34.精霊術師、帰還する
「そういえば、名前はなんていうんだ……?」
「あなたの名前はなんていうのー?」
「……わからない」
「「……」」
都へと向かう馬車の中、俺とエリスの質問に対して、無の下位精霊が無表情で首を横に振った。
ここまでついてきた彼女が俺たちに嘘をつく必要もないし、本当にわからないんだろう。自分の名前すら忘れてしまうほど彼女は長らく無の中にいたってことだ。
本来であれば、上位精霊と契約した時点で下位精霊も契約したことになるわけだが、彼女はそういうのに縛られない無の精霊なためか、契約するのにここまで時間がかかってしまった。
その分、無の精霊はほかの精霊と違って色んな意味で制約がないというか、規格外なんだと思う。
そうだとすると、下位、上位の力関係以前に、その区別もあるかどうか不明になってくる。彼女たちは無の精霊である時点でどっちも精霊王なんじゃないかと。
どうしても名前を思い出せないようなら、俺たちがあとで命名してやればいいんだ。とはいえ、あんまり気を遣うのも居心地が悪くなりそうだし、力みのない関係が望ましいので無理に声をかけないことにした。
「――あっ……」
辺境を発ってからしばらくして、無の下位精霊――黒髪の少女――がはっとした顔になった。
「ん、どうした? もしかして馬車に酔ったか?」
「酔っちゃったの?」
「……思い出した。私の名前……」
「「おぉっ!」」
俺たちの思いが伝わったのか、遂に名前を思い出してくれることに。
「……確か、私の名前は……ティータ・ニフリム……だったと思う……」
「へえ、中々いい名前じゃないか。俺はレオンっていうんだ、よろしく、ティータ」
「わたしはエリスだよー、よろしくねっ、ティータ!」
「……それ以外は、まだ思い出せないけれど……よろしく……」
「あぁ、これから少しずつ思い出していけばいいんだ。な、エリス?」
「うんっ!」
「…………」
俺とエリスのやり取りを見て、黒髪の精霊ティータがほんの少しだけ笑った気がした。
「――お、見えてきたな」
「うん、なんかとっても懐かしい感じ!」
「……あら」
都の一部が見えてきて、エリスと一緒に懐かしいと思って眺めていたら、ティータも興味津々といった様子で身を乗り出していた。
無表情のままだが、その分目が輝いて見える。彼女は辺境の中でも人が多いところにいただけに、数多くの人間が暮らすあの場所も大いに気に入ってくれるはずだ。
無の下位精霊であるティータと契約できたってことで、俺たちは都へ到着して早々、そのことを専属受付嬢のソフィアに報告するべく冒険者ギルドへと向かうことに。
お、いるいる……。
彼女はやはりギルド内じゃ異様に目立っていて、今日も冒険者たちの視線を独占している様子だった。今思うと、彼女を見て綺麗だと思うとともに妙な安心感が生まれていたのは、楽の精霊なだけに錯覚でもなんでもなかったってことだな。
「――あっ……」
俺たちの姿を見つけるなり、ソフィアは何度か瞳をまたたかせて少し驚いたような反応を見せてきた。
「おかえりなさいませ、レオン様。どうやら、成功なさったようですね」
「はい、これもソフィアさんのおかげですよ」
「正直、いくらレオン様とはいえ、もっと時間がかかるかもしれないと思っていただけに、さすがとしか言いようがありません……」
「あはは……」
「レオンー、もう帰ろっか?」
「お、おいおい、エリス、来たばかりなのにそんなこと言うなって……」
「だってぇー、レオンったらデレデレしちゃってるもん……」
「おいおい――」
「――レオンに失礼だわ、エリス……」
「うー……」
「えっ……」
エリスを諫めてみせたのは、意外にもティータだった。俺たちのことをちゃんと名前で呼んでくれたし、仲間として初めて認められたみたいで嬉しくなってくるな。
そんなティータに対し、ソフィアが腰を折って話し始めた。
「あなたが、例の精霊さんですね。お名前は?」
「……ティータ」
「ティータさんっていうのですか。私はソフィアと申します。エリスさんと一緒に、レオン様をどうかよろしくお願いしますね」
「……うん。まだわからないことも多いけれど……」
ティータとソフィアの握手する姿は、なんだかとても微笑ましいというか、いい空気感に包まれていた。ティータも慣れてきたのか徐々に自分の色を出し始めてるしな。
「ソフィアさん、ティータも俺のパーティーに加入させてやってください」
「了解です……あ、そうでした、レオン様にお話ししたいことがあります」
「え、どうしたんですか……?」
「ちょっとお耳を」
急にソフィアがかしこまった様子で耳打ちしてきたのでドキッとした。
「最近、不穏な空気がさらに高まりつつあります」
「不穏な空気……?」
「ええ、そうです。王国の兵士が走り回っているのも、無関係ではないように思えるのです。近々、よくないことが起こりそうな気配です」
「なるほど……それは注意しなきゃいけないですね」
「はい。それと、とある人物についてどうしても話さないといけないことが……」
「……とある人物?」
「……はい……」
何を思ったのか、ソフィアはその人物について少しためらったように話し始めた。
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