもスパコンを使って年単位の時間がかかる。解析した膨大なデータから有効な情報を組み立てるのも一人では不可能。

 結論として、地球人が魔力を扱えるようになるより、天下が成人する方が早い。今すぐ使えるようにするのは不可能。

 たとえ使えたとしても、効率がいいかは別問題。必ずしも強くなれる保証はない。


「魔力が使えないなら、どうして魔力の話をしたのよ。あたしの声が恋しかったの?」

「たった数日で恋しくなるか。俺たちが魔力を扱うのは無理でも、魔力の恩恵は受けれるのさ。魔力ってのは俺たちにとって魔法のようなもの。つまり、地球人が異世界アウスビドンにいるだけで、常に魔法を浴び続けているも同じなんだ」

「……ん? それが何?」


 ピンと来ないエマ。天下が何を言いたいのかひとつも理解していない。


「つまり、魔法遺伝子のスイッチが入るのさ」

「魔法遺伝子って何?」

「はぁ、これだから生まれ持っての天才は……」


 天下は久しぶりにエマが通常の魔法使いと一線を画していることを実感する。一流の魔法使いなら誰もが考えるのが魔法遺伝子。

 魔法使いにとって切っても切れない存在。なくてはならない存在である。


「魔法遺伝子ってのは、人類のDNAに組み込まれている魔法を使うための遺伝子だ。組み込まれていても大半はスイッチがオフになっているから魔法は使えない。一部の人類はスイッチがオンになっているから、魔法を使えてる。つまり、魔法遺伝子のスイッチがオンの人を魔法使いと呼ぶ」


 地球人、いや地球の生物ならもれなくDNAに組み込まれている遺伝子情報。

 魔法の発動に大きく関わるから、名前も魔法遺伝子と直球の名付けがされている。


「魔法遺伝子のスイッチをオンになっている数が多いと魔法が強くなる」

「そうなんだ。じゃあスイッチをオンにしたらいいじゃん」

「簡単に言ってくれるな。でも正しい、少しでもスイッチをオンにしようと魔法使いは試行錯誤を繰り返している」


 魔法遺伝子のスイッチがオンになっている数が魔法使いとしての強さに直結する。なので世界中の魔法使いは魔法遺伝子に躍起になる。ただし最強を除く。


「それで、結局どうやったらスイッチがオンになるの?」

「簡単さ、魔法を使うか魔法を浴びるかだ」


 魔法に触れることで魔法遺伝子が刺激される。極々低確率で魔法遺伝子のスイッチがオンになる。環境によって後天的にスイッチがオンになる。

 そして遺伝子なので、当然遺伝する。長く続く魔法使いの家系が強くなる理由でもある。

 ちなみに全細胞の中で魔法遺伝子のスイッチがオンになっている割合は大体1%~2%である。

 才能がなければ1%に近く、才能があれば2%に近い。天下はもちろん後者である。


「魔力は魔法と同じ。つまり、異世界アウスビドンにいるだけで魔法遺伝子のスイッチがオンになる確率が上がる」

「なるほど、滞在するだけで強くなる。なんて楽な修行なの」

「楽かもしれないが、諸刃の剣だぞ。俺たちの体は魔力とは無縁だから、慣れてない。魔力を浴び続けることで、魔法遺伝子は刺激される。だが、常に魔法を浴び続けていると体に負荷がかかる。体が耐えられなくなったらおしまいだ」


 ストレスを受け続けたら心身に異常が起こるように、魔力を浴び続けると体が耐えられない。

 特にドンケルハイト大陸は魔力が濃い。強力な魔法を浴び続けているに等しい。魔法遺伝子が損傷したり、変異する可能性がある。最悪の場合、暴走する可能性も捨てきれない。


「異世界アウスビドンに来て間もないが、かなり魔法遺伝子が刺激されてる。かなりの数のスイッチが切り替わっているのは間違いない。魔法の使い勝手が大きく変わってる。そのせいで、牛に遅れも取ったしな」


 普段から最強の幼馴染みを相手取っている天下がスカーレットカウに吹き飛ばされたのは、魔法の使い勝手が変わっていたことが大きい。

 思った以上に出力が発揮されそうになり、一瞬躊躇してしまった。躊躇は隙になり、スカーレットカウには絶好の機会となる。


「強くなってるのは間違いない。魔法を上手く使えさえすれば、勝機はある」

「ふーん、そっか。じゃあ、あたしは見守ってるね。安心して、死んでさえいなければ、あたしが治してあげる」

「はっ、そりゃ頼もしい。世話にはならんがな」


 エマの暴力的な魔法なら、たとえ体が吹き飛んでも脳と心臓さえ無事なら、生き返らせることに問題ない。


「あら、ファセットちゃんが何かしようとしてるわね。もしかして、天下を起こそうとしてるのかしら。そんなことしなくても、あたしが起こすのに」

「そうか、ファセットに迷惑かけるのも忍びない。スカーレットカウを討伐しましょうか。スカーレットカウの肉は絶品だそうだ、だから今夜は焼き肉パーティーに決まり」

「それは楽しみね。星世にはあたしから連絡しといてあげる。ちゃんと美味しい部位を持って帰ってくるのよ」


 残念なことにファセット・ミコレットの一世一代のミッションは失敗が決まった。

 ファセットが起こすまでもなく、天下は起こされる。

 スカーレットカウから守られているのも、天下を起こす行為が無駄なのも、ファセットはまだ知らない。


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