第6話 チューリップのカフェ

そして文夫とハナエは、大和高田市の郊外にあるというチューリップ畑に囲まれた新しいカフェへと電車で向かった。 奈良県まで行動範囲を広げたのは考えてみれば初めてであった。

そして文夫には、今日はいつもと違う胸騒ぎが熊本駅を出る頃からしていたがそれが、大阪を出て奈良まで来たことにも関係あるのか、その時の文夫にはまだ分からなかった。

 カフェは、大和高田駅で降りてタクシーで、五キロほど行ったところにあった。 チューリップ畑はタクシーの中からも見る事ができ、ハナエは、タクシーの窓に顔をつけ、それを眺めて「わー、チューリップ、綺麗ね」と叫んだ。  チューリップは、赤白黄色とそれぞれ五本ぐらいの列をなし、びっしり規則正しく並んで咲いていた。

「凄い、完ぺきだわ。 チューリップの種類も形もオーソドックスでとっても素敵」  文夫は、そんなハナエを見て、素直な人なんだなあと思った。

 カフェに着いてタクシーを降りたハナエは、チューリップ畑に駆け寄りまた叫んだ。

「わー、やっぱり綺麗ね、完璧だわ」

文夫は、ハナエの素直すぎる反応にやや気おくれしながら少し引いてハナエがチューリップとたわむれる姿を眺めていた。 普段は、三〇代に見えるハナエだが、二〇代にも一〇代の無邪気な中学生のようにも見えた。

二、三〇分ほど経ったであろうか、やっとハナエが文夫のところへ戻ってきてきた。

「あー、綺麗だった。 お待たせしてごめんなさい。 カフェに入りましようか」

「大丈夫だよ。そうだね、そろそろ入ろう」

カフェには、シーズンということもあって、たくさんの客がいて、外の庭の席もいくつかうまっていた。 文夫とハナエは、これまでいろんなカフェやレストランに行っては、入り口に近い場所に陣取り、出入りするお客の中に研三やユリエがいないか眺めながらお茶や食事をしていた。 特にここ三、四ヶ月は心当たりの捜す場所もなくなり、こうやってデートをしながら特に焦るでもなく、のんびり捜す日々が続いていた。 いつしかお互いもう見つからないんじゃないか、いや見つからないでこんな幸せなデートの日々が続けばいいとも思い始めていた。 今日も幸い出入口も見えて外のチューリップも眺められる絶好の四人掛けの席が空いていたのでそこに迷わず二人は掛けた。

「いらっしゃいませ」 若くて可愛い店員がメニューを持ってやって来た。

その店員は、ハナエの顔をじっと見てやや間を空けて、「ご注文がお決まりになりなりましたらお呼びください。 私は、サチエでございます」

――うん? なんだ、この感覚。 懐かしいような・・・ユリエ? 

感覚は似てるが顔は確かに違う。 だよなあ。 ユリエのはずないよなあ。  文夫は、若い店員が気になって短い間にこんなことを考えた。 だが、ハナエは、そんなことは気にせず、すっかりメニューに見入っている。

「ご飯も食べれるんだ。 あとでご飯も食べよう。 私は、先ずはオレンジジュース」

じっと見られていたことにも気づいていなかったようだ。

「じゃ、ぼくは、カフェオレ。 サチエさんを呼ぼうか」

「だれ? サチエさんって」

――さっきは何も聞いていなかったのか?

「さっきメニュー持って来た人」

「ああ」

その時である。入り口のドアベルがカランコロンとなって、ひとりのスタイルのいい女性が入ってきた。 文夫には、熊本を出る頃からの胸騒ぎの訳がやっとここで分かった。  文夫の郵便局で働いている神田梓だった。

――えっ、来ちゃったの。 ひとりで? 文夫は、まだ話もしていない梓に心の中で質問していた。

「ああ、局長。 こんなところで何してるんですか?」

梓は、入ってくるなり直ぐに文夫を見つけて大きな声で問いかけてきた。

「まさか、不倫じゃないでしょうね?」

――ギクッ、いきなりそこかい? 違う、違う。 ぼくは、ただハナエと研三を捜しているだけだ。 決して人妻なんかと付き合っていない。 あれ、 ハナエは人妻では? そうだった。なんか久々に思い出してしまった。 ハナエは人妻だ。 不倫か?  勘弁してください、神田さん。

 文夫は、ブツブツと独り言を言って少し間をあけてから返事をした。

「神田さん、どうしたんですか? こんなところで」

「局長の動きが怪しいから熊本からつけてきたんですよ」

――やっぱりそうか。

 神田梓とは、文夫の郵便局の窓口担当の局員で、まだ勤めて一年目であるが、局内での評判も良く、お客さんからの人気もある子である。 スタイルも良く顔も可愛い。 人柄も良いから人気が出るのは当然なのだが、彼氏がいるという話もなく、かといって局員の若い独身男性との噂もない。 そんな彼女だが、何故か文夫にはいつも優しく、にこにこしながら接してくれる。 誰にでもしてくれていることだと思いつつも最近は、文夫だけ特別なんじゃないかと思うこともあり、文夫は、それを自分の正義感でなんとか気にしないでいた。 だが、今日こそは、文夫だけ特別だったんだと思い知らされることになってしまった。

「だれ?」

 思わず立ってしまった文夫に座ったままのハナエが尋ねた。

「あぁ、郵便局に勤めている子。 熊本からつけて来たみたい」

「そう、可愛いわね。 若いわ。 羨ましい。 ちょっと洋風でチューリップみたいな人ね」

――なるほど。 うまいこと言うな。

「うん、郵便局でも人気者なんだよ」

「ここに座ってもらったら。 一緒に食事しましょう」

「でも、いいの?」

「私は、全然いいわよ。 こんなところまでついてきた可愛い子を局長としてほっとく訳にはいなかいでしょう」

――落ち着いているなあ。 さすが年の功。

「えっ、なんか言った?」

――聞こえてるのか? 「サトラレ」

「いや、なんにも」「神田くん、こっちに来て座らないかい。 ぼくらも今来たところなんだ」

「ええ、いいんですか? お邪魔じゃ?」

「いいよ、いいよ。不倫でもなんでもないし」

「付き合ってはいるけどね」

ハナエが文夫の言葉をかき消すように言った。

――えーっ、それ言っちゃうの。

「やっぱりそうなんですか。 ずっと怪しいと思ってたんですよね。 お邪魔しまーす」 梓は、そう言いながら椅子に座った。

「不倫じゃないですよね?」  たて続けに言った。

「違うよ、違う。 ぼくらは、ふたりでハナエさんの旦那さんを捜しているだけなんだ」

「えーっ、旦那さんいるの? じゃ不倫じゃないですか」

「いやいや、そうじゃなくて」

「だって付き合ってるんでしょ?」

「ああ、そうかあ。 不倫かもな」

――いい訳しても無駄か。

「不倫とまでは言えないかもね。 だってこの人もう二年もなろうとしているのに私の手も握ってこないし、全然襲ってこないのよ。 私がおばちゃんだからかなあ?」

ハナエが間に入ってきた。

「えーっ、こんな綺麗な人を前に。 何やってんですか。 局長」

――だから旦那さんの捜索を。

「ユリエという人を私の旦那と一緒に捜してるのよ。 その人、私に似てるんだけど、私より若いし、可愛いのよね。 その人のことが忘れられないんじゃない?」

「へぇーっ、ユ、リ、エ?」 と梓が言った途端

「はーい、ユリエです。 いらっしゃいませ」

 先ほどのサチエとはまた別の店員がおしぼりと水を持ってやってきた。その顔を見上げた文夫とハナエの顔は、一瞬、いや、数秒に渡って固まった。

ショートヘアになって、以前とはイメージが変わっていたが確かにユリエである。 文夫とハナエは、お互い顔を見合わせて、再びふたりでユリエの顔を改めて見て、二人同時に

「ユリエ」と叫んだ。

「えっ、この人を捜していたの? 局長。 いやーん、若くて可愛い。 負けそう」

――ハナエには勝てるつもりだったのか? まあ、若い神田さんには、ハナエの良さを理解するのは難しいか。

店員のユリエは、先ず梓に水を渡すとハナエと文夫を順番にゆっくり眺めて、

「ハナエ、そして文夫」

――覚えてるんだ、ぼくの名前。 ハナエのことは覚えているだろうとは思っていたけど、ぼくのことまで覚えていたとは・・・・・・捜し当てたかいがあったのか?

「えーっ、局長。 この人のことをストーカーしてたの?」

――いやいや、ストーカーしようにも何処にいるか今の今まで分からなかった訳で。

「いや」

「今、やっと見つかったところでストーカーするのは、無理だったわ」

ハナエが、代わりに言い訳をしてくれた。

「ハナエさんとユリエさん、確かに似てますね。 局長どっちが好きなの。 どちらが本命?」

梓は、容赦なく質問を連発した。

「似ているかもしれないけどユリエの方が全然若くて可愛いわ。 研三を寝とった頃よりも益々若返ったんじゃない、あなた。 私に勝ち目は無いみたいね」

「寝とった? やっぱり不倫だったのね。 局長」

「いやいや、そこにはぼくは、全然関係ない。 ぼくがユリエやハナエに出会うよりずっと前の出来事だ」

「不倫じゃないんですね?」

梓が念を押した。

「寝とった? どういう意味なの?」 今度はユリエが悪気もなく尋ねた。

「研三を私から奪ったでしょう。 知らばっくれるの?」

「知らばっくれる? 奪った?」

「ええっ?」

ユリエの悪気の無い反応にハナエや文夫は、やや戸惑った。そしてユリエが続けて

「私は、研三を奪ってないわ。 ずっと研三といるだけよ。しら・ば・くれて・ないわ」

「局長は、いつ、どうしてハナエさんやユリエさんに出会ったんですか?」

――えーっ。

「それは聞かないであげて。 局長さんかわいそうよ」

――助かったぁ。 ダッチワイフを買ったなんて神田さんに言えない。

「研三もハナエを捜しているわ。 だからチューリップのカフェを作ったのよ。 ここのチューリップは、ハナエを捜すために研三が植えたのよ。 ハナエのためのチューリップよ」

「へぇ、あの人がそんなことするんだ」

 ハナエは、文夫の方を見ながらそう言った。

「サチエ、研三を呼んで来て」

ユリエは、近くで待機していたサチエに言った。

「了解。 ご注文は?」

「ご注文は決まりましたか?」

ユリエは、慌てて梓に尋ねた。

「アイスコーヒー。 のど渇いちゃった」

梓は、即答した。

「アイスコーヒー、ワン」

「了解。 と研三ね」 サチエは、そう言うと奥へと消えていった。

「私よりサチエの方が若いし新しいわ」

「新しい? ああ、最近店に入ったってことね」

「可愛いでしょ? 私の後継機なの」

「それを言うなら後継者よ。 機械じゃないんだから」

――えーっ、ロボット? まさか。

文夫に二年前の不安が一気に舞い戻った。


そこへ奥から白い服を着た陽によく焼けて色黒で面長の紳士がやって来た。

「いらっしゃいませ。 お待ちしておりました」

その紳士は、ハナエに向ってそう言った。

――あーっ、研三生きていたのか。 当たり前か。 よくもぼくにユリエを好きにさせて、ハナエと出逢わせ、こんな所まで捜しに来させてくれたな。 おかげでなあ、こっちはなあ・・・楽しかったよ。 あれ?

「研三、久しぶり。捜したわよ」

ハナエは、懸命に冷静を装って答えた。ふたりは、まるでバリアに囲まれたように薄いピンク色の中に包まれているようで、文夫も梓も声をかけることをしばらくためらった。ユリエも研三のすぐ近くに立っていたが世間であるような不倫の三角関係のドロドロとした恨み嫉みの雰囲気はなく、どちらかと言えば、爽やかにふたりを見守っていた。

――ハナエさん、やっと研三に会えたか。 良かったね。 でも、ぼくは? ぼくはどうなるの。 ぼくは、ユリエに会えたか。 でもユリエは、ロボットかも? あんなに可愛いのに 。本当にロボットだったらどうしよう。 ぼくは、ひとりぼっちじゃないか。 ハナエ行かないでくれ。 ユリエ、人間であってくれ。

 文夫は、今までずっと捜していたくせに突然やって来た研三とユリエとの再会に混乱していた。 そしてここ二年間の事を思い返していた。 ユリエに出会った時の衝撃、ハナエと研三を捜しながらデートした日々、そんなことを目の前に立っている可愛すぎるユリエの横顔と長いまつ毛を眺めながらグルグルと巡らせ、催眠術にでもかかったように想い出の中に入っていった。 そして段々研三とハナエの会話が遠くなり、ついに聞こえなくなってしまっていた。 ダッチワイフだと思ってキスする寸前まで顔を近づけた時までもどった瞬間である。また以前のように長いまつ毛の細い目がパッチリと開いてユリエが言った。

「人形にならしてもいいの? 人形にもロボットにもアンドロイドにも魂や心はあるわ。 私は研三を愛してる」

「ユリエ」


「はい、ユリエです。カフェオレお待ちどうさま」

文夫は、空想の世界に逃げ込んでしまっていたがその言葉で現実に引き戻された。

「あっ、ありがとう」

そこには、現実のショートヘアになった若くてとても可愛過ぎるユリエがカフェオレを持って立っていた。

「ユリエがロボットだったなんてね。どうしてそう思えなかったんだろう。 私としたことがね」 そしてハナエのやや嬉しそうな声も飛び込んできた。

「文夫、ごめんなさい。私、研三とやり直すわ。 二年間こんな私に付き合ってくれてありがとうね。あなたもユリエとやり直したいだろうけど、無理ね。人形にだって魂はあるし、心もあるわ。 ユリエもサチエも研三のことが好きみたい。 梓さんと付き合ったら? この子あなたが大好きみたいよ」

――えーっ、何? どこからどこまでが現実? 文夫は、現実に戻っていたつもりであったが自信がなくなってきた。 文夫は、梓に助けを求めるために目を向けたが梓は、やや頬を赤らめ目を潤ませていた。

――可愛い。 梓も可愛い、可愛すぎる。

文夫は、そう心で呟き、再び今度はユリエを見た。

――可愛い、可愛過ぎる。どちらも可愛いけど、なんかやっぱり違う気もするなあ。 文夫は、そう思い、梓を見たり、ユリエを見たり、またハナエを見たりした。

「あー、ほっとしたらお腹空いて来ちゃった。ランチにしましょう。文夫は、食べ終わったら梓を連れて帰るのよ。 あなたが守ってあげて。 あなたの部下でしょ?」

――いやいや、部下には手を出せない。

文夫は、心の中で呟いたつもりだったがまたしてもハナエにさとられた。

「何言ってるの。密かに愛を育めばいいのよ。 不倫でもなんでもないんだから。うまくいったらみんな祝福してくれるわよ。それまではあなたが守ってあげなきゃ」

「そうかな」 そう言いながら文夫は、また梓に助けを求めたが梓は、頬を赤らめ下を向いていた。

「そうよね、梓。さあ、ランチ。 研三が作るんだったらきっと美味しいわよ。楽しみ」

ハナエは、すっかり落ち着いて、ややおばちゃん化していた。


そしてランチを美味しく頂いた文夫と梓は、ハナエ、研三、そしてユリエ、サチエに見送られながらチューリップの咲き誇る研三のカフェを後にした。

駅までのタクシーの中で梓が文夫に

「今日はすいません。こんなことになっちゃって。 でも私嬉しいです。 局長が不倫してなくて」

――そこかあ。

「ああ、まあね。 危うかったけどね」

「ねぇ、局長。 博多に寄って屋台回りして帰りません?」

「いいなあ、それ。中洲あたりで飲んで帰るか。 明日はもういいや、仕事休もう」

「やったぁ、局長ステキ」


ふたりは、博多で途中下車し、中洲の街へと向かった。 そして熊本まで戻ったのは翌日も、もう暗くなってからであった。      


                終わり

  










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だって117が可愛い過ぎる 岩田へいきち @iwatahei

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