茜色した思い出へ

押田桧凪


 街の大通りを一本、右に入ったアイナナ通りにある大きなアパートの703号室から、目覚ましの音が鳴り響く。この音は、11秒後にきっかり止まる。日本語に直せば「月夜の太陽 三番館」となる建て物の角を左に曲がる時、窓が勢いよく開く。これはいつも通り。そして住人である31歳の男が落ちて来る。これはいつも通りではない。というか、もう起き得ないであろう。希望の悪魔と呼ばれ続け、語り継がれるヘーゼ・ルナッツという男の人生では。





 これが、おじさんの残した最後の原稿だった。若い時には童話作家として活動していて、私が小さかったころは、ドルチェ・モンブランというお姫様が主人公の冒険譚を聞かせてくれた。おじさんは、食べ物を登場人物の名前にするのが好きだった。


 アイナナ通りは実際に私の住む街に存在している。もともと、朝鮮から伝わった藍の栽培がさかんになったことで有名な藍之七松あいのしちまつ。七一三年、律令政府は「諸国の郡・郷の名は好字二字を用いよ」との詔を出し、「藍七」に改まったことが、地名の由来とされている。おじさんの好きな色は、藍色だった。


 手書きの原稿。おじさんは字が汚くて、いつも編集者さんに文字を尋ねられていたけれど手書きに拘っていた。

 703号室。私のお母さんの名前──ナオミから来ているのだろうか。数字もきたない。目を凝らせば、7が1に、0が6に、3が8に見えなくもない。

 そうすれば、私の名前──「イロハ」になる。


 ヘーゼ・ルナッツ。31歳。男。

 おじさんが自分のことをそうたとえ、物語に登場させたのだろう。おじさんは、ナッツアレルギーだった。


 希望の悪魔。おじさんはそう呼ばれ、沢山の人の命を救ってきた特殊な抗体の持ち主だった。悪魔といわれ、ひとが畏れを抱くほどに、おじさんは医学界の未来を照らす希望の光だった。


 その抗体が色覚異常、網膜疾患や国指定の難病患者に有効だと明らかになって以降、おじさんは「被検体」としての健康管理──最適化された食事、規則正しい生活リズム──行動全てが制限された。「11秒後に止まる目覚ましの音」は、そんな苦痛の日々を形容しているのかもしれない。おじさんは精神的に病んでしまった。


 おじさんが命を削る作業を重ねた結果。治療の先駆けとなる集学的医療の先端が築かれ、ヒトへの投与が可能になってからというもの、今では難病患者は減少の道を辿りつつある。


 英雄ヒーローが自己犠牲の蓄積によって存在を輝かせるのであれば、勿論、おじさんはその中でも極めて強い光を放っていただろう。しかし、それは永続性を伴う発光ダイオードには程遠かった。


 おじさんは物語の世界からかえってこなかった。私はそれが物語の中だけの出来事だと、信じたかった。



 ✤ ✤ ✤



 私は、私が見たいままの色を人に見せることができる。例えば、私が赤を青だと思えば、周りにいる人にもそう見え、私の予想では半径10m以内にその効果が及ぶとされる。だから、この力を使う時は慎重にならなければならない。小さい時に、失敗したことがあるから。


 私はませた子供の一人だったから、どこか達観したところがあって小学生の時は、なんでも自分の思い通りになるものだと信じていた。

 夏のある日。親同士が仲がよく、保護者同伴のもと、友達のちえちゃんと共にお祭りに行くことになった。かき氷を買うことになって、私はブルーハワイ、ちえちゃんは苺を頼んだ。氷が溶けはじめ、段々味に飽きてきた頃になって、ちえちゃんはブルーハワイが良かった、とぐずり始めた。ちえちゃんは負けん気が強くて、責任感のある子だったけれど、私からすればまだ子供っぽくて、一度の我儘が叶うまで、その熱が冷めないことを私は知っていた。泣けば叶うと思ってるなんて、と私は呆れたけど、内緒だよと言って、カップを取り替えてあげた。……ように見せた。辺りは暗く、屋台が並ぶ道は混んでいて、取り替えたように見せるのは簡単だった。実際には、シロップの色を変えただけだ。赤色を青色に。


 大人ぶっていた当時の私は、既に本か何かで、かき氷シロップは着色料と香料が違うだけで、味付けは同じだということを知っていて、ほんと人間って単純なんだからと、ひとつ知識を得て優越感に浸っていた。


 脳の錯覚。全部ぜんぶ、私たちが見てるものが本当はまやかしなんじゃないかと疑って生きることが大切なんだ。私だけは騙されない。私だけが本当の色を知っている。そう信じてきて、けれどずっと「色」に裏切られつづける人生を、私は送ってきた。



 ✤ ✤ ✤



 初めて私だけの「色」が見えたのは小学校に入学する時。私が欲しかったのは濃いピンク色のランドセル。下品な色ね。古くからの慣習やマナーに厳格なお母さんはそう言った。

 後から知ったことだけど、ピンクを卑猥な色だと捉える風潮は日本だけのもので、国によっては青、緑、黄色と異なっているそうだ。

 そういう意味では、お母さんの考えは、古くて──今ではランドセルやトイレのピクトグラムの色で男女を分けるのは良くないとされているし──不寛容で、幻覚でしかなかった。


 ピンクのランドセルを買い与えてくれなかったお母さんに反発するように、私は、ずっとその色を求めていた。赤いランドセルが嫌いだった。


 そしたら、その色になった。赤がピンクに、呆気なく。夢が叶ったんだと私は歓喜した。通常では有り得ない現象を信じることができたのは、ディズニー映画の影響であり、思い通りの色になる──これが魔法なんだ、と私は思った。


 何度か瞬きをすると、またランドセルの色が元に戻っていたり、変わったり、全然違う色になったりして、おかしかった。


 こげ茶、薄緑、エメラルドグリーン、セルリアンブルー……。


 私の予想に反して、私が望んだ色に反して、全然違う色になった、と最初は魔法の効果を疑ったけど、違った。キャラメルマキアート(まだ飲むような歳じゃなかったけれど、クリームで絵を描くラテアートが友達との会話にのぼった)、抹茶、欲しい靴、なくなりかけた絵の具チューブ。実を言うと、どれも共通して私が思い描いた色であって、興味があったことや、私の記憶にあることと一致した。

 やっぱりこれは、魔法なんだ。そう思った。


 その日から私はルンルンで登校するようになった。けれど、家を出る時はお母さんに見られないように、ピンク色のことを考えないように心がけた。


 教室に入るとすぐにどこか落ち着かない浮き足だった視線を浴びた。みんな、心底不思議そうな顔をしている。

「イロハちゃん、昨日はランドセル赤だったよね。どうしたの」

 私は返答に困ったが、ランドセルを何色か持っていることにした(皆からお金持ちだと思われるようになったのはこれが原因)。


 ランドセルの色を変える時はそう言ってやり過ごしていたけれど、お母さんは私の魔法に気づいていたのかもしれない。いや、そうとしか思えない。


 母はそれまで、月に一回は遊びに行っていたおじさんを私から遠ざけようとしたのだ。この時、私には意味が分からなかったが、今になってみればわかる。おじさんも、私と「同じ」だということ。そして、それはお母さんが私のことを思ってしたことだったと。世間に、国に、私がおじさんと同じ力──「色を与える」抗体を持つ者として、実験台にされることを避けるために。



 ✤ ✤ ✤



 色は、見る人によって、状況によって、いかようにも解釈されうる危うさをはらんでいた。そして、私は馬鹿だった。


 あの日の帰り道。私のランドセルは緑だった。気分転換で選んだ色。学校の向かいにある横断歩道を渡る時。地元のテレビで、危険な交差点として取り上げれたこともあって、下校時によく注意してから渡るよう先生から呼びかけられていた場所で、事故は起きた。


 六年生ぐらいの子たちが近くで、下を見ながら遊んでいた。『白い線を踏んだらいけない』というような遊びだった。私はその時、緑──赤いランドセルを緑へ。赤信号を青信号へと変えてしまっていた。

 事故多発地点は右折する車の交通量は多く、暴走トラック(後の報道ではこう呼ばれたが、私が青にしまっていたことが原因であって、ドライバーに否はない)が、すんでのところで、信号待ちの私の前の子たちを轢きそうになったのだ。


 一瞬にして今にも吹き飛ばされそうな衝撃波と轟音、トラックの制動に伴う摩擦が地面を揺らした。ガラスが割れるような破裂音も同時に聞こえた。目をつむった。舌でチロチロと舐めるようにその場所を確認していたぐらぐらする奥歯が、抜けそうなほどに、私はぐうっと歯を噛み締め、その場でずっと静寂を待ち、ただ茫然とその場に立ち尽くしていた。とても、怖かった。幸い死傷者は出なかったものの、私はそれ以来、色を使うことはなくなった。


 私は中学生になった。「色」にたいする考えは変わっていない。私は失敗から学んだ。極論だが、色は使い方を誤れば人を狂わせるものだと。「色」で世界が平和になるのは、スイミーのお話のなかだけなんだと。

 色なんて、色なんてなくていい。本当の「色」なんてそこには存在しないのだから。全部ぜんぶ、まやかしなんだ。色を変えられるからといっても、人間には限界があって。紫外線・赤外線は見えないし、瞳の色によって虹が何色か、太陽は赤なのか黄色なのか、見え方は人それぞれだ。ランドセルの色なんてどうでもよかった。もう色に振り回されるのは嫌だった。私はどんな「色」も好きになることはできなくなっていて、ただひたすら透明に憧れていた。


 中学の部活は、美術部に入った。絵を描くのは好きだった。私は透明を欲していて、そんな私に透明水彩ウォーターカラーはぴったりだった。にじみ、ぼかし。背景の白を主とした絵画。パレットの上で混ぜ合わせながら、色をつくる。いくらか、以前よりは色にたいして抵抗はなくなっていた。


 パレットの細かく区切られた枠──いろといろの間に、絵筆から滴り落ちた何色でもない水は、簡単にその領域を浸食して。混ざり合った隣どうしの色は水分を除こうとも、もう原色に戻ることはない。干からびて固まったその絵の具は、同質化したその色は、もうなにものでもなく、何者でもない誰かになることを私はずっと望んでいた。その色に名前はない。


 決して単色では表現できない色合いはこうやって生まれるのだと、その時だけの色を楽しみながら私は思った。



 ✤ ✤ ✤



 最後にその姿を見たのはいつだろう。理知的でユーモアに富んだ、甘いものが大好物のおじさんはそこにいなかった。渇いた現実を、色褪せたTシャツが体現するかのように。蝋人形のような細い手足が、時間の標本にされ、ずっとそこに閉じ込められ、風化してしまった存在であるかのように思わせた。


 おじさんは被検体として生きることから逃げ出した後、長く隠遁生活を送っていたそうだ。迷惑がかからないようにと、私たち家族ともみずから縁を切って、地下牢のような部屋で暮らしていたという。

 

 ほこりの寄り集まった灰色の部屋。外のキープアウトと書かれた刑事ドラマでお馴染みの黄色いテープをくぐり抜け、その部屋に今、私は来ていた。


 ソファやベッドといった生活に必要な家具はもろもろ撤去され、独房を思わせる隅の格子窓からは、薄いオレンジ色、紫がかった雲、淡いピンクの光が射し込む。


 ──おじさん、元気ですか?

 緩やかなウェーブを描くようにして、雲は重なる。刻々と進む空模様は、やがて茜色に落ち着いた。


 ──おじさん、こちらの景色は見えていますか。

 漆喰の壁。ごつごつとした凹凸が残る荒い表面。


 ──壁の模様替えしよう、おじさん。

 おじさんが好きだった色になればいい。見える、私には藍色に見える。夜を支配する暗闇に月が落ちて、まだらの影をつくるように。

 その緩慢な藍色が、あかねさす夕暮れの光との対比で輝いて見える。紅葉の合間を縫う青空のように、秋の情感を映し出していて綺麗だった。



 部屋全体が、茜色で満ちていく。

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