case2 美人博士と雇われの男

case2-1 天才少女と北方の青年

 彼女は天才だった。その銀髪の少女は麒麟児と称されるほどの天才で、その噂は瞬く間に広がって、わずか8歳にして、中央都市の最高学府に飛び級で入学する。


 しかし、そこは地獄だった。地獄の椅子取りゲームだった。権謀術数で、他人を蹴落とすことばかりを考えている、くだらない伏魔殿だった。ただただ純粋に学ぶことが大好きだった幼い少女には過酷すぎる環境だった。


 だが、地獄の中にも仏はいる。


 仏の名前はアンデシュ・グスタフソン。ツンケンとして精一杯の背伸びをしてマウント合戦を繰り広げている学友の中、長身を猫背にした、赤茶けたウエーブの長髪の彼だけが、ただひとり、彼女に優しかった。

 共同作業は楽しかった。アンデシュ・グスタフソンは、おだやかで優しかった。

 そしてじっくりと考えて、遅くに決断する人間だった。そしてその決断は必ず最適の回答だった。


 今でも思い出す。彼は考え事を始めると、ブツブツと独り言を呟きながら、部屋の中を歩き回る。ふたりにあてがわれた研究室は、とてもとても小さい研究室だったから、彼は必然的に彼女の周りをぐるぐると回ることになる。


 彼女は考え事をしている彼の横顔が好きだった。二回生になったときからかけはじめたメガネに手を当てて、その姿をうっとりとながめる。

 狭い研究室に西日が差し込めると、彼の赤茶けたウェーブの髪を黄金色に輝かせた。


 綺麗だった。


 彼の魅力を理解できるのは、きっと、世界中でわたしひとりだ。

 わたしはきっと、この人と結婚するんだ。そんな予感がした。でも明らかに異性に対して奥手そうな彼からは、とうてい告白されることはなさそうだった。

 だから彼女は、彼に告白しようと決心した。彼と一緒に博士号を獲得したときに自分から「つきあってください!」と、告白しようと決心した。結婚にはまだ早いけどお付き合いくらいなら……そう淡い淡い恋心をさざなみの如くゆらしていた。


 だが、告白は叶わなかった。


 彼女が博士号を獲得した時、彼はふらりとどこかに消えてしまったからだ。

 そのとき彼女は13歳。スラリとした長身で、そしてとても豊かな胸が育っていた。


 胸が豊かに育っていくにつれて、彼女のメンタルはみるみると強靭になっていった。その心の臓を、豊かな乳房が守るかの如く、柔よく剛を制す、おだなかな交渉術ネゴシートを身につけていった。

 彼がいなくても自分一人で、この権謀術数が飛び交う伏魔殿の椅子取りゲームを生き残る知謀を身につけていた。


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 彼がいなくなってから一年。彼女の研究室に一通の書簡が届いた。彼、つまりはアンデシュ・グスタフソンからだった。

 その書簡は、蝋で封がされており印章が押されてあった。彼女はその印章をみると心の臓が飛び跳ねた。


 乙女の上半身にトラの下半身、そして手には高々と鍵の束をかかげている。聖母神の印だった。

 彼女は震える手で蝋印をはずすと、まるまった書簡を広げて、みなれたクセのある筆跡を、深い緑色の瞳でなぞっていく。

 するとその胸のときめきのさざなみは、しずかに凪いでいった。


 その書簡が、辺境の島に聖母神が祀られたダンジョンを発見したという報告書だったからだ。


 歴史的発見だった。しかし、彼女にとっては心底どうでもよかった。そして心底どうでもよくなったアンデシュ・グスタフソンのことなどスッパリと忘れて、この伏魔殿の中で、一生一人で生き抜いていくと心に誓った。


 彼女の名前は、ヴァレンティナ・カハール。


 その知謀と、美しい美貌をしたたかに利用して、中央学府の伏魔殿をけなげに一人で生き抜いていた。

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